見出し画像

二千冊の本を出版した 小宮山量平さんをあなたは知っていますか?

 絵本美術館「森のおうち」にて

 われらの酒井倫子さんが、「イーハトーブ奨励賞」を受賞された、その祝賀の集いの案内をいただき、東京からやってきましたが、しかし私は酒井さんに「受賞、おめでとうございます」という言葉をかけるために特急「あずさ」に乗車したのではありません、酒井さんにさらなる挑戦をするためにやってきたのです、久しぶりにこの場に立ちまして、鮮やかに蘇ってくることがあり、そのあたりのことからちょっと時間をいただいて話をさせて下さい。

 それはもう二十一年前のことになりますが、この「森のおうち」で大規模な小宮山量平展が開催されました、本日ご参列したみなさまは、小宮山量平という人物のことをよくご存知のはずであり、あらためて語ることもないと思いますが、日本は戦争に大敗北して国土が廃墟と化した、そのとき青年小宮山量平は、焼け残った東京の丸の内のビルの廊下に出版社を創立するのです、ビルの廊下にですよ、寒さ厳しい冬になると暖をとるために、廊下に小さなコンロを置いて火をつくる、薪などないから山と積まれた返本を一枚一枚ちぎって燃やしていった、その煙がもうもうと廊下にただよう、こうして「理論社」が設立され、二千冊近い本が世に送り出されていったのです。

 小宮山さんは、自分は編集者であったと謙遜されたが、いまあらためて小宮山量平のなした仕事を振り返るとき、日本の読書社会に新しい道を切り開いた出版人であったということだけでなく、厳しい言葉を紡ぎ出した作家であり、時代と戦った大きな思想家であったのだと思います、そんな人物に酒井さんは懸命に取り組まれて、その「小宮山量平展」は小宮山量平の全貌を伝える大変立派なものでした。

 そのとき小宮山さんは八十歳という年齢にさしかかっていました。もう八十歳あたりになると、だれでもそうなるが、あれをやったこれをやったと過去を追想するだけの人になっていきますが、しかしそのときの小宮山さんは、赤く熟してあとは腐っていくだけの林檎ではなく、いまなお青々とした未成熟の林檎であった、だからこそ「森のおうち」で組み立てられた「小宮山量平展」で、小宮山さんの内部にくすぶっていた創造というマグマが、火山となって噴火していったのです、精神の行為というものは目に見えませんから、それがどれほどの労力を要することかがわかりませんが、例えば一冊の長編小説を書き上げるその行為は、たとえてみれば50階建てのビルをたった一人で建設したことに等しい行為なのです、膨大なエネルギーを要するその創造を、小宮山さんは「森のおうち」と出会って、長編小説「千曲川」という作品で結実させたのです。

 さらに私たちを驚嘆させたのは、その「千曲川」はその一冊で終わらず、二年後に第二部が、さらにその一年後には第三部が、そしてさらに二年後には第四部がたて続けに刊行されていくのです、50階建てのビルディングを、八十歳をこえてから、なんと四棟も建設していったのです、人間はたしかに年齢ともに肉体はほろんでいく、しかし精神は退化していかない、むしろいままで見えなかったものが見え、精神はより明晰になり、より深い創造に立ち向かえるのだということを、この小宮山さんの見事な人生が語っています。

 いまこのことが酒井さんにも起ころうとしているのです、酒井さんにも八十歳という大台が近づいてきました、小宮山さんは八十歳になって、内部に蓄えていた創造というマグマを噴火させていったが、さあ、今度は酒井さんの番です、酒井さんの本当の戦いがはじまるきときがきた、本日のこのお祝いの集いは、そのことを告げるための会なのだと思い到って、私はこの森のおうちにやってきたのです、どうしてこんなスピーチになるかといいますと、私はもう何年の前から酒井さんに挑戦していることがあって、これはちょっと今日のお祝いの会には不謹慎かもしれませんが、あえて話をさせてもらいますが、酒井さんはもう風の又三郎を語る人ではないのです。

 宮沢賢治を語ったり、賢治論を書いたりする人は、この日本には何百人何千人といます、賢治の童話を朗読する人も、劇にする人も、絵本にする人も、映像にする人も次から次へと現れていきます、しかしわれらの酒井倫子は、もう風の又三郎になった人なのです、われらの時代のレジェンドになった人であり、この安曇野の森に絵本美術館を打ち立てた人であり、この森のおうちでたくさんの芸術家たちと出会い、彼らとともに新しい芸術をうみだそうとしてきた人なのです、新しい文化、新しい芸術を生み出そうと苦闘した人なのだから、もう酒井倫子の物語を書く人になってほしいという挑戦なのです。

 ミステリアスの人生を生きた父上のことを、その父を追うように去っていった母上のことを、両親を失ったとき酒井さんは十九歳だった、そのときからどのように生きてきたのか、そのことを書いてほしい、酒井潤一というやがて大学教授になる人と出会って、朋子という子供が生まれ、そしてこの森の中に大きな借金をして「森のおうち」を建てた、この「森のおうち」でさまざまな出会いがあり、さまざまなドラマがあった、それらのことを書いてほしいという挑戦なのです、この私の挑戦は少しだけ結実していて、私がかつて刊行していた雑誌に酒井さんはすでに百枚ほどの原稿をよせられている、そこに刻み込まれた文体は、たしかに人生を刻み込む深さと力と豊穣なる香りと魅力をもった文体なのです、この作品はあと四百枚ほどの原稿が必要です、ぜひこの作品を書き継ぎ完成させていただきたい、そしてその本が刊行されると、小宮山さんがそうであったように、酒井さんの自己を確立していった物語が、相次いで世に放たれて創造の森が形成されていくにちがいありません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?