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光を求めて──いじめに苦しんだ私の物語Part24

あいこの4

《草の葉メソッドによる日本英語の私塾》のテキスト。日本の物語を世界の人々に伝えるために、翻訳ソフトを駆動して英文に翻訳しなさい。

これはまた「グーグル」の翻訳開発チームへの挑戦でもある。現在の翻訳ソフトは、新聞記事やエッセイや論文などの翻訳精度は高いが、文学的表現はまだまだ稚拙の領域である。この文学的表現の精度を上げるには、すぐれた翻訳家たちの翻訳本を広く採集して、その魔術的な技をそのシステムの中に組み込んでいくべきなのだ。

これはまた中学校の英語教師たちへの挑戦でもある。英語に文法などというものは存在しないのだ。存在しないクソ文法を生徒たちに教授している愚かさにいったいいつ覚醒するのだろうか。翻訳ソフトを使えば、中学生たちはこのようなストーリーを英文で書いたり話したりできるのだ。

これはまた中学生たちへの挑戦である。現在の学校で使われている英語の教科書を点検してみた。光村図書、東京書籍、三省堂、開隆堂、学校図書、教育出版の教科書を。すべての教科書は会話体で形成されている。

ケン、何かスポーツするのが好きですか?
はい、ぼくはバレーボールをするのが好きです。水泳も好きです。
へえ、すごいですね、水泳部に入っているのですか。
いいえ。でも、私は毎週日曜日にスイミングスクールに通っています。

こんな安っぽい、空々しい英会話が、一年生の教科書から三年生の教科書まで一貫して貫かれている。こんな会話は英語ではない。英語でない会話を日本の中学生たちは学んでいる。

もう無駄な英語教育はやめてください  中学校三年 木村義人
私たちは、英語を自由に話すことができる人間になるために、英語の勉強をしているのです。ですからもう文法英語や受験英語を教えることをやめて下さい。それがどんなに役に立たない無駄な勉強であったかは、私の父と母が見事に証明しています。私の父も母も学生時代に英語を一生懸命勉強したと言います。通算したらそれこそ何百時間どころか何千時間、何万時間にもなると言います。それなのにまったく英語が話せません。英語の新聞も本も読めません。
こんな無駄な英語教育をいつまでつづけるのですか。私たちはもうこんな英語教育を拒否します。私たちは英語を自由に話せる人間になりたいのです。そのためには先生たちは何をしたらいいのか。英語の授業を私たちが英語を自由に話す授業──「草の葉メソッド」に切り替えることです。
いま私たちは翻訳ソフトを外付きの英語脳として活用することをはじめました。翻訳ソフトこそ私たちの英語を先導していくのコーチであり、インストラクターであり、教師なのです。この翻訳ソフトを駆使すればどんどん英語が話せるようになります。私たちはびっくりしています。私たちは英語の先生たちに告げねばなりません。翻訳ソフトの登場で、文法英語と受験英語を教えるという先生たちの仕事は終わったのです。
言葉は文法で成り立っているのではありません。言葉を文法から教えるなんてそもそも間違っているのです。そのことを自覚して下さい。先生たちにとって人生の根幹を揺さぶる大事件でしょうが、勇気をもって英語の授業を一大転換して下さい。お願いします。

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 光を求めて──いじめに苦しんだ私の物語   Part24


 先生は小野君を保健室に送り出したあと、そのことにはなにもふれなかった。それでこの朝の事件は、そのまま終わらせてしまうのかと思ったが、そうではなかった。小野君が保健室から戻ってくると、先生は小野君をかたわらに呼んで、ポケットから黒いナイフを取り出した。そしていままで見せたことはない厳しい表情で話しはじめた。

「これは肥後守(ひごのかみ)というナイフなんだよ。折り畳み式のナイフだね。こうして開くと、ほらナイフだろう。これを小野に渡しておこうと思うんだよ。そのことを君たちに知っておいてもらいたいんだ。この肥後守というナイフは、昔の子供はみんなもっていた。筆箱のなかに必ずはいっていたんだ。鉛筆削りなんていう便利なものはなかったからね。みんなこのナイフで上手に鉛筆を削ったものだよ。鉛筆だけでない。いろんなことにこのナイフを使った。木を切ったり、リンゴの皮をむいたり、釣りの仕掛けをつくったり、山のなかに秘密の基地をつくったり。

子供たちはナイフを使うのがとても上手だったんだ。でもぼくの子供の頃は、もうこんなナイフはなかった。いまと同じように、学校にはナイフなんて持ってきてはいけないという教育が、はじまっていたからね。じゃあどうしてこんなものを先生は、いまでも大事に持っているかというとね、これには長い物語があるんだよ。ぼくにとってとても大切な物語だ。ちょっと長くなるけど聞いてくれるかい。

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After sending Ono-kun to the infirmary, Yoshinaga-sensei didn't mention anything about it. So I thought that this morning's incident would be over as it was, but it wasn't. When Ono-kun came back from the infirmary, sensei called ono-kun to his side and took out a black knife from his pocket. Then he began to speak with a stern look he had never shown before.

"This is a knife called Higonokami. It's a folding knife. If you open it like this, you'll see it's a knife. I will give this knife to Ono. I will tell you that. I want you guys to know that. This Higonokami knife was something that all children used to have. I always had it in my pencil case. There was no such thing as a pencil sharpener. Students used to sharpen their pencils very well with this knife. Not just pencils. We've used this knife for many things. Cutting trees, peeling apples, building fishing rigs, building secret bases in the mountains.

The kids were very good with knives. But when I was a kid, there were no more knives like this. Just like now, education had begun to tell students not to bring knives to school. Then why does Sensei still keep such a treasured item? There is a long story behind it. It's a very important story to me. It's going to be a little long, but will you listen to me?

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