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子どもたちが、自分の中にしっかりとした根をもつために、痛みをともなう愛を知るために

美智子皇后基調講演   4
子供の本を通しての平和──子供時代の読書の思い出

 
 
「世界名作選」の編集者は、悲しく心の沈む「絶望」の詩と共に、こうした心の踊る喜びの歌を、その選に入れるのを忘れてはいませんでした。ロバート・フロストの「牧場」という詩は、私にそうした喜びを与えてくれた詩の一つでした。短い詩なので読んでみます。
 
牧場
牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。
ちょっと落葉をかきのけるだけだ。
(でも水が澄(す)むまで見てるかも知れない)
すぐ帰(かへ)ってくるんだから──君も来(き)たまヘ
小牛(こうし)をつかまへに行ってくるよ。
母牛(おや)のそばに立ってるんだがまだ赤(あか)ん坊(ぼう)で
母牛(おや)が舌(した)でなめるとよろけるんだよ。
すぐ帰(かへ)ってくるんだから──君も来たまヘ
 
 この詩のどこに、喜びの源があるのか、私に十分説明することは出来ません。勿論その詩の内容が、とても感じのよいものなのですが、この詩の用語の中にも、幾つかの秘密が隠れているようです。どれも快い想像をおこさせる「牧場」、「泉」、「落葉」、「水が澄む」等の言葉、そして「すぐ帰ってくるんだから─―君も来たまえ」という、一節ごとのくり返し。
 
 この詩を読んでから七、八年後、私はこの詩に、大学の図書館でもう一度巡り会うことになります。米詩の詩歌集(アンソロジー)の中にでもあったのでしょうか。この度は原語の英語によるものでした。この詩を、どこかで読んだことがあると思った時、二つの節の最終行のくり返(かえ)しが、記憶の中の日本語の詩と、ぴったりと重なったのです。「すぐ帰ってくるんだから──君も来たまえ」この時始めて名前を知ったバーモントの詩人が、頁の中から呼びかけてきているようでした。
 
 英語で読むと、更に掃除(クリーン)、落葉(リーヴス)、澄む(クリアー)、なめる(リック)、小牛(リトルカーフ)等、L音の重なりが快く思われました。しかし、こうしたことはともかくとして、この原文を読んで私が心から感服したのは、私がかつて読んだ阿部知二の日本語訳の見事さ、美しさでした。
 
 この世界名作選を編集する時、作品を選ぶ苦心と共に、日本語の訳の苦心があった、と山本有三はその序文に記しています。既刊の翻訳に全て目を通し、カルル・ブッセの「山のあなた」の詩をのぞく、全ての作品は、悉く新たな訳者に依頼して新訳を得、又、同じ訳者の場合にも、更に良い訳を得るために加筆を求めたといいます。
 
 私がこの本を読んだ頃、日本は既に英語を敵国語とし、その教育を禁止していました。戦場におもむく学徒の携帯する本にも、さまざまな制約があったと後に聞きました。子供の私自身、英米は敵だとはっきりと思っておりました。フロストやブレイクの詩も、もしこうした国の詩人の詩だと意識していたら、何らかの偏見を持って読んでいたかも知れません。
 
 世界情勢の不安定であった一九三〇年代、四〇年代に、子供達のために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時これらの本を手にすることの出来た日本の子供達にとり、幸いなことでした。この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、又、人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。因(ちな)みにこの名作選の最初の数頁には、日本や世界の絵画、彫刻の写真が、黒白ではありますが載っていました。
 
 当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受けとめていたかは分かりません。しかし、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々のさ中に、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私にかいま見させ、自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。数冊の本と、本を私に手渡してくれた父の愛情のおかげで、私も又、世界の屋根の上にぷっかりと浮き、楽しく本を読むあのIBBYのポスターの少年の分身でいられたのです。
戦争は一九四五年の八月に終わりました。私達家族は、その後しばらく田舎にとどまり、戦災をまぬがれた東京の家にもどりました。もう小学校の最終学年になっていました。
 
 この辺で,これまでここでとり上げてきた本の殆どが、疎開生活という、やや特殊な環境下で、私の読んだ本であったということにつき、少しふれたいと思います。
 この時期、私は本当に僅かしか本を持ちませんでした。それは、数少ない本――それも、大人の手を通って来た、ある意味ではかなり教育的な本――を、普段よりもずっと集中して読んでいた、一つの特殊な期間でした。
 
 疎開生活に入る以前、私の生活に読書がもった比重は、それ程大きなものではありません。自分の本はあまり持たず、三つ年上の兄のかなり充実した本棚に行っては、気楽で面白そうな本を選び出してきて読んでいました。私の読書力は、主に少年むきに書かれた剣豪ものや探偵小説、日本で当時ユーモア小説といわれていた、実に楽しく愉快な本の読書により得られたものです。漫画は今と違い、種類が少なかったのですが、新しいものが出ると、待ちかねて読みました。今回とり上げた「少国民文庫」にも、武井武雄という人の描いた、赤ノッポ青ノッポという、二匹の鬼を主人公とする漫画がどの巻にも入っており、私はくり返しくり返しこれらを楽しみ、かなり乱暴な「鬼語」に熟達しました。
 
 子供はまず、「読みたい」という気持から読書を始めます。ロッテンマイアーさんの指導下で少しも字を覚えなかったハイジが、クララのおばあ様から頂いた一冊の本を読みたさに、そしてそこに、ペーターの盲目のおばあ様のために本を読んであげたい、というもう一つの動機が加わって、どんどん本が読めるようになったように。幼少時に活字に親しむことが、何より大切だと思います。ある程度の読書量に耐える力がついていなかったら、そして、急に身のまわりから消えてしまった本や活字への郷愁がなかったら、私は父が持って来てくれた数冊の本を、あれ程熱心に読むことはなかったし、一年半余におよぶ私の疎開生活に、読書の思い出をつけ加えることは出来ませんでした。
 
 今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。
何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。
それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
 
 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。
 
 自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。
 
 本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
 
 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。
 
 今回お招きを頂きながら、ニューデリー会議に直接参加出来なかったことは、本当に残念なことでした。この大会を組織なさったジャファ夫人始めAWIC(Association of Writers and Illustrators for Children)の方達、IBBY会長のカルメン・デアルデン夫人、事務総長のリーナ・マイセン夫人、そして、その方達を支えたIBBYの各支部の方達にとり、この大会の開催までの道は、決してなだらかなものではなかったでしょう。皆様方は、さまざまな複雑な問題のある中で、沈着に、忍耐強く、この日を準備してこられました。その国が例えどのような政治状態にあろうとも、そこに子供達がいる限り、IBBYには果たすべき役割のあることを思い、このような形になりましたが、私はこのニューデリー大会1998年に参加いたしました。
 
 どうかこれからも、これまでと同じく、本が子供の大切な友となり、助けとなることを信じ、子供達と本とを結ぶIBBYの大切な仕事をお続け下さい。
 子供達が、自分の中に、しっかりとした根を持つために
 子供達が、喜びと想像の強い翼を持つために
 子供達が、痛みを伴う愛を知るために
 そして、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、 やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で、平和の道具となっていくために。



 
 

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