見出し画像

竹取村のかぐや姫  三の章

三の章 石上皇子


  こうして五人の皇子の物語がはじまっていくが、まず最初に挫折したのが、あの平安時代のバードウォッチャー、石上皇子(いしのうえのおうじ)だった。
 姫のいう子安貝なるものを取るために、まず唐の国に渡らねばならなかったのだが、この皇子の父親は、時の政治を左右するばかりの高い位置をしめていたから、もし皇子が唐の国に渡るといえば、きっと息子のためにその遠征隊なるものを組織してくれたはずだった。しかしこの皇子には、とても外国に渡る勇気などなかったのだ。当時は外国に渡るということは、命を捨てる覚悟をもたねばならなかったのである。
 しかし姫を忘れることはできない。姫がいとおしくてたまらない。姫の姿をみたいと相変わらずこの皇子は、姫の御殿をうろつくストーカー行為から足を洗えなかった。
 そんなある日、父親の居間に彼は呼びだされた。いつまでもぷらぷらしているその行いをまた厳しく叱責されると思い、身をかたくして父の前にすわると、父は意外なことをいいだした。
「お前は大変鳥に詳しく、鳥博士などよばれているらしいが、そんなお前にひとつ頼みがあるのだ。というのはな、御所のわきたっておる、大学寮の炊飯をなす建物の棟に、燕が巣を作っておるらしいが、その巣にしばしば貝がうみつけられているというのだ。その貝は、なんでも長寿の薬用として、大変な効力をもっているらしい。ひとつお前、その燕の生態というものを調べてほしいのだ」
 それを聞いたとき、皇子は思わず、叫ぶように問い返した。
「父上、それはまことでございますか。まことに貝なのでございますか」
「そうだ。まことに貝だ。なんでもその小さな貝は、五色の色を放っているというのだ」
「ああ、父上、それこそ古来から、唐の国につたわる子安貝というものだと思われます。実に、実に、その貝は大変な効力をもった貝なのです。いまただちにその貝とやらをとってまいります」
「そうか。そうしてくれるか。もしこれが実際に長寿の葉用をもつとしたら、大変な価値をもつものだ。この国が変わるばかりの発見であるぞ。もしお前がその燕の生態を子細に調べ、その貝がまことに長寿の薬用をもつ食物であることを証明したら、お前は世界を変える男となる。私はずいぶん情けない息子をもったものと思っていたが、しかし本当のお前は、世界を変える男だったことになるのだあ」
 皇子はさっそく大学寮の建物にとんでいくと、その建物の寮長を呼び出し、燕が巣を作っているという場所に案内させた。大学寮には七つの棟が立っていたが、その一番はずれに立つ、もっとも背の高い棟の屋根の軒下を、寮長はゆび指して、
「あそこでございますよ」
 しかしそこは大変な高さだった。八間ばかりというから、二十四、五メートルはある。そこにたどりつくには、長い長い梯子が必要だった。皇子はとんで帰ると家臣たちに、その長大な梯子を作らせ、もうその日のうちにその梯子を大学寮にたてかけた。
 皇子は慎重に、一段、また一段とのぼっていく。そのとき皇子のなかにはげしく吹き上げてくるものがあった。私はいま子安貝をつかもうとしている。しかし姫は三年後に届けよといった。いまこの子安貝を届けても断られるだろう。姫のいわれた三年後までには、あと二年の月日がある。二年は長い。この二年をどのようにして待てというのか。
 ひょっとすると、姫が私に三年という月日を与えたのは、もっと立派な人物になれということなのかもしれない。そうか。そういうことなのか。よし、それならば子安貝をたしかにこの手につかみとったら、唐の国に渡ろう。唐の国に渡って勉学に励んでこよう。そして二年後に戻ってくるのだ。もっと立派な、かぐや姫の夫になるにふさわしい男になって戻ってくるのだ。
 梯子を一歩また一歩とあがるたびに皇子の心は高揚していった。とうとうその巣にたどりついた。そしてその手を燕の巣のなかにいれみると、たしかに貝らしき固いものに指がふれた。皇子はしっかりとそれをにぎりしめた。それはまさしく貝の感触だったんだ。皇子は思わず、歓喜の叫び声をあげた。
「あった、あった、あった! ついに私はやった。かぐや姫をとうとう私の腕に抱けるのだ!」
 そのときだった。ぐらっと梯子が揺れたと思ったら、皇子の体が宙に投げ出され、真っ逆さまに転落していった。そして地上に激突するどすんという音があたりに空気をふるわせた。
 そんなことがあってから五日目だった。爺さんのもとにまるで隠れるように少数の家臣たちをひきつれて内大臣がたずねてくるのだった。都から遠くはなれた辺鄙な村に、いまでいう総理大臣のような高い位の人物がおしのびでやってきたのだ。これはいったい何事だと爺さんは、青くなって大臣を迎えすると、大臣は、
「本日わざわざそなたを訪ねてまいったのは、愚かな息子をもった親の願いをお聞きいただくためなのだ。私の息子は大変な鳥好きで、明けても暮れても鳥の観察だったが、とうとうそのために、いま短い生涯を終えようとしている。というのも最近、都では貝を生むという不思議な燕が出没しはじめ、その燕の観察をしようと大学寮の建物に、梯子を渡して上っていった。ところがその燕の巣に手をつっこみ、その貝なるものをつかんだ瞬間に、あまりのうれしさに舞い上がってしまったためなのか、真っ逆さまに転落して、いま虫の息なのだ。そんな息子が意識を取り戻すたびに漏らす言葉をつないでみると、なにやらこの館にお住まいのかぐや姫に、落下する際につかんだ子安貝とやらを届けてほしいというのだ。なんでもこの子安貝なるものをお届けしたら、姫との結婚がかなうということらしい。そこで息子のいう子安貝なるものをお届けに参ったのだが……」
 爺さんは仰天して、
「それは、まことに、子安貝なのでございますか」
 とたずねると、大臣はなんだか困惑した表情をつくると、懐から懐紙につつみこんであるものを、爺さんの前に差し出すのだ。
「これなるものが、息子の手にしっかりとつかまれていたのだ。これを息子は子安貝だと、いまもってかたく信じておるのだが、ご覧になって下さるか」
 爺さんは、懐紙につつまれたものを、おそるおそる開けて、そこにつつみこまれているものを、何度も目をしばたたきながら見てみたが、
「これは……」
「そうだ。燕の糞だ。どこからみても糞だ。どこまでもわしの息子は馬鹿息子なのだなあ。息子がその手につかみとったのは、子安貝などではなく、燕の糞だったのだ。しかし意識の混濁している息子は、いまだにこれを子安貝だと思っている。いまさらこれは燕の糞であるなどとはいえはしない。造麻呂(つくまろ)殿、馬鹿息子といえども、しかし息子は姫との約束を果たしたいために、命をかけて、それをつかみとってきたのだ。どうだろうか。この息子の純な心に免じて、姫に、たしかに子安貝を受け取りました、これであなたとのお約束を果たすときがきました、どうか一日もはやく元気になって下さいといった、まあそんな文を、したためてもらえないだろうか。せめて息子を、心やすらかにあの世へ送り出してやりたいのだ。造麻呂殿、この通りだ。哀れな息子をもったこの親を助けると思って、姫に一筆を」
 といって内大臣は、爺さんの前で深々と頭をたれるのだ。爺さんはすっかり恐縮して、
「なんということをなされます。お手をお上げくだされ。いましばらく、いましばらくお待ちを」
 というと、爺さんは姫の館にとんでいき、姫の部屋の戸をひこうとした。すると婆さんの鋭い声が、とんできたのだ。
「開けてはなりませぬ。お爺さんといえども、勝手に姫の部屋に入ってはなりませぬ。姫はいま体調よろしくなく、床を敷いて眠っているのですよ。起こしてならんのです」
「しかし、お前、大変なことになっているのだ。お大臣様がわしに深々と頭をおさげになって、たのみこまれたのだ。大変なことが都ではおこってしまったのだ」
 といってその説明をすると、婆さんもまたひどく心うごかされて、
「そんなことなら、姫に一筆、書いてもらわなねばなりませんねえ」
「そうだとも、姫の文が、不幸な事故にあわれた皇子様を励すのだ」
「それじゃあ、姫に一筆したためてもらいますが、どんな文にすればいいもんでしょうかね」
「だから、その子安貝をたしかに受け取りました。あなた様とのお約束が果たせる日を、楽しみに待っております。早くお元気になられることを、心からお祈りしていますと」
「お爺さん、それはまずいのではありませんかね。もし皇子様がお元気になられたら、姫はその皇子さまに嫁がねばならなくなりますよ」
「そうか。それは困るなあ。それならば、そのお約束というところをはぶいて、子安貝をたしかに受け取りました。はやくお元気になられることをお祈りしています。これならばいいだろう。この程度にぼかしておけば」
「そうですね。それならば何も約束したことにはなりませんからねえ。じゃあちょっと書いてまいります。お爺さんはここでお待ち下され」
 一人姫の部屋にはいっていった婆さんは、しばらくすると文を手にして戻ってきた。爺さんは、渡されたその文を手にして、しばらく眺めていたが、なんだか奇妙なことに気づき、
「これは、お前が書いたのではないか。こんな下手な字は」
 というと、婆さんはあっさりと、
「はい。私が書きました。姫の熱がひどう高こうて、とても文をしたためるどころではないのです」
 婆さんの手になる文を、爺さんは下手な字だといったが、それはそれでなかなか品のある文字だった。一瞬、爺さんはどうしたものかと迷ったが、姫が書けないなら仕方がなかった。客間にもどり、爺さんは顔を伏せたままその文を大臣に差し出した。
 大臣は深い感謝の色を顔ににじませて、その書状を懐ふかくにしまいこむと、またひっそりと都に戻っていったのだ。

 その日の夕刻だった。姫が活発な足取りで母屋に入ってくると、
「ああ、お腹がすきました。ちかごろお腹が、すいてすいて困ります」
 といって膳の前にすわるのだ。いつも姫が現れると、ぱあっとあたりが明るくなる。この時もまた姫のかがやきで、部屋中に花が咲いたようになったが、しかしその日の姫は、高い熱をだして布団のなかで、うんうんととうなっていたはずではないのか。
 爺さんはおかしなことがあるものだと思ったが、しかし姫はいつも不思議を行う人だからと、その疑いをさっと打ち消すと、昼間訪ねてきた大臣のことを話した。すると姫の箸がぱたりと止まり、その顔から笑顔がさあっと消えていって、なんだかあらたまって爺さんに切り出したきた。
「お爺さん、私はとても深い罪を犯してしまったようです。あの愚かな注文は、皇子様たちの求婚をお断りするための口実でしたのに。それなのに皇子様たちは、それをまことのこととと受けとめて、航海や冒険の旅にでかけるなんて。あれはただの私の思いつき。あんなものが、この地上にあるわけはありません。そんなものを求めて命を落とすなんて愚かなことです。どうかお爺さん、いまからでも遅くありません。あの話はなかったことなのだとお断りして下さいませんか」
「もはや無理なことではないか。聞くところによるとあの五人、いや残る四人の皇子様たちは、それぞれの旅にでかけて、いまは都にはいないという話であるからなあ」
「ああ、なんということをしてしまったのだろうか」
 と姫はいっそう顔をくもらせるのだった。
 その大臣の訪問があってから四日後に、書状が届けられた。その文にはこう書かれてあった。《愚息は姫の文を胸に抱いて、なにかをやり遂げたといった満ち足りた表情で、あの世に旅立っていった。これも造麻呂殿や姫の高潔なるお心のためであった。書状にてお礼申しあげる》と。姫に求婚した皇子たちの最初の犠牲者が、こうして生まれてしまった。



 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?