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森の奥に立つ叡智の森  Part7

 かつてどの村にも叡智をもった老人がいて、その老人はその村を覆うばかりの葉をつけた一本の巨木にたとえられた。子供や若者はその巨木を見上げながら育ち、大人たちはいつもその巨木に問いかけながら生きてきた。歴史の木である。文化を伝承する木であり、魂を新しい世代に引き渡す木である。その巨木に村は見守られていたのだ。しかし今日ではこのような木は壊滅してしまった。いまや知恵と歴史と魂をたたえた巨木は、町はもちろん、どんな村を訪ねても立っていない。

 歴史を知りたかったらインターネットで検索すればいいのだ。あふれるばかりの情報がコンピータースクリーンに映し出されていく。文化を伝承するとか、魂を引き継ぐなどといったことは余計なことである。古い文化などいまの時代には使いものにならない。旧時代の魂など受け継いでどうするのだ。村の中心に聳え立つその木は、開発や発展を阻害する老害とよぶべきものであり、新しい世代が登場するには邪魔な木であり、こんなものは一刻もはやく切り倒すべきだというわけだ。

 老人とは棺桶に片足を突っ込んだ人であり、やがてこの地上から灰と煙となって消え去る人である。どんなに大きな仕事をなした人も、どれだけ深い知識をもった人でも、老人とはもはやそれだけの存在であるから、あとは棺桶に両足を突っ込む日にむかって、社会の片隅で、周囲に迷惑をかけず、ひっそりと生きよという時代なのだ。時代は激しく進化していく。それは流行とか時流などといったものではなく、社会のシステムや本質がその根底から一変していく進化である。このような激しい進化の時代に、老人はただ消え去るのみであり、それがこの進化の時代における老人の役割である。

 FM放送「名曲の楽しみ」とは、こういう時代に反旗を翻す番組ということになる。いや、そう書くよりも、冒頭で書いたように、その木立につけた葉をふるわせて、この地上を覆う汚染された大気を浄化せんと懸命に光合成をしている番組だと。この番組は音楽を語る番組であり、クラシック音楽が流される番組である。しかし私たちは吉田さんの毎週語られる言葉の背後に、あるいは吉田さんが選曲した音楽の背後に、光合成をなした新生の酸素が大気に漂ってくるのを感じるのだ。時代は澱み、幼稚になり、退化していく。だからこそ生命のかぎりをつくして、この汚れた大気を浄化せんと光合成しなければならないという気配を。

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対話編

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