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人生のデビュー

20020年6月15日号 目次
人生のデビュー
オランダ運河のタカシ通り
大介の朝
演劇の力で町をよみがえらせる
制作のスケッチ

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人生のデビュー

                                   その日、智子ははじめてできた彼女の部下と、新しい仕事の打ち合わせをしていた。そのとき、隣に住んでいる有明家の奥さんから、電話が入ってきたのだ。
「奥さん、ちょっと、宏美ちゃんが、たいへんなのよ」
 なにかただならぬ事態を告げる声だった。
「どうしたんでしょうか」
「もう服をずたずたにされて、泣きながら、帰ってきたの」
 宏美が、なにか事故にでもあい、大怪我でもしたのかと、智子は青くなって受話器をもちなおしたが、その様子を問いただしていくうちに、ようやく二人は落着いて、智子にもそのたいへんという状態がわかってきた。
 なんでもベランダで洗濯物をとりこんでいるときに、声をあげて泣きながら宏美がもどってきたが、シャツが引きちぎられて、胸まではだけ、その様子はだれかに暴行されたかのと思わせばかりの姿だったらしい。驚いた有明は、宏美を彼女の家にいれ、傷の手当をして、娘のパジャマに着替えさせたところだと言った。
「いま、やっと落着いたけど、さっきまで泣きつづけていたの。よっぽどひどいめにあったんでしょうね」
「すみません。いますぐ帰りますから」
 智子はその日、仕事に追われていて、三時には彼女を訪ねてくる人とも会わねばならなかったが、それどころではなかった。彼女はシビックを走らせ、ゼームス坂に戻ってきた。
 宏美は、有明家の居間で、お菓子を食べながらアニメのビデオをみていた。顔や腕や肩口にバンドエイドが貼られていて、それをはがしてみると、爪を深くたてられたのか、後にのこりかねないような深い傷もあった。智子がなによりもショックを受けたのは、引き裂かれた衣服だった。ブラウスが、あとをとどめないほどに引き裂かれていた。
 自宅に連れ戻すと、宏美をカーペットの上にすわらせ、そして智子もかたわらにすわって、
「いったい、どうしたというの」
 このときまた、新しい悲しみとくやしさが噴き出てくるのか、宏美はしゃくりあげながら、その様子を話した。
 その日、教室を掃除する当番が、三班と五班だった。その掃除の最中にささいなことから、由利という子と口げんかになり、一人ではかなわなくなったのか、由利は仲間に応援を求めた。すると女の子ばかりか男の子まで、バイキン、バイキンと騒ぎたてたらしい。宏美はその合唱を止めさせようと、一人一人にむかっていって、そこで殴り合いの喧嘩になったと言った。
 智子は学校に電話を入れたが、担任の宮崎はもう帰っていた。まだ四時前だというのに家に帰ったのですか、と思わず口に出そうになるのをおさえこんだ。
 その夜、何度目かの電話で、やっと宮崎はつかまった。智子は話しているうちにいけないと思いながら、涙声になり、ときには怒りで、声を荒げながら、宏美の様子を話した。しかし宮崎は、そんな智子をさかなでするかのように、
「それは、相手の子供たちの言い分も聞いてみないと」
 とか、
「そうですか。あしたよく事情をしらべてみます」
 とか、なにか他人事のような調子だった。宮崎は少しもそのことを自分の問題としてとらえてはいないのだ。
 智子はまた、はげしく思いをめぐらした。いったいこれ以上、宏美を学校にやる意味があるのだろうか。宏美は毎日学校で、息がくさいとか、バイキンだとか、エイズだとかいった言葉でののしられ、排斥され、無視される。いったいそんな学校に、どんな意味があるというのだろうか。
 いままで、どんなにつらくとも、どんなにいじめられても、いつかかならず道は開かれると思っていた。かならずどこかで、この暗闇から脱出できると。だからこそ、がんばっていきなさい、負けてはいけない、どんなにつらくても学校にいきなさいと言ってきた。しかし状況は悪くなるばかりだった。少しも未来などみえない。
 それはきっと、宏美のクラスが腐敗しているからなのだ。他の子にとってはそうでないかもしれないが、宏美にとっては、そのクラスは腐敗そのものだった。そんな学校にいかせる意味など、まったくないではないか。まちがっていたのだ。宏美の側に立って考えるとき、それはやっぱりまちがっていたのだ。
 智子はこの日、決心した。その夜、十一時前に帰って邦彦に、智子はその決意を伝えた。疲労困憊している身には避けたい話だったが、あらたまって強い調子で言われると、避けるわけにはいかない。
「どうして、それがやめることになるんだ」
「あの子は、これまで一生懸命だったのよ。もうこれ以上、なにをがんばれと言うの。なにに対してがんばれと言うの」
 智子は、興奮からか目に涙がにじませている。
「宏美は戦ったんだろう、十人もの子供を敵にまわして、戦ったんだろう」
「それはちがうわ。男の子と違うのよ。そんな戦いなんて、まったく意味のないことなんだわ。互いに傷つけあって。そんな暴力が、いったいなにになるというの。あの子は暴力のきらいな子よ。幼稚園のときだって、どんなにたたかれても、あの子はけっして手をださなかったでしょう。そんな子が戦うなんてそれはすごいことなのよ。それだけ、あの子の傷が深いの。戦いだなんて。そんなことじゃないのよ」
「だからと言って、それが、どうして学校にいかせないという結論になるんだ。それは脱落することだよ。この社会から脱落させることじゃないか」
「そうよ。脱落させても仕方がないじゃないの」
「どうかしているぞ。脱落してもいいだなんて」
「だってあの子にとって、学校っていったいなんなの。バイキンとか、エイズとか言ってののしられるクラスっていったいなんなの」
「社会には、そんなことがいくらでもあるじゃないか。社会はもっと残酷だ。そういうことを乗りこえることによって宏美は、強くなっていくんだよ。いまここで退いたら、宏美は永遠に立ち直れないよ」
「なにから立ち直るというの。私、わかったのよ。こんな学校、宏美にはなんの意味もないんだってことが。強くだとか、耐えるだとか、そんなことはどうでもいいの。いま宏美に必要なのは、もっとのびのびと生きていくその環境なのよ」
「社会はきびしいんだよ。戦わなければならないときがある。そういうことから背をむけて、生きるなんてことはできないじゃないか。学校にもいかないで、これから家でぶらぶらさせるというのか。いったい近所の人たちはどう思うんだ」
「あなたは、そんなことが心配なの」
「そうさ、社会の顔というものがあるじゃないか。この家が社会につながらない顔になるなんて、たまらないことだよ。そんな結論は、ぼくはぜったいに許せないな。いろんな方法があるはずだよ。学校を代えるとか、いまからでも私立にいれるとか。とにかく学校をやめさせるなんてことは、親の義務を放棄することだ」
 邦彦の言うことは、わかりすぎるほどわかっていた。それまでやはり彼女もそう考えていたのだから。しかしそれは学校にいけない子供の心を無視した大人の見方だということが、いまようやく智子にわかりはじめていた。智子は思った。いま宏美にかぎりなく身を寄せなければならないのだと。
 その次の朝、宏美はおきてこなかった。ぐっすりと眠りこんでいた。どんなに調子がわるくても、律義に起きてきて、お腹が痛いとか頭が痛いとか言うのだが、この朝は深く眠りこんでいる。
(ああ、この子はこんなに疲れていたのだ)
 いよいよ智子は、この子のために、いま一つの大きな決断をすべきときにきたのだと思うのだった。
 その朝の十時ころ、学校から電話がかかってきた。宮崎だった。
「話がありますので、ちょっと学校にきていただけませんか」
「昨日の件ですか?」
「ええ、そうなんです。ちょっとこみいったことになりそうなので」
「その話でしたら、先生のほうから、こられるべきじゃありませんか。いつも先生は父兄を呼び出して。先生ってそんなに偉いのですか」
「いや、そうじゃありませんけど。実はその問題で、平井さんのお母さんからも抗議がありましてね。顔をだいぶ深く傷つけられたと、それはたいへんな剣幕なんですが。それと山本さんのお母さんからも」
 智子はかっとなって言った。
「宏美はどうなんですか。宏美は十人もの子を相手にして、戦ったんですよ。衣服をびりびりに破られて、あちこちに爪をたてられて、体中に傷をつくてきたんですよ。一度、引きちぎられたブラウスをごらんになるといいわ。どんなひどい争いだったか、わかるはずですよ。あなたは、なにもみていない人なんです」
「お母さん、そう興奮なさらずに、ちょっと冷静になって下さい」
「あなたが、あまりにも事態をきちんとみていないからです」
「それじゃあ、午後にでも、こちらからうかがいますが」
「いいえ、結構です。今日は会いたくありません。会えばなにを言い出すかわかりませんから、もう少し時間を下さい」
 そう言って、一方的に電話を切った。

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大介の朝


 また新しい年が明けていった。三十をこえてからの年月は、おそろしいばかりの速さだ。もう長太は三十五になっていた。その年の流れが、長太をぞっとさせ、いったいおれは、どこにいくのだろうかと思わせた。糸の切れた凧のように、流されるままだった。不安が彼の心を灰色にしていく。彼をそんなふうに落ちこんだ気分にさせたのは、大介の母親がまた入院したことと無縁ではなかった。
 長い闘病生活から帰還してきた時子は、また病院に舞い戻っていったのだ。その話を大介からきいたとき、悲しみと怒りのないまじったものが長太の心をどこまでも暗くしていった。なぜなのだろうと思った。なぜあんな素敵な人が、この世から立ち去っていくのだろうか。天のしわざは、不公平だと呪った。
 大介がおかしくなった。おかしいとしか表現できないほどの変わりようだった。塾に早くからやってきて、長太に与えられた課題を一心に取り組んでいく。それが終わると、もっと問題をだしてとまで催促するのだ。いままで、いやいやながらやっていた。わからない問題になると、さっさとあきらめていた。それがわかろうと食いついてくる。漢字の練習だってそうだった。なんどもなんども書いて完全に書けるように努力している。
 そんな大介をみて、長太は思うのだ。いまお母さんが入院して癌と戦っている。大介もまたなにかと戦おうとしたのではないかと。大介は四年生なのだ。そんな心の動きをしてもおかしくない。そんなふうに思えて長太は涙ぐんでしまうのだった。
 それはちょうど、三学期が終わった日だった。その夜、大介の父親がゼームス塾にやってきた。彼と会うのははじめてだった。背がひょろりと高くて、ぶっきらぼうで、ぺこぺこするばかりの人だった。
「病院にいきましたら、うちのやつが先生に会ってこいと言うもんですから」
「ああ、そうですか」
 そこで時子の様子をたずねるべきなのだが、長太は、怖くて訊けなかった。そのことに触れまいとするように、
「大介は、元気でやっていますよ。素晴らしく燃えていますよ」
「その勉強のことですが‥‥」
 学校から、電話があったと利夫は言った。いま山形から、利夫の母親がやってきていて、大介の面倒をみているらしい。電話に出たその母親に、大介の担任の国光が、なにやらものすごい剣幕で、いますぐ学校にきて下さいと告げたらしい。
「いったい、なにがあったというんですか」
「通信表というんですか、あれを大介が破っちまったと言うんです」
「通信表をですか」
「なんだこんなもの、なんだこんなものって、もうめちゃくちゃにそいつを破っちまったらしいんです」
「破った」
「大声をあげて、泣きながら破っちまって。それでもう大騒ぎになって、先生がとんできてさんざんぶんなぐられたらしいんです」
「先生がそう言ったのですか」
「いや、大介がそう言ったのですがね」
「ああ。なるほど」
「それで自分の母親が学校にいくと、ぜんぜん反省してない、ちっとも悪いと思っていない、なんという子でしょうか、この子の将来のために絶対に許すことはできませんと言われたらしいんです」
「その先生の言いそうなことだな」
「それで、とにかくこれはとても大事なことで、おばあさんでは話にならないから、明日お父さんが大介を連れて学校にきて下さいと言われたらしいんです」
 その日の夕方、利夫が病室にいくと、時子はしきりに大介の通信表のことをたずねたらしい。昨日大介がやってきて、目をきらきらと輝かせ、成績ぜったいに上がっているから待っていてねと言ったのに、その日はとうとう大介は姿をみせなかった。ということはまたいつものように成績が悪かったのだろうと思い、大介がきたらそんなことでくよくよしないでね、お母さんは大介の未来を信じているんだから、と励まそうと思っていたと言うのだ。
「それでそのことを奥さんに話したんですね」
「こんな話をしてはいけないと思ったのですがね。あいつはとっても悩むから」
「しかし話したわけですね」
「そうです。もうぽろぽろ涙を流して、あたしがいけなかったの、あんなことを大介と約束したからいけなかったと言うのです。大介は女房に、もしぼくの成績が上がったら家に戻ってきてくれるねと言ったらしいんですよ。もしぼくの成績が上がったら、お母さんは元気になってもどってくるねって」
 そういうことだったのか。謎が解けた。あんなに大介ががんばりだしたのは、そういうことだったのか。
「最初、大介は全部成績をあげてみせる、全部五にしてみせるって言ったらしいんです。うちのやつ笑って、そんなのむりよと言って、一つだけでもいいのよ、一つだけ上がったらいいのよって。そしたら大介は、じゃあオール三でいいね、それでお母さん家にもどってくるねって」
 そんなことができるわけはなかった。一をとっている子がいきなり三をとるなんて。それは奇跡をおこす以外にない。しかし大介は奇跡をおこそうとしたのだ。
 長太をもっと悲しくさせたのは、大介はもう母親が帰ってこないことを、本能の底で知っているのかもしれないという思いだった。もはや母が、彼の手のとどかぬ、遠い彼方に去ろうとしている。その母をとりもどすには、奇跡をおこす以外にない。彼はそのために、自分に、そんなきびしい試練を課したのではないのかと。
「うちのやつ、ぽろぽろと涙を流しながら、あたしがそんな約束をしたから、いけなかった、なんて馬鹿な子なんでしょう、そんなことが無理なことが、どうしてわからないんでしょう、そんな成績のことなんてどうでもいいことなのにって言うのです。それで、塾の先生のところにいって下さいと言われまして。ぜひ先生に会って、このことを全部話して下さい。あの先生なら、学校の先生にどんなあやまり方をすれば許してくれるか、ちゃんとアドバイスしてくれるからと言うもんで、まあ、それでおうかがいしたんですが」
「お父さん、ぼくも明日学校にいきますよ」
「えっ、だって」
「いや、いかせて下さい。ぼくにも話すことがあるんですよ」
 その夜、長太は眠れなかった。考えれば考えるほど怒りにとらわれる。しかし冷静に考えなければならなかった。考えなければならぬことがいくつもあった。
 その先生は、評判の高い教師だった。四十代の半ばに入って、いまあぶらがのりきっている教師だった。例えば、彼女の受けもったクラスは、私立中学にいつも高い合格率をみせる。昨年などは、私立中学に、二桁もの合格者をだしている。その力は、授業参観日などにいくと、一目瞭然らしい。あっちでペチャクチャ、こっちでペチャクチャと、ざわざわ騒がしいクラスが大半のなかで、国光のクラスだけは、なにか怖いほどの静粛さと緊張が漂っているという。授業を参観している親たちも、息苦しくなるというのだ。こういう雰囲気をつくりだしていくには、たった一つの方法しかないのではないかと、長太には思えるのだ。あの騒がしい悪魔の子である子供たちを黙らせるには。
 教室のうしろの壁には、忘れ物のチェック表が貼られている。教科書、ノート、宿題などからはじまって、ハンカチからチリガミヘと、その数は三十近くにのぼるらしい。忘れ物係がいて、毎日チェックして、その結果をその表にのせていく。大介などはその回数が、二百をこえて、クラスの断然トップだと自慢していた。班体制による競争も激烈なようだった。勉強も、遊びも、給食を食べることも、すべて班によって競争させるらしい。

 子供たちが、班ごとの活動に燃えていく理由は、いくつもあるのだろうが、その一つにちょっと過酷な罰を課しているらしいのだ。例えば、漢字テストなどで、最下位になった班は、その週は学校から帰ると、どこかの家に集まって、全員で復習しなければならないらしい。もしその規律を彼ったら、もっと過酷な試練が、その班に課せられるというのだ。
 長太が陰湿だなあと思うのは、例えば、宿題を忘れると、その日はぜったいに外に遊びにでてはならないという、罰が待っているらしい。しかしそんな罰を破っても、もう学校外のことだから、先生に発見されることもないのだ。しかし子供たちは、その罰を実に厳格に守っている。それは子供たち同士が、互いに監視しているからだった。罰をうけた子が、外で遊んでいるところを見たら、必ず先生に報告する。報告することが奨励されているようだった。その報告した子はほめられ、ルールを破った子には、さらに過酷な罰が待っているというわけだ。
 長太だって、ときにかんしゃくをおこして、子供たちを愛の鞭だなどと言って、叩くことがあった。子供たちに、暴カをふるのはよくないと論じる人たちがいるが、そういう人たちは、たぶん子供たちのいやらしさと、接触していないからだと長太は思うのだ。子供というのは、天使などというものではない。むしろ悪慶の子だった。たくさんのいやらしさと醜さとをもっている。甘ったれていて、わがままで、乱暴で、平気で人を傷つけ、現金で、約束をすぐに破り、調子がよくて、ずるくて、と数かぎりなく、長太は子供たちの悪口を言い立てることができる。そんな悪質な性格をもつ子供たちが、なぜか年ごとにふえているように思えるのだ。
 だからなにも、国光のやり方が、すべて間違っているとは思えなかった。子供たちを、ときにはげしく叱らなければならないときもある。過酷な罰を与えて、彼らの心と体と対決しなければならないときだってある。しかし国光のクうスは、そういうものとはちがった、もっと別の論理とか思想で成り立っているように思えるのだ。激しい競争、過酷な罰ゲーム、緊張と統制。なにかファシズムといったものを連想させる。しかし多くの母親たちには、この教師は圧倒的に支持されているのだ。とりわけ、わが子を、有名私立中学に入れようとしている母親たちには、熱狂的と思われるほど支持されている。
 そんなことを考えていると、長太はいつまでも眠れなかった。彼がやっと眠りについたときは、夜がしらじらと明けはじめていた。

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オランダ運河のタカシ通り


 事故は、その夜の十一時頃おこった。張り込んでいたパトカーの追跡され、中田という友達を後ろにのせていた高志は、その追跡を振り切れきれると思ったのか、猛然と逃走した。ウンドリ橋からのびた交差点をまがって、走り抜けようとしたとき、ふらふらとハンドルをとられ、ガードレールに激突した。高志は首の骨を折って、即死状態だったが、うしろに乗っていた中田という友達は、ガードレールをとびこえて草の上に投げ出され、ほとんど無傷だった。 
 その四人は、口々に、そのことを高志らしいと言った。あいつは、自分のことよりも、まず仲間のことを考える男だったと。
「不思議な子だったんだね。水曜日にそこにきて花を挿すのも、だれがやるときめているわけじゃないらしいんだ。いつもだれかが水曜日になると花を挿していく。それはすごいことだぜ」
「そうなのか」
「彼はずいぶんん顔が広かったらしいね。あちこちで喧嘩をして、しかし喧嘩をするたびにその相手と友達になったらしい。昼間はガソリンスタンドで働いて、夜は定時制高校にいってたらしいんだが、その四人連れは、あいつは定時制高校の星だったと言っていたね。例えばだれかが学校を休むと、彼はバイクを飛ばして休んだ子の家に迎えにいったと言うんだ。その休んだ子をバイクに乗せてもどってくる。校庭に走りこんでくると、ププププとホーンを鳴らしてね。すると教室の窓が開いて、わあっと喚声があがったらしいよ。そんなわけで、彼のクラスでは学校をやめる人間がほとんどいなかったと言っていたね」
 あのときの高志の姿が、目に浮かぶ。真奈美を毎朝、学校に連れていったあの高志の姿が。
「みんなに愛されていたんだな。実に不思議な子だね」
「そうなんだ。ぼくにとって彼は風の又三郎だったと思うんだ」
「どうやらあの通りを、タカシ通りと命名しなければならないかもしれないな」
 と長太が言った。
 次の週の水曜日、今度は弘が、その場で朝から待っていた。ちょっと夏の活動の取材にでかけると告げて、児童館を出ると、ウンドリ橋を渡って、そのガードレールがよくみえる位置の堤防の上に座って、本を開いた。そうやって、あたりをうかがいながら本を読んでいると、一時間もしないうちに、バタバタと赤いへルメットをかぶった女の子がバイクでやってきた。バイクをとめると、彼女はシートをもちあげ、なかから花束をとりだした。
 弘は本をたたんで、彼女のもとに飛んでいった。突然あらわれた弘に、その子はびっくりしたようだった。
「ごめん。驚かして。ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんですか」
 ヘルメットを脱いだ女の子は、なかなかかわいい子なのだ。
「その花は、高志のためなんだよね」
「ええ、そうですが」
「その高志のことを、ちょっと聞きたいんだけど」
 弘は児童館で出会ったころの高志のことを話し、その後の高志のことを知りたいのだと言った。
「高志ってえ、もっているものをみんなに与えて風のように去っていった子でえ‥‥」
 こうして、彼女は話しはじめた。
「あたしはD女子学院にいってたんだけどお、だけどいろんないやなことがいっぱいあってえ、学校にいかなくなっちやってえ、いろんなことがあったけど一番いやだったことは家庭がめちゃめちゃになったことでえ、父は愛人をつくって家にたまにしか帰ってこないしい、母まで愛人なんかつくりだしちゃってえ、もう家のなかめちゃめちやでえ、そんなわけであたしまで狂ったというか、なんだろうって、家庭ってなんだろうって考えたりしてえ、とにかくめちやくちゃになったというか、自分がなんだか狂っていくなって思ったりしてえ‥‥」
 その子は、とぎれること言葉を吐きだしていく。弘とはもう何年も前からの、知り合いであるかのように、話していくのだ。
「それでもう、これはグレる以外にないなって思ってえ、もう一生懸命グレようって男の子とつきあったりしてえ、その一人の男が高志と喧嘩になってえ、それで彼と高志とが友達になってえ、それであたしは高志とつきあうようになっていったんだけど、だんだん高志と会うことが多くなってえ、それでいやなこととか、いろんな夢とか家庭のこととかを話していてえ、親のことになってえ、あたしがあんな親なんて死んじまえばいいんだって言ったら、高志が明日面白いところにいこうというから、いいよって言ってえ、高志にその日に会いにいったらそこに彼のおじさんという人がいてえ、それで三人であそこは拘置所って言うんですか、刑務所みたいな所に連れていかれてえ、小さくてすっごく陰気な部屋に入っていくと、そこに金網みたいなものがあってえ、そのむこう側に人が入ってきて、その人がこの人だれって言ったら、高志が、おれのダチって言ったら、その人はそうかと言ってなんだかさびしく笑うとしくしくと泣きだしてえ、それでえ、その泣くのがなかなかとまらなくてえ、高志はおやじ泣くなよって言ってえ、あたしはなんだかすごく胸がつまってきてえ、どっと涙があふれてきてえ、自分のこととか父のこととかが思い浮かんできてえ、あたしの家族って壁のようなものだと思ってえ、そのあとで高志はその人のことを話してくれてえ、おやじはちんぴらのくせに、喧嘩もできねえ弱い男だと言ってえ、足を洗おう洗おうと思いながらいつまで足が洗えなくて、でもおれはおやじが好きでえ、おれはおやじの面倒をみてやろうなんて話してくれてえ、そんな話しきいて、やっぱり親子ってどんなに悲惨であっても、心がつながっていなければいけないんだと思ってえ‥‥」
 いまとても奇妙な子供がいる。話しはじめたら、止まらないという子が。えんえんと二十分でも、三十分でも、話し続ける。終止符というものがなく、それでえとか、思ってえとかといった、現代の接続詞とでもいうべきものでつないでいくのだ。
「それでえ、高志がおれの学校にこないかっていうから、いやだあ、定時制ってくずのたまりばでしょうと言ってえ、あ、いけない、こんなこと言ってえと思ったら、高志は怒らないでえ、まあおれたちはくずだけど、だからとっても仲間を大事にしているって言うから、あたし一度定時制に遊びにいったんだけどお、すっごくよくてえ、みんなやさしくてえ、先生なんかも面白くてえ、みんなが仲間だっていう雰囲気で、ああ、いいないいなって思ってえ、だから高志のお葬式のときはもうすごい数でえ、その定時制の子たちもいっぱいきて、みんなわんわん泣いて、高志をのせた霊枢車が走りはじめると、みんなが高志って叫びながら一緒に走り出したりしちゃってえ、高志って走っていって、なんだかもっているものをみんなにばらまいていったという感じでえ、いつもここにくると心がすっごく落着いて、不思議なほど心が静かになって、ああ、あたしは高志に見守られているんだなっていう気分になってえ‥‥」
 弘は、その子の切れ目なく続く話をききながら、そうだ、この子たちと一緒に、高志の追悼集というものを作ろうと思うのだった。

                完

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 演劇の力で町によみがえらせる

アメリカのオレゴン州にアッシュランドという町がある。アメリカのどこにでもあるような人口九千人の人々が暮らす平凡な町だった。この町に今から八十年ほど前に、学芸会のような芝居を行なうグループが現れる。この小さな演劇活動は、次第に村人たちに広まっていって、やがて町や婦人会がスポンサーになって野外劇場を建設された。そして夏の十日間、そこでシェークスピア祭を組み立てるほどに発展していくのだ。

 毎年くりかえされるこの公演は着実に成長していき、やがてアウガス・パウマーという大学教授がこの活動に加ってくると、この小さな演劇祭はたんなる村芝居的な活動ではなくなっていった。というのもパウマー教授は、この会場で、シェークスピアの原典の台本を使って、本格的な演劇づくりをはじめたからである。それまでのシェークスピア劇は、さまざまな理由から、変形されたものだった。それを教授はすべて原典を使っての劇に仕立てて、この会場の舞台にのせたのである。この活動に大きな資金が投じられ、その祭典の内容も充実していき、現在ではなんと二月から十月まで八か月間、町の野外舞台でシェークスピア劇が演じられる。連日一千二百もの席は埋まり、一年間の観客動員数は二十八万人にものぼるという。この公演が一つの産業として成長し、減る一方だった町の人口はふえつづけ、いまでは一万四千人にもなった。

 日本の村おこしは、三、四日のイベントのみで、村に根づいた産業になっていない。しかしこのシェークスピア劇の期間は、それと比べて大変驚かされる。しかもこの演劇祭は、アメリカの片田舎で行なわれているのである。このへんぴすぎる田舎ヘ、年間二十八万人以上の人を呼び寄る魅力ある輿行に、シェークスピア劇場を仕立て上げたのである。その発端が、夏休みを楽しむために手助けをした婦人会の小さな遊び心だったこと、そしてそれを本物にした教授の執念にも驚かされる。

 いまでは演劇というものは、プロか、あるいはセミプロといった特殊な人々の活動になってしまったが、つい百年までの日本の社会では、演劇は人々の日々の暮らしのなかに存在していた。古典的名著である清水三男著「日本中世の村落」(岩波文庫)のなかで、清水は『村人と芸能』という章を、「明治四十年、長塚節が佐渡が島に旅をしたときの紀行文に《漁村の能》というのがある」という書き出しではじめていく。

「木立ちのなかの大きな寺で、村人が能を奉納している。辺境の地にこんな催しがあること自体、大変な驚きであるが、演技者が村の桶屋や石屋や宿屋の主人であり、それぞれが品位と深みをたたえ、見物する村人たちもまた鋭い鑑賞力をもっていることに、驚異の目を見張った」という長塚の紀行文から、清水は日本の演劇の源流である田楽や猿楽が、神事と結びついて農村に誕生したという論を展開していくのだが、それ以前に横たわるは、おそらく演劇のもつ根源的な力にあるはずなのだ。

人々の暮らしは貧しくつらい。収穫の七割から八割も召し上げられていく。働けど働けど生活は豊かにならない。旱魃が、冷害が、洪水が次々に襲いかかる。飢えに苦しみ、家族が病に倒れ、自分もまたいつ倒れるかもしれない。前途に横たわるのは不安ばかりである。そのとき人々のなかに演劇が立ち現れていくのである。くじけてはならいと、希望をもって立ち上がれと。演劇は人々の精神を屹立させていく魂の道具であり、その魂の道具によって、前方に立ち塞がる闇を切り開いていく勇気や活力を、人々を取り戻していくにちがいないのだ。

対話編
──ペストを黒死病なって訳されているけど、どうしてだか知っていた?
──この伝染病にかかって発病すると全身に黒い斑点ができて死んでいくからだろう。
──そうなんだ。なんでも中世のヨーロッパでは、このペストが何十年周期で発生して、それはものすごい勢いで全土に広がって、二千万だった人口が半分になったという記録もあるらしい。
──そのペストが、オーバーアマガウという小さな村におそいかかるわけだね。
──そう、村民がつぎづきに発病して死んでいく。そこで村人たちは懸命に神に祈るわけだわ。「われらの村が絶滅することなく守られたなら、われらはイエス・キリストの受難と死と復活の劇を、十年に一度演じていきます」と。
──神にこの村を守ったということか、この村は絶滅することなく救われた。そしてその最初の劇がこの村で行われたのが1634年だった。
──2020年に42回目の上演がされる。実に四百年近く演じられているんだよな、どうだい、君、いってみないか。
──いってみたいね、五月から十月、毎日上演されるというから、今から予約すると席をとれるんじゃないか。演劇の力というものを間近で見てみたいな。
──そう、演劇の力だ。演劇には町や村を再生して力がある。原発爆発という大災害に見舞われて、再生に苦しむ町や村を訪れるたびに思うのはこの演劇の力だ。                              ──演劇というのは、文学や音楽や美術やダンスなどからなる総合芸術だよな。しかしその総合芸術を起こす住民が村や町に帰ってこない。その演劇の中心を担う青年たちがいない。
──あの原発爆発で町や村を襲った悲劇は、すべての日本人が担うべきなんだ。だから力をもった芸術家たちこそ、悲劇の地に移住して創造活動をすべきだと思うんだがね。
──そういえば、東北はイーハートブの国だ。宮沢賢治はイーハートブ語でこう呼びかけている。
──そのイーハートブ語を、英語に翻訳してくれるか。
──オーケー、たどたどしいでたらめ英語だけどね、やってみるよ。《宗教は疲れて近代科学に置き換えられ、しかも科学は冷たく暗い/芸術はいまわれらを離れ、しかもわびしく堕落した/いまやわれらは新たな正しき道を行き/われらの美をば創らねばならぬ/芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/ここにはわれらの不断の潔く楽しい創造がある/都人よ、来ったわれらに交われ》ってね。
──もっとその詩は続くよね。
──そう。《われにはいかに着手し、いかに進んでいったらいいか/世界に対する大なる希願をまず起こせ/強く正しく生活せよ、苦難を避けず直進せよ/なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ/風とゆききし、雲からエネルギーをとれ/おお朋だちよ、いっしょに正しい力をあわせ/われらのすべての田園とわれらのすべての生活を/一つの巨きな第四次元の芸術に創り上げようではないか》

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 風が唸っている。外は猛烈な吹雪だった。ケータイが鳴り出した。商品を運び込んでくるドライバーからの電話に違いない。降り積もる雪で道路が消えてしまって、配送できないという電話なのだ。大雪が降るたびにそういう事態になった。手を伸ばしてケータイを取ろうと朦朧とした意識の中でもがいていると、呼び出すことをあきらめたのかケータイは切られた。

 稲穂は一世紀を生きた老人だった。老人は昨日のことはさっぱり忘れてしまうが、何十年前のことをありありと蘇らせることができる。夢のなかにも遠い過去のことが鮮明にあらわれてくるのだ。ケータイの発信者は、商品を配送するドライバーからのものだと朦朧とした頭の中で思い浮かべたシーンは、なんと七十年前の話しだった。原発が爆発して坂北村に死の灰が大量に降り注ぎ、全村民が避難させられた。彼女の一家は東京に移住した。しかし二十六歳のとき、坂北村に帰還してコンビニエンスストアーを開いた。赤字続きのストアーだったが、坂北村が復活していく拠点の一つになっていった。

 これが死なのだろうか。人がこの世を立ち去るとき、その人生のすべてが一瞬のうちに回想されるというが、その生を織りなした人々がランダムに次々にあらわれてくるのだ。生の炎が消えかかっている、その炎を消すまいとするかのように。

 軽トラックが森の中を走っているシーンがあらわれた。運転しているのは坂北村の伊藤村長だ。ヤマセに苦しむ村に、ビニールハウス栽培農業を導入して、豊かな村に変革していった村長だった。敬老センターと保育園を共存させた「希望の家」と名付けられた建物があらわれる。村長は車をその建物の前で止める。全村民避難となってその建物にも人の気配はない。村長は奇妙な風体をしている。初夏だというのに厚手のオーバーを着て、毛糸のマフラーまで首に巻きつけているのだ。助手席のドアをあけ、灯油をいれたポリタンを取り出す。そのポリタンを右手で左手でと持ち替えながら、その建物の正面玄関へと向かっていく。その玄関には前庭といったスペースがあり、そこで村長は灯油を全身に注ぐと、オーバーのポケットからマッチを取り出した。マッチ棒を箱にこすりつけると一瞬にして火が燃え上がり、村長の全身が火だるまになった。そのシーンがまるで目撃したかのようによぎっていくのは、彼女はそのシーンを短編小説に刻み込んでいるからだった。

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