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女尊男卑社会日本の何が悔しいのか。

くやしさを分かりやすく記述したいと思うが、これは中々に難しい試みである。しかしながら様々な論者がこれを明確化しようと必死に試みることは多いように思う。

簡単に言うと、

①女性だけがプラスの性的資本を有し、
②それにより女性同士の(半ば見せかけの)連帯と社会的庇護が生まれ、
③女性の方が紛争・トラブル全般を有利に処理できるため、
人生生きやすい、という結論である。

男性は人生の負の局面に立たされたときに対処がより困難となり、司法判断が逆に男性であるだけでハードモードとなる(法の下の平等に反する)。さらには、正の局面においても、女性の方がそもそも労働の義務すら社会規範として半ば免除されているため、「人生イージーモード」と称される、「お気楽な」人生設計が、①であるだけで約束されてしまう令和日本社会なのであった。

エディプスコンプレックスなんて令和にはなかった

女性は生まれたときに、男性器がついていないことで劣等感を覚える、という有名なフロイトの精神発達理論であるが、令和日本においては、犯罪やネガティブな社会規範に結び付けられるのはむしろ男性器のほうであり、女性器・女体には核兵器に等しい超ポジティブな社会規範が与えられており、生まれてくる子供の性別の希望をアンケートすると、女性を望む方が男性を望むより高い割合を示す。
むしろ男性に生まれたことに劣等感を覚えるのが、女尊男性令和日本社会ではないか。例えば、おっさんという言葉がネガティブであるが公然と自他ともに使用され、おばさんという言葉もネガティブであるが、悪口であるなどという女性からの反対意見により、おっさんより使用を制限されている風潮である。常に男女問題は非対称性をはらんでおり、平等非平等はそれぞれについて論じにくい構造となっているように思う。

なぜ女性であることがトラブルに強いのか

それは、何も言わずとも社会から弱者として未だに認定されている(がゆえに強者であるが)から、ただ女性であるだけで、優遇・保護が受けられるからである。それらは男性には付与されないため、男性の方が社会生活上不利な条件となる。
例えば、性犯罪においては、女性の訴えの方が圧倒的に男性よりも円滑な信頼と処理がなされることが多い。また、たとえ性犯罪に合いやすい服装である、ミニスカートや薄着や性的な衣装をかわいいだのという理由で着用していても、それらで男性を誘惑した結果、加害者に目を付けられて犯罪に巻き込まれた際には、一切責任に問われることはない。これらは厳格なイスラム教社会では、女性が罪を問われることになる。
また、何らかのトラブルに巻き込まれた際には、女性同士のソーシャルキャピタルが、たとえうわべだけだとしても、男性同士よりも円滑に進みやすく、何かあった際にも円滑にトラブルを解決できる可能性が高い。これは太古より社会的弱者だったのは女性だからで、法律と社会規範でねじ曲がって女性優遇社会になってしまっているが、本来はそうした社会的連帯の容易さを含めての男女平等だったはずである。
また、レディースデーや、女性のみ無料のマッチングアプリや相席屋の存在は、女性であるだけでフルタイムや高収入労働からの免除を前提とした、楽な仕事で許される、主婦でも許される社会的風潮が維持され続けている。やりたくないという本質から外れ、筋力が弱いという前提から、3Kワークを免除され、健康リスクが相対的に下がる。そして派生して、責任を問われる局面が少ない。立派なキャリアを必要とせずハードな労働から免除されることがそれである。いつでも辞められるから、一般的に責任も軽いポジションを目指そうとする。男性では一般的にそんな生き方は許されていない。男性の無職は犯罪者手前であるが、女性の無職は主婦で合法である。令和なのにそんなスティグマが残るディストピア。

女性の武器は許可されているが、男性の武器は禁止されてしまった

体罰が当然だった昭和や平成の一部とは異なり、男性の武器である暴力的解決、威圧や喧嘩による解決は、完全に令和日本社会にはなじまないものとなってしまった。女性に不利なものは法律で明確に規制されてしまった。
しかし、女性の武器である言葉、嘘かどうかは一切気にならない言葉操作とそれによる周囲のコントロールと紛争解決はすべて許可され続けている。つまり戦いの局面で男性は、素手で女性の言葉のマシンガンと戦わないといけないのである。
男性は基本的に真実と嘘を区別するし、嘘は一般的には気持ち悪いものである。女性にはそういう感覚はないので、他人を操作するための武器は言葉である以上、女性のみが性的資本という核兵器をちらつかせながら外を歩くことができて、さらにいざという時には男性より数段使い道のあり、高いからよく通る言葉というマシンガンを構えて外を歩いていることになる。それは同じ女性同士だと、概してそれ以外の集団、特に男性に対しては、同盟軍としてお互いをすぐに承認する。男性は自由軍である以上、ただ男性であるというだけではすぐに同盟を組むことは難しい。女性より概して中立的だからだ。
ゆえに、今の令和日本は女性優遇社会なのである。

それでも社会的マシンガンを構えた令和女性に近づきたい男性は、性欲が強いという理由以外には想定できない。そんなに性欲を感じるのは20代までで、男女の性欲はある有名なグラフによると、30代のいずれかの時点で逆転する。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」でそんな冗長しきった令和日本女性を求めに行く男性というのは、こうしたことを一切考えないような、恋愛強者男性なのだろう。素手でも虎を倒すまで、幼少期よりレベル上げを欠かさなかった熟練の格闘家なのだろう。もしくはイケメンか。まさに男性の中の男性のみが適応できるような社会になってしまったように思う。

そろそろ、モテない・金がない・職がない?という特徴を有する男性、弱者男性に関する本が出るらしいが、是非一読し感想を書こうと思う。

※表紙はやる気のないAI絵(筆者作成)


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