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中高生からの人文学 その2

1.イントロダクション

1-1. はじめに

 突然ですがみなさんに質問です!「人文学」ってご存じですか?もし今中学校・高校に通っている人でこの言葉を知っていれば、近くに学んでいる大学生や研究者がいたり、本で読んだことがあるのかもしれません。

 また後ほど詳しく説明をしますが、人文学は「歴史・哲学・言語・文学」といったような人の営みについて研究を行う学問分野の総称です。これだけで「なるほどね!」とみなさんが全てが理解できるのであればここで終わってもよいのですが、これだけでは人文学について何も説明できていないのでそうはいきません。

 少しだけ噛み砕けば、歴史は人の歩いてきた道、哲学は人が考えてきた思想、言語は人の話してきた言葉、文学は人が書き記してきた作品、となるでしょうか。もちろん他にも色々あるのですが、そういった、過去の人が今に至るまでに何らかの形で遺してきたものについてじっくり考えて、人ってなんだろうねという疑問に「答え」を出す学問が人文学です。そして人文学は大学において一般的には文学部というところで学ばれ研究されています。

 ちなみによくある勘違いですが、人文学は人の文学ではありません。人文の学です。

 さて大学の話になったので、大学において何を勉強・研究するのかについて簡単に説明しておきましょう。そんなこと分かっているよ、という人は読みとばしてもらって構いません。

 大学では大きく分けて理系と文系の二種類の学問分野の中から、基本的には何か一つを選んで学び研究します。自分の話になってしまいますが、元々私は大学では理系の学部に所属して、橋や道路やダムなどのインフラストラクチャーの研究をしていました。そんな理系には他にも、数学や物理、化学や生物などが含まれていて、学校で勉強する「理系科目」と大きく違いません。ここではざっくり数学を使うもの、と考えてもらっても問題ないです。

 一方で文系では法律や経済に加えてこの記事で主に扱う人文学が含まれているものの、中高で学習する「文系科目」である日本史や世界史、地理や政治・経済とは少しズレているかもしれません。恐らくそのことが皆さんが人文学についてイマイチよく分からない、そもそも聞いたことがないと思っている原因になっているのだと思います。数学や物理などは中高でも教科として学習しますし、細かく専門的な内容になるものの大学でも学部学科の名称として、また研究分野として今もなお多くの大学に存在しつづけています。ですが人文学に関しては「人文学」という教科があるわけでもないですし、かといって日本史や世界史などの教科を足し合わせていったら人文学になるわけでもありません。

 ですが、これから説明するように人文学はとても面白い学問です。学校で学ばないというだけで、何も知らないまま大学に進んでしまうには少しもったいないと思っています。もちろん大学で実際に行われているような研究を中高から始めるのは中々ハードルが高いかもしれません。ちゃんと研究をしようと思ったらたくさんの古い史料が必要ですし、世界中の言語を理解したり、なんとも難解な文章を読み解いたりするためには、専門の訓練を受ける必要があります。

 あれ......人文学を理解しようとする私たちに早速暗雲が立ち込めてしまったような気がしますね。いえいえここで発想を転換させてみましょう。ハードルは高ければ高いほど下を潜るのが簡単になります。

 実は人文学を「研究する」のではなく「する」のであればもっと簡単にそして誰にでもできるんです。しかも学校での勉強が苦手な人でも、もちろん得意な人でも人文学を「する」ことができます。とはいえ人文学を「する」って一体どういうことでしょうか? それは決してたくさんの知識を覚えることや、複雑な理論を知っていることとは違います。この後ゆっくり説明していくので楽しみにしていてください。少しだけヒントを言うと、人文学を「する」ことは、まずは自分一人からでも始められるようなものなんです。

 この記事はそうした人文学について皆さんに「分かってもらう」のではなく、身近なものだと感じてもらうことを目的としています。今はまだ人文学について何も分かっていないかもしれませんが、この記事を読み終わった頃には私にも「人文学ができそう!」と思ってもらえたら嬉しいです。

1-2. 想定する読者

 人文学について身近なものだと感じてもらうこの記事は、主に中高生の読者を想定しています。それも特に毎日の勉強にやる気が湧かずなんとなく授業を受けていたり、テストで点は取れるものの勉強に対するそれ以上のモチベーションが起こらなかったりする、昔の私のような人です(テストで点を取れてはいなかったんですが......)。

 私自身もテストで点を取ったり取れなかったり自分で一喜一憂しているだけで、一週間もすれば覚えたことも全部忘れてしまうのにこんなことやって意味があるのかなって思ったことも、二度や三度ではありませんでした。勉強するのは大学受験のため・大学の先に働く時のためと言われてもそんな先の話分からないし、ひとまず親や先生に怒られない程度には頑張るかというくらいのモチベーションしか湧かないのが一般的な中高生のリアルな姿なのではないでしょうか。

 いやいや、漫画にゲームにスマホに今の時代いくらでも楽しいことが身の回りに溢れているのに、学校の勉強どころか学問なんて興味ないよ......というそこのあなた!確かに人文学は全員にとってそれだけで楽しいものではありません。でも人文学の根っこを支えているとある「姿勢」を身につけるだけで、普段楽しんでいる漫画やゲームがもっと楽しくなるかもしれません。毎日の授業が少しだけ雰囲気が変わって聞けるかもしれません。そんな魔法のようなことがあるのかなぁと首をかしげるのも最もですが、本当にあるんです。
 
 それに人文学の「姿勢」を身につけることは、研究を行うことに比べたらはるかに簡単なことです。理系の研究者のように高価な機材も必要ないし、特別なスキルも必要ありません。そう言われると少しワクワクしてきませんか?自分にもできるかもしれないと思いませんか? 今遊びたい時間を少しだけ使って是非この記事を読んでみてもらえると嬉しいです。

 人文学を知ることで毎日を少しだけ楽しくする、人生を豊かにする、そういったことがこの記事の狙いです。そして日々の勉強に色がついて見えるようになるかもしれません。人文学の「姿勢」によって、ぼんやりしていた勉強への取り組み方やモチベーションがほんの少しだけ具体的なものへと変わることを願っています。

 もちろん在学中の大学生、学び直しをしている会社員の方、そしてたまたまこの記事を見つけてくださったみなさんも読者の対象です。そして何よりもこれから理系に進もうかなと考えている方、理系の学部に所属している方、理系分野で働いている会社員の方にこそ、手にとっていただきたいと思っています。

 AIやDXなどの言葉に代表される情報技術が以前にも増して重要視され、身の回りから科学技術の関わらないものなどほとんどなくなってきている。社会が「理系」偏重になりつつある中で「文系」のことなんて関係ないよ、と切り捨てるその前に少しだけ時間をください。

 「人文学」的な態度は理系に進もうとするみなさんにこそ必要不可欠だと考えています。なぜなら後に説明するように、「人であること」を切り離して我々は世界を見つめること、世界のために働くことができないからです。医療の現場で人と人が対面し治療しようとすること、土木の現場で将来の人の生活を考えること、SDGsの目標の元で生物と人とが共に暮らしていくこと、法律で弱い立場におかれている人を救うこと、その全てに人は関わっています。

 学問は人が行うものなんだから当たり前じゃないか、と気付いたあなたはもう答えのすぐ側まで来ています。おっしゃる通り全ての学問は人が行うものであり、そして人のためのものに他なりません。

 そしてもう一つ重要なこととして、言葉で溢れかえっている情報社会だからこそ、言葉を軸に丁寧に世界を切り取っていく必要があるからです。理系は主に数式によって客観的に世界を解き明かしていきます。ですが、どこまでいっても私たちが言葉を軸にした世界で生きていくことは間違いのないことです。ですが、その言葉は悪い意味でそこかしこに溢れかえっています。先程のAIやDXもそうですが、正確な言葉の定義や指し示す内容が顧みられないまま、言葉だけが独り歩きしているような印象を受けます。またネットやSNSでは日々意味のない議論や悪質な誹謗中傷が繰り返されています。

 言葉は武器です。悪い使い方をされれば容易に人を騙し傷つけてしまいます。悪意をもって言葉を利用する人から自分を守り、同時に言葉によって良い社会を作り出していくためには、言葉を丁寧に扱う方法を学ばなければなりません。身近にある言葉を一番丁寧に利用して研究を進めていくのは他でもない人文学です。だからこそ理系の人にも人文学のエッセンスを一緒に会得してもらうことには大きな意味があると考えています。人の生きていく社会を技術によって創り変えていく理系に人文学の態度が加われば向かうところ敵なしです。

 勘違いしていただきたくないのですが、決して理系の人にも歴史や哲学を研究してほしいと言っているわけではありません。あくまでも人文学的な姿勢を身につけることは誰にでもできることであり、理系にとってもそれは必要不可欠なもので、研究を力強く進めていく力になるということを実感いただきたいと思っています。

 さて、ここまで「人」という言葉を特に断りなく使ってきましたが、読んでいるみなさんも違和感を覚えることは特になかったはずです。では私から一つ質問です。人のためと言われているときの、「人」とはいったい何で、どんな性質をもつのでしょうか。このように改めて聞かれると難しい質問ですね。例えば「二本足で立っていて言葉を話す」というのは何に関する回答で、性質に対する回答ではなさそうです。逆に「感情豊かで人と人との繋がりの中で生きている」というのは性質に関する回答ですね。

 さて、その質問に対して答えを出すことはここではしません。ですが、このように「人とはいったい何なのか」といった「人に関する質問」を考える際に忘れてはいけないのは、考えようとしている自分も「人であること」なんです。自分自身が虫でもなくロボットでもなくはたまた宇宙人でもなく人であるからこそ、一番近い距離から「人って一体何だろうか」と考え始められるわけです。 そして「人であること」の視点と切り離して考えられないのが、これから私がみなさんに説明しようとしている人文学に他なりません。

 話をまとめると、みなさんにこの記事を読んでいただくことで、これまで一部の研究者やエリートだけに閉じ込められていた「人文学」を自分のものだと実感し、明日から学校で・職場で・家で人文学していただくことを私は目指しています。人文学することが決して「古代ギリシャにおいてプラトンは〜」といったうんちくを垂れることではないことは、読み進めてもらえればすぐにお分かりいただけると思います。そうした知識を身につけた人が増えることではなく、人と人とが言葉でコミュニケーションをするときに、お互いに人文学的な姿勢を身につけていて安心できるね、ちゃんと話ができそうだね、と感じてもらえることが、これからさらに荒れ狂うことが予想される社会においては何よりも重要なのです。

 少し話が長くなりましたが、今から人文学をみなさんの手元に解き放つ小旅行にお連れしたいと思います。ゆっくり自分のペースで付いてきていただけると嬉しいです。


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