見出し画像

ジャンプのボクシング漫画第六話🥊

そう言えば気付かなかったが、この二人の穿いているパンツはどちらかと言うと現代のボクサーが穿くパンツである🩳

解説ページに掲載された絵だが二人のパンツの裾が長い。

今のボクサー達はスポンサーロゴを貼り付け捲るので膝まで長くなっているパンツを穿く。

お気付きかも知れないが、昔のボクサーのパンツは短い。

昭和ならいざ知らず平成の初期のパンツも短い。

アントニオ猪木と闘った頃のモハメド・アリのパンツもどちらかと言うと短パンである。

腿が出ている。

具志堅用高や輪島功一も現役時代のパンツは短い。

靴下も露出している。

現代でもハイソックスを履くボクサーはいるが、編み上げ靴ではなくてシューズを履いていたりする。

JBCのルールブックにはパンツや靴の規定はそんなに細かなことは書かれてないので、段々と合理化されていったのだろうと感じる。

スカートみたいなパンツを穿くボクサーも出て来ている。

短パンは寧ろMMAやプロレスに見られる。

今のプロレスも昔のようなジャイアント馬場や猪木が穿いていたようなブリーフ型のではなくなってタイトなボクサーパンツみたいなものになっていたりする。

女子プロレスもそうなっていて、昔はレオタードかつスクール水着みたいなユニフォームだったが今ではビキニタイプになってたりする。

ビキニとは言っても男子プロレスと同じで下はボクサーパンツ型であるが。

ウィキペディアに戦後のボクサーである白井義男のことが載っている。

青空や生野よりも年代的には7~8歳くらい上だが、出征前には既にプロデビューをしている。

青空が今の令和でも生きている設定だとすれば88歳だろう。

この年齢だと既に男子の平均寿命を超えているのでこの漫画が5年続けば90歳になっても生き続けているという話まで持って来られる。

鬼滅の刃は産屋敷輝利哉が現代まで生き延びたエピソードを残して終わったが、ここまで出来るのだろうかと思う。

因みに白井義男は80歳まで“長生き”した。

今のジャンプ読者の中心世代である小中学生は2000年代生まれ(2010年代でもある)なので、戦前生まれの祖父母を持つ孫は先ずいない。

日本人も長生き出来るようになったとは言え、4世代は珍しいだろう。

そう言うこともあって繰り返すがジャンプは戦後の話を舞台として持って来たのだろうと感じる。

長くなったが本編。

ボクシングらしき展開となっていることに驚いた。

ちゃんと取材もしているし、その辺りの基本は捨てていない。

それでもぶっ飛んだ展開を描くのもジャンプらしくていい。

主人公が勝ち残らなければ家族の命の危険が晒されるというのは鬼滅の刃から引き継いだような設定である。

今のような選択肢も沢山あって恵まれた時代に生きている現代人から想像もつかない話。

鬼滅の刃が始まった頃はこうした戦争とかを敢えて避けたのだという痕跡が見られる。

浅草の凌雲閣もまだあったので関東大震災もない。帝都物語よりも前の話である。

分かっているが、鬼滅の刃が連載を開始したのが2016年なので“まだ”描けなかったろうとも思える。

すずめの戸締まりですら11年後に描くことが出来たのである。

でもまだ、“戦争そのもの”は描けないのだろう。

戦争そのものが現在の世界秩序を維持しているからである。

話は逸れるが、その世界秩序も黄昏を迎えているようにも感じる。

主人公は絶対死なない設定なのでこの生野が負けることは確実だろうが、ここで主人公の青空が負ければ妹の星の治療費も拈出出来なくなって話が終わってしまう。

あんなに腕がデカくなった生野にもエピソードがあるのでもう一人の主役にも見える。

ここで青空が負けても次に繋げようとする話も出て来るので、どう転んでも主役そのものが死ななければ話を続けることが出来る。

ただ、鬼滅の禰豆子と一緒なので妹が死んでしまえばやっぱり話が終わってしまう。

色んな制約の中でどうやって面白く描いていくのだろうか。

ジョジョシリーズでは仲間キャラがあっさりと死んで退場するがこれは目的を果たして次に繋げるという尊い設定だから何度でも活用される。

そう言えば『風立ちぬ』では嫁さんが結核で死んでしまうんだよね。

あの話では嫁はあんまり重要なものじゃないってことが分かってしまうのだけど。

死んだ嫁は堀越二郎に「来て」と言った筈なんだけど、まあ振り返らなかったよね。

随分と白状だろうけど前に進むしかないという選択肢も、どこかで入れなければならなくなる時も来るのだろう。

炭治郎は禰豆子が死んでしまうことを思ってもいたが、二人で一つなので活かす選択肢を取ってしまった。

マキバオーではチュウ兵衛が死んでしまったのだがその後でも話を描くことが出来たのだからどうやったって出来るのである。

北斗の拳は本来ならシンのところで話を終える筈だったのだが、ユリアを活かすことで話をまたプレイバックさせたかったのだろうと感じる。

これによってシンが噛ませ犬となってしまった哀しい例でもある。

北斗の拳は話を繰り返すということが垣間見れる。

これは仕方ない。

連載が続いて大人気となってしまったから終わらせる訳にもいかなかったのだ。

ラオウと対峙するためにユリアに還って来てもらったのである。

しかし、ケンシロウは孤高の人で子供達に未来を託すという使命があるのでやっぱりユリアには退場させて貰う他なかった。

北斗の拳にラブコメという選択肢も与えられたが、ケンシロウがマミヤの好意を拒否したのでそれを見たレイが教会の鐘を鳴らすという何とも悲哀なシーンが描かれている。

アニメにもそれはちゃんと描かれていて、北斗の拳はこの時代でも子供が読んでいたものだということは忘れてはいなかったのだろう。

このドリトライは初めっから主人公との関係性が妹だけなのでこの時点でありきたりの似非ラブコメは排除されてしまった。

キャプ翼の作者が描いたチビというボクシング漫画も終わり頃にはラブコメ的展開が匂って来始めたのでああそっちに流れちゃうのかーってある種の店仕舞いセールを感じさせるものがあった。

個人的にラブコメが嫌いなのは、初めから最後まで主役の好きになった人は変わらないということである。

後は恋敵がどうしても噛ませ犬になるのでこれこそはギャグ漫画の役割なのだろうと思う。

ラブコメに関してはまた別の機会にするが、恋よりも生きる!と言った話ならば自己実現も出来るのだろうと感じる。

最近はそれなのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?