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その絵本と出会ったとき、ぼくは大人の絵本館をつくろうと思った

十年ぶりに安曇野を訪れたのだが、そこで私は一つの衝撃を受けるのだ。安曇野絵本館が消えていた。安曇野の森に、廣瀬さんが夫人とともに何千個、何万個という石を積み上げて、その砦の上に夫婦で組み立てていった絵本館だった。そのあたりのことを、廣瀬さんは自らの手で刊行したスタシスの絵本「MASK」のあとがきでこう記している。

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東京で生まれ育った私が、今、安曇野という地で生活をしています。それも絵本を生活の糧にして、家族共々、この地で生きています。
とにかく、素直に気持ちよく生きていたいという想いが絵本にあり、安曇野の地を選ばせたのです。そして今、素直な気持ちで、全くの等身大で生きていられます。そうしたなか、様々な人々との出会いがあって、安曇野の地、自然、そして絵本、その中で巡り逢った人々はみな優しい気持ちを私たちの中に残してくれました。
無論、様々な絵本との出逢いも私たちを幸せにしてくれます。絵本の世界を「子供のためのもの」とか、女性の乙女心をくすぐる「メルヘンの世界」という概念に縛られて、奇妙な照れと戸惑いが、私の中に正直いってありました。

そんな時、スタシスの絵本と出逢いました。その瞬間、私の体は熱くなり、頭の中が震えはじめたのでした。スタシスの描く幻想的でシュールな絵柄は、すぐに私を虜にしたのです。彼の描く人の眼がジーッと私を見据えます。静かで、暗く、重く、内向的なのに‥‥。眼が素直に優しく私を見つめるのです。その眼はいつかどこかで出逢った優しく無垢な眼なのです。たぶんそれは汚れを知らない赤子のものであるし、動物のそれと酷似しているのです。
寂しく、憂うつな色調の中に妙に救われる誠実な想いがそこにありました。どの絵を観ても無表情で暗い。しかし、眼だけは優しく慈愛に満ちて語りかけてくれるのです。

彼の絵は、私の中で絵本に対する照れや戸惑いを見事に払拭させてくれました。大人の絵本館として、絵に込められた作家の熱い想い、メッセージを一枚の絵の中に感じ取っていただこうと、その時開館の意を決したのでした。
開館間もなく、友人から「スタシスの新作MASKのシリーズがあるのだが観てみないか」との情報が入りました。「是非!」と即答したものの、あのスタシスの原画が、それも未発表のものが、私個人の所へ送られてくるなんて思いもよらぬ驚きでした。送られてきた包みをはやる気持ちを抑えながら開くと、まぎれもなくスタシスの描いた「MASK」がそこにありました。
一枚一枚静かに観ていくと、やはりそこにあの優しい眼がありました。そして、相変らず私の体は熱くなり、身震いがするのでした。

遠く離れたポーランドで活躍しているスタシスの原画との出逢いが、絵本館を生活の場としたおかげで、それまで思ってもみなかった出版に実現させてくれたのです。
これからもここを訪れてくれる様々な人々とのであい、絵本作家たちの出逢いをますます大切にしてゆき、この安曇野絵本館を内外問わず各国の作家の個展の場にと、そして共鳴、共有してくれる訪問者の憩いの場にしていただけたらと思っています。そうした出逢いの中で、今回のスタシスの「MASK」のような本づくりもできる限り実現させてゆきたいと思っています。

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廣瀬さんの高度なセンスで刊行されたこの大型絵本は、いまでは古本市場では十万円の値がつくだろう。廣瀬さんがこの地上に残した足跡の一つだ。廣瀬さんはまぎれもなく本物の仕事をした人だ。本物の仕事をしてこの世を立ち去った。この不毛の大地に今日もまたあなたの苗木を植えこむ。この苗木は時間ととも消えていくのではない。時間とともに成長して苗木なのだ。

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こきはしと

なんかのまなんかす

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はすいてんか

としいなとと




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