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男はどうでもいい女の感情の責任を取る必要は一切ない

赤の他人が勝手に不快な思いをしていることに対して、何ら感情の機嫌を取る必要はない。
それは甘えであり察する分化のものである。しかし、男性は一切察してもらえないのに、女性からは察してもらうことを要求されるのはおかしい。女性同士ならお互い察しているからイーブンであるが、男性の場合は男性の感情を察してくれていない。だから、題名通り、どうでもいい女の感情ご機嫌取りをする必要は一切ないし、責任もない。大切にしたい女だけの感情のご機嫌に対して責任を追っているといえよう。令和日本女性に根強く残る甘えの文化は、令和男性から打倒していかなければならない。

女性は、概して労働においても感情を優先して行動する傾向がある

顧客や同僚上司や部下で気にくわないことがあると(それは業務遂行と関係ない、たいてい些細な不快な自分が勝手に生じた感情)、それを仕事に巧妙に当てつけしてくる傾向がある。つまり感情と仕事を分離できずに、(いつも通り説明しないから)勝手に不満になり、責任回避できないことの責任を男性側に押し付けてこようとする(しかし男性側は感情の責任を取ってもらうことは少ない)。この人生舐めた態度が許されるのはまさしくただ女性である、という一点があるからに他ならない。

でも男性は察する分化の恩恵を受けていないのだから、女性同士が求めるように「察する」必要はない

自分の感情の責任は自分であるというのがむしろ男性の常識であるように思う。もちろん明確な憤りを覚えることに対しては男女共通だが、男性なら大雑把に、いちいち怒らない非常に低次元の地位や将来や安全を脅かさない些細な瑣末なことに対して文句をつけ、その感情を乱したこと、それを察してご機嫌取りをしないのが罪だとのたまうことはない。時まさに令和女性優遇社会日本であるから、察する文化の中ではお互いが察しない責任をなすりつけあう結果、こうした潔癖な社会が存続しているのだろう。
男性女性とも未婚化非婚化、非恋愛化が進んでいるが、男性は自分の大切な女以外、一切自家発電で怒っているようなのは全無視で良いと思う。おわり。

次回は、某恋愛系ライターの弱者男性に関する新書が4月に発売されたら、その感想を書きたいと思ふ。

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