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ある官僚の熱く長い戦い

 電子文字が、一行一行が読み切れない速度で壁面に投射されていく。ネットを炎上させたその《つぶやき》をしばらく流していたが、やがて管理官は部下にその投射も打ち切らせると、洋治をまっすぐ見据えた。ぴしりと背筋をたてたこの管理官は、おそらく剣道の有段者なのだろう。まるで道場で、対戦者に対峙したような強い視線をむけて、簡潔に彼の用件を洋治に伝えた。

──相次いで起こったテロ事件は、あきらかにコンピューターゲーム「テンチューレンジャー」に感化洗脳された若者の犯行であり、このような予告声明なるものが、第四のテロ事件を決行させる動機、テロ行為に走らせる衝動のエンジンになることを視野に入れておかねばならい。この犯行予告声明なるものを書き込んだ中学三年生はすでに捕捉されて、そのブロクも閉じられているが、しかしすでに手がつけられないばかりに拡散している。局長暗殺というシナリオがすでに胎動しているかもしれないことを想定しないわけにはいかない。このところ右翼団体の政治活動が活発になっている。新興の右翼団体も相次いで結成されている。こういう状況のなか本日ただいまから局長の身辺警護にあたるので了解していただきい。
 すでにそのとき二十四階にはSPが配置されていた。

 車は地下道を抜けて、首都高速に入った。いつもはそのときから気分が一新されるのだが、助手席にSPがすわり、前後を警察車両にガードされていては、そんな気分にはなれない。それでもいつものようにファイルを取り出すと、そこに綴じられているその日に発行された文部科学省に関連する新聞記事や雑誌記事に目を通していった。

 その日のファイルには七点ほど新聞や雑誌の記事がコピーされていた。読むほどのこともない記事ばかりだったが、毎朝新聞に載っている彼を俎上にした連載記事には目をとめないわけにはいかない。その記事はすでに出勤途上の車のなかで、ざっと読み捨てていたがあらためて目を通した。

 
ある官僚の熱く長い戦い(二)
突然の逮捕、鉄格子の中へ、

 
 文部科学省に入省した寺田は、語学教育開発課という新しい課をつくり、さらに国際言語交流センターを設立していく。現在このセンターには三百人もの外国人スタッフが在勤していて、さらに世界の三十の大学にセンターの支部を置き、日本語の本が英語はもちろん中国語やスペイン語やフランス語などに翻譯されて世界に投じられている。

 今日では夏目漱石の全作品が翻訳されていて、彼の代表作である「吾輩は猫である」や「こころ」などは数人の訳者に手になる翻訳があり、多様な読み方ができる。あるいは水俣の海を生涯かけた描いた石牟礼道子の諸作品は、世界に相次いで起こる公害に苦しむ人々に必ず読まれる世界の古典となっている。もし彼女の作品が彼女の生前中に英訳されていたら確実にノーベル文学賞を受けただろう。あるいは吉田秀和の膨大な作品も翻訳され、彼が到達した音楽論や絵画論は西欧社会では、東方から差し込んでくるまばゆいばかりの光だと驚きの声が投じられている。宇宙開発事業と同等の予算を組み込んで組み立てたプロジェトは、火星にむけて打ち上げるロケット以上の多大な影響を日本と世界に与えている。

 これらの仕事を成し遂げていった寺田は、官僚出世レースの先頭を走っていくように思われたが、しかし次なるポストは青森県弘前市の教育課長だった。この東北の小さな町への出向は権力闘争に敗れての左遷人事だった。しかし寺田にとってむしろその人事は彼の望むところであったかもしれない。というのはその小さな町は、寺田の次なる目的を実現させるための実践の場になったからである。

 語学教育実践地として開発補助金を文科省に計上させると、弘前市の全中学校に翻訳ソフトを装填したパソコンを配布して、「草の葉メソッド方式」とも「セルフ・アクセス・ペアー・ラーニング」ともいわれる今日の英語改革の礎をきずく授業をこの小さな町で実践している。この寺田の実践に熱い視線を送っていたのが熊本知事の柳田隆史で、柳田は熊本県の教育改革の担い手として寺田を引き抜く。

 教育長として赴任した寺田は、大規模な教育改革に着手していく。小学四年生からの英語の授業は廃止になり、かわって中学から週五日、五コマという授業編成でスタートさせる。文科省と全面対決する改革だったが、熊本県知事の熱いサポート、さらには県民からも支持されてその教育改革は展開されていったが、突如として寺田は収賄容疑で逮捕される。


  この記事にも誤解を与える箇所がいくつかある。語学教育開発課や国際言語交流センターの設立が、まるで彼がなした仕事のように書かれているが、その大事業を主導していったのは洋治を文科省に引き入れた久永誠司だった。久永という稀有の官僚がいなかったら、宇宙開発に要するほどの予算を投入したその壮大な事業は組み立てられなかっただろう。

 さらに彼の左遷人事のことが書かれている。文科省内部の権力闘争に敗れたためだと。闇に葬られた事件を掘り起こして記事にしたこの記者の勇気をたたえるが、しかしこれもちょっと違っている。事実はこうだった。文部科学省は文部省と科学技術庁という二つの機構が合併してできたために、その機構のトップである事務次官はたすき掛け方式だった。文部省系の官僚がトップについたら、次は科学技術庁系の官僚に引き渡すという慣例が。

 しかしそのときの事務次官であった久永は、この慣例を打ち破って、久永と同じ科学技術庁系の官僚を登用させようとした。この人物は東北大学工学部の出身だった。文科省はいわば守旧派──文部省出身の、東京大学出身の、さらに国家試験で入省した官僚たちによって主要ポストが握られ、文科省の組織が細胞が守旧派の体質になっている。この体質を変革するために改革派──科学技術庁出身の、地方の国立大や私学出身の、そして学長推薦で入省してきた官僚たちの勢力を伸張させるための人事構想だった。

 それは当然のことだが、この人事構想に守旧派一族から猛然たる反乱の火の手をあがった。その反乱は広がり、文教族といわれる与党や野党の政治家たちをも巻き込んで、久永の構想はつぶされ、さらに台頭していく改革派を弾圧する布陣を敷いたのだった。洋治が東北の小さな町に飛ばされたのもその掃討作戦の一環だった。洋治は久永に愛されていた。久永は洋治を将来の事務次官にするためのレールを敷いていた。だから守旧派にとって、洋治は真っ先に文科省から追放させなければならない人物だったのである。

 かくて洋治は青森県の小さな町に飛ばされた。その地に赴任したくだりがたった四行で片づけられている。しかしその小さな町で過ごした二年間は、彼の人生のなかでもっと平和な充実した日々だった。東工大の学生のとき、荏原中延商店街にある茶屋の二階に開設された「英語の広場」の活動にずいぶんのめりこんでいた。そのときつくりだした充実の日々が、その町でふたたび再現していったかのようだった。彼はもう文科省を捨ててその町に永住しようと思ったほとだった。

 二年後、熊本県の教育長に引き抜かれる。寺田は当初のその誘いを断ったが、柳田熊本県知事は二度も弘前に足を運んできて、熊本県の教育改革を熱く訴えた。熊本県の教育改革が成功すればやがて日本の教育改革に伝播していく、あなたがいますべきことは熊本の地で教育改革の鍬を打ち下ろすべきだと。その熱意に打たれて熊本県に転出し、その地で大胆な改革を次々に打ち出していった。
 そして「突如として寺田は収賄容疑で逮捕される」。この新聞記事は正しい。突如という言葉がまことにふさわしい。まさに寝耳に水の突然の逮捕だった。彼は熊本拘置所の独房に十か月も拘置された。
 
 車は用賀のインターチェンジで降りる。高速を降りると瀬田の大きな交差点に出るが、青信号ならばノンストップで右折して環状八号通りに入っていくことができるが、この夜もまた赤信号で一時停車だった。
そのとき、今朝、局長室の壁面に、警視庁の管理官が暗殺者たちの映像を映しだしたときよぎってきたシーンが、ふたたびもっとリアルによぎってきた。窓が叩かれ、ヘルメットをかぶった若い男が、彼に向って拳銃を打ち込むしぐさをしたシーンが。
 洋治は手にしていたファイルを閉じて、なにやらその男が車の窓を叩くのではないかとちょっと身構えていたが、やがて車は発進した。警察車両が彼の車を前後に挟んで護衛している。これでは暗殺者は近づくことはできない。

 帰宅すると、いつもの通りフィットネスバイクにまたがって、テレビのニュースショーを眺めながらペタルを漕ぐ。彼の身辺に確実に暗殺者たちが確実にしのびよっている。彼は全身でその気配を感じている。その気配を振り払うように激しくペタルを漕いだ。
 寝室に入ると、ベッドの脇においてあるロッキングチェアにすわり、サイドテーブルに置いてある本を手にする。このところ彼が手にするのはメルビルの「白鯨」だった。分厚い原書をぱらぱらとページを繰ると、その長大なストーリーもあと十数ページで閉じられるあたりのページを開き、その英文に目を這わせた。エイハブはモビィデックと遭遇する、その最後の戦いに突入していく場面である。

 

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