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時代を切り拓く雑誌をつくるために人間狩りがはじまった

 人間狩りがはじまった。ぼくが最初に白羽の矢をたてたのは立原裕子だった。さっそく彼女を秘密のアジトである倉庫に連れ込んだ。だだ広い倉庫の中は、大掛かりな工事の真っ最中だった。倉庫の中央に広場といったイメージを与える空間があり、そこをぐるりと二層になった部屋が取り囲むようになっている。一階や二階のどの部屋からも天井まで吹き抜けた広場に面していて、その広場こそ世界の中心だと主張しているレイアウトだった。ぼくの部隊が入る部屋ももう決まっていて、二階の角部屋だった。広場のあちこちに積み上げられている建築資材の脇を抜けて階段にあがり、その部屋に入ってみた。
「なんだか秘密基地みたいね」
「ここに入るとゾクゾクしてくるんだ。すごくスリリングなことがはじまるみたいで」
「ちょっとした革命基地になるかもしれないわね」
「そうなんだ。雑誌づくり以上のものなんだ。ここからいろいろな新しい波を起こそうというわけでね」
 ぼくたちは積み上げられた材木の上に腰かけた。
「それで、どんな仕事になるわけ」
「七人の侍なんだよ」
「なあに、それ?」
「立原さんをそのなかに加えたいんだ」
 そこで新しい雑誌のことを説明したが、その口調や語彙がどうしても古田に似てくるのだった。そしてちょっとギャラが高いんだ、ほかよりもずっと高給が支払われるはずだと繰り返した。人はだれでも金の力に抗しえないものだ。
「ホメーロスなんて言葉をきくのはいったい何年ぶりかしら」
「おかしいかな」
「おかしくないわよ」
「古いってこと」
「古くなんかないわよ。それどころかものすごく新しいのよ。だって歴史って、過去から現在に流れてくるんじゃなくて、現在から過去に向かって突き進んでいくものじゃない。つまり私たちにとって歴史ってそういうものなのよ。だからホメーロスなんて先端も先端、最先端にあるわけ。その雑誌、たぶんあたるわよ」
「それはうれしいな」
「歴史というものは、いままで歴史学とか考古学とかいった学問の領域であったわけよ。でもホメーロスの世界なんて、全然学問的じゃないわけ。だからその土地とか空気とか人情とか食べ物とか女の子だとかヌードとかいった日常的なことから入っていったほうが、はるかにホメーロスは蘇ってくるわけよ」
「ちょうどシュリーマンのようにだね。そのシュリーマン的ドラマをどうやってつくりだしていくかだよ」
「日本人の精神は空っぽなわけよ。それでその穴を埋めようといつも目は外へ外へと向っていたわけ。でもその空洞を埋めていくのは、結局自分を掘り起こしていく以外にないわけなの。それには歴史って最高の方法なのよ。だから新古典主義というスタイルはまさにこれからの時代の気分そのものだと思うわ」
 と彼女は言った。もう間違いなく彼女を仕留めたと思った。ところが、
「それ、男性誌なわけでしょう?」
「まあ、そうなるけど」
「それだったら、やっぱり七人の侍は男のほうがいいと思うわ。私には男ってどうもよくわからないところがあるのね」
「しかし、男の視点とは違った角度も必要なんでね。女の側から捕らえた視点というのも必要なんだ」
「それはその時の企画によって、それにフィットする女性を加えればいいわけでしょう。今あなたが必要とするのは、その雑誌の核になる人を集めているわけでしょう。それならばやっぱり男よ。その七人の侍にふさわしい人、なんだったら紹介するわよ」
 こうして赤松仁という男に出会ったのだ。トラベルライターとして世界を渡り歩いては、小さな雑誌にコラムを書いていた。それを読んで心うごくものがあり、彼に会ってみた。会ってすぐにぼくは彼が好きになってしまった。彼はたくさんの戦争を見ていた。この平和な時代に。難民の群れにも、飢餓地帯にも潜入していた。彼はなにやら意識的に硝煙のにおいのする方ヘ、この世の暗黒地帯の方へと足が向いていくと言うのだった。彼の本質はトラベルライターなどではなかったのだ。
「トラベルライターなんて、編集者が勝手につけたんですよ。おれが本当に書きたいのはもっと別の種類のものだけど、今はまったく書けないんですね。おれが見てきたただならぬ世界を描くには、まだおれの言葉は成熟していないと思ってるんです」
 赤松があちこちの雑誌に書いた文章には、なるほどそのただならぬ気配があり、言葉を深いところからくみ上げている。彼と話してその理由がわかったような気がした。ぼくは迷わずに彼を選んだ。彼が七人の侍の最初の一人となった。
 菅谷博之という男と最初に会ったとき、なんだかまるでセンスのない男のように見えた。すり切れたジーパンをはき、黒シャツはいかにも趣味の悪さを語っているようだし、貧弱な髭が顎のあたりにちょびちょびとはえていて、それもまたむさくるしく見えた。こんな野暮ったい男に雑誌の生命を決定するアートデレクターの仕事をまかせられないと思うのだった。
 しかし彼は断っても断ってもやってきた。新雑誌のスタッフを集めているという情報はどういうわけかあちこちに流れていて、自薦他薦の人間がそれこそひっきりなしに芝浦の倉庫にやってくる。その応対にいささかうんざりしていたぼくは、何度もやってくる菅谷にもうそれこそ追い払うような横柄さで対応していたはずだった。しかしそれでも彼はあきらめずにやってくるのだ。
 それはたしか六度目か七度目かの訪問だった。その日彼は、小柄な姿が隠れんばかりの、大学の山岳部で使うような大型のリュックを背負ってやってきたのだ。
「今までのぼくの全作品を持ってきたんです」
 と言うと、そのリュックのなかから、スケッチブックやら絵本やらパンフレットやら雑誌やらをどっと取り出すと、あたり一面に広げた。そのときぼくはこの男のねばりづよさに敬意さえいだいていたから、その作品を丁寧に見ていった。彼は三冊の絵本を出していた。彼の人柄を彷彿とさせるメルヘンタッチのほのぼのとした絵だった。
「あなたは本当はこういう世界に生きるべきじゃないんですかね。もっとたくさんの絵本を出すべきですよ。すごくいい絵本だもの」
「でもそれでは食えないんです」
 そのために小さなデザイン事務所をつくって、種々雑多な仕事をしているようだった。
「しかし雑誌の仕事って、ひっきりなしに締切りで追われますよ。締切り、締切りで。そんな慌ただしい生活が、あなたのもっているこのやわらかい感性とか才能といったものをつぶしてしまうかもしれないな」
「でも一度メジャーの仕事をしてみたいんでんすよ。一番の栄養はメジャーになることだと思うんですが」
 と彼は食い下がってくるのだ。これからはいろんな使い方があると思い、彼のセンスや力量を知るために雑誌のイメージプランを書かせることにした。それから十日ほどたって彼はまたやってきたが、なんと三つの異なったスタイルの試作版をつくってきたのだ。それを見てこの男に賭けてみようと思った。それはちょっと危険な賭けのようにも思えたが。
 危険な賭けといえば、それはおそらくぼく自身であった。都会生活という小さな雑誌の中でしかぼくは仕事をしてこなかった。井の中の蛙もいいところだった。何十人というスタッフを使ったこともなければ、何千万という予算を組み立てたことだってない。こんなぼくに古田が思い描くような雑誌がつくれるのだろうか。冷静になって我が身を振り返るとき、なにか不安と恐怖がよぎってちょっと慄然とするのだった。そしてあのぬるま湯のような都会生活編集部がなつかしくいとおしく思い出された。
 笹森秀夫の最初の印象もひどく悪いものだった。椅子にふんぞりかえって足を高く組んで、遠慮のない視線をむけ、ずけずけと矢のような言葉を放ってくる。こういう生意気な男とは一緒に仕事をしたくないと思うばかりだった。
「それもいいけど、その雑誌なんだか古臭いですね」
 と彼は小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言った。ぼくはちょっとむっとして、
「どうして?」
「新古典主義なるものもいいけど、それだけでは追力がありませんね。それだけのポリシーだったら、ちょっと弱いと思うけど」
 それからぼくたちは雑誌論なるものでやりあったのだ。この男はぼくをねじりふせんばかりの勢いで喋りまくった。そうすることによって目の前にぶら下がった果実を奪い取るかのようだ。
「いまの雑誌はどれも力を失っているんですね。ぼくがいう力とは、現実を切り拓いていく力ですね。それがない。どれもこれも現実に迎合しようとする。現実に迎合することによって部数を伸ばしていこうとする。そういう編集ですね」
「迎合しなければ売れないということもあるさ」
「百万部も売ろうとするなら、迎合する雑誌ではだめなんじゃないですかね。歴史もいいけれど、海外ロケもいいけれど、ヌードもいいけれど、そんなものはどこでもやっているんでね。いまさらというところじゃありませんか。読者っていうのは、やっぱりこの現実を切り拓いていく雑誌を熱烈に求めているはずなんですよ。この時代だって、人がいうほど幸福でも平和でもないんでね。いや、むしろこの甘ったるいすべてをオブラードに包んでいるようなこの時代は、すでに腐りはじめていることを敏感に感じとっているはずですね。だからこの閉塞の時代を突き破ろうとしている。それを雑誌にのぞんでいるわけでしょう。もしそういった読者のハートをとらえたら、それはものすごくパワフルな雑誌になるでしょうね」

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