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滝壺のミスカ(サキノモリ談 シロヌイ編)

このお話は、Kindle本で出版(KDP)しているファンタジー小説「サキノモリ談」シリーズの未出版作品「シロヌイ編」の冒頭です。
※この記事は、Twitterで投稿していた内容をまとめたものです。
※Kindle本出版(KDP)時に記事を削除する場合があります。

滝壺のミスカ_note用_区切り線

 滝壺の底で眠っていると、ときおり、人間が降ってきた。
 死んでいる人間もいれば、まだ息のある人間もいた。息があっても、体のどこかから血を流していて、そのせいか、数分も経たずに、溺れて死ぬことになるのだが。
 ミスカは、息のある人間のほうが好きだった。生きている人間の肉と血は、格別に旨かった。死んだ人間の肉は、妖物の肉とそう変わらない。死にたてでも、まあ旨いが、心臓が動いているかどうかは、大きな違いだった。
 人間の死体を放置すると、水が澱む。落ちてきた肉体を喰いきれないときには、滝壺から引き揚げて、周辺の岩の上や木の根の上に置いた。そうすると、自分では狩りのできない力の弱い水妖たちが、わらわらと寄ってきて、小競り合いをしながら、食事にありついた。
 ミスカの滝壺は、腹を減らした水妖の拠り所になっていた。ときには、水妖以外の妖物も、ミスカを頼って訪れた。ミスカは、滝壺の底で静かに眠っていられるのなら、ほかのことはどうでもよかった。食べ物も勝手に降ってくる。
 何十年ものあいだ、平穏な日々が続いた。
 長く人間が降ってこなくても、わざわざ狩りに出かける気分にはならなかった。大食漢ではなかったのだ。年単位で食事をしなくても、死ぬこともなかった。
 ミスカは、龍神に生み出された純粋な水妖物だった。人間や動物や植物が妖化したのではなく、最初から、妖物としての性だった。
 ミスカを作った龍神は、百年ほど前に、寿命で消えてしまった。龍神に仕える役割を失ったミスカは、ただただ静かに暮らしていた。龍神に生み出されただけあって、強い妖力を持っていたが、使いみちがなかった。これからも、死ぬまでずっと、静かに暮らすのだろうと思っていた。

 いつのころか、滝壺のそばに祠が建てられた。小さいが朱色の祠は、水と緑の風景のなかにあって、ひときわ目立った。
 定期的に人間が訪れて、祈祷とやらをして帰っていく。
 人間たちが帰ったあとに祠を見に行くと、新鮮な果物や木の実がどっさりと置かれていた。初めて見る果物を口に含んでみると、甘かったり酸っぱかったりして、おもしろかった。やることのないミスカは、人間が訪れて何かを置いていくことを、楽しみにするようになった。

 それからまた何十年も過ぎたころ、雨が降らなくなって、滝の水が枯れそうになった。
 人間が暮らす村も水不足になったようだ。
 滝壺の祠には、毎日のように人間が訪れた。水にまつわるものなら、藁にもすがる思いだったのだ。
 雨は、待っても待っても、降らなかった。
 乾きの季節らしく、太陽が容赦なく照りつけた。
 滝壺の底に残っていた水さえも、今日にも枯れてしまうかもしれなくなっていた。
 ミスカは、水を呼ぶことにした。そうしなければ、眠る場所がなくなってしまうからだ。
 大きな妖力をふるうのは、久しぶりだった。
 目を閉じて、周囲の水の気配を探ると、南の方角に、大きな湖があった。そこから大量の水を呼び寄せて、滝壺を満たした。
 人間たちは喜んで、桶や樽を持って、滝壺を訪れた。水を持って帰るかわりに、彼らそれぞれが大切にしているらしい宝物を、祠に置いていった。
 中には貴重なものや高価なものがあるようだった。ミスカから見ればガラクタだったが、滝壺に集まる水妖たちは、われさきにと群がった。
 少し騒々しい日が続くかもしれないが、すぐにまた静かな日が戻ってくるはずだ。深い滝壺の底で、好きなときに好きなだけ眠る日々を取り戻せたことに、ミスカは満足していた。
 ところが、雨が降らない日が、また何日も続いた。
 ミスカが呼び寄せた湖の水は、みるみるうちに減っていった。
 仕方なく、前回と同じように水の気配を探って、今度は、山をいくつも隔てた先にある大きな河から水を呼び寄せた。
 同じところから何度ももらうわけにはいかない。そこのヌシを怒らせるかもしれない。誰に教わったわけでもなく、そういうものだと、知っていた。
 滝壺が再び満たされた。
 人間たちは、毎日のように滝壺の水を汲みに訪れて、祠に祈りをささげて帰って行ったが、彼らの表情は日を追うごとにやつれていった。
 村から滝壺までは、遠い道のりだ。水を手に入れるだけで、一日の半分以上がおわってしまうのだろう。先の見えない乾きの日々に、不安がつのっているということもあるのかもしれない。
 それから数日して、やっと雨雲がやってきて、ぽつりぽつりと雨を降らし始めた。
 しかし上空の風は早い。このままだと、地面が少し濡れる程度で、雨雲は去ってしまいそうだ。
 ミスカは、気まぐれに、雨雲に意識を向けた。妖力を集中して、雨雲をひねってみると、ざあざあと雨粒が降ってきた。
 周りに漂っている水分をかき集めて、上空に昇らせて、雨雲に合流させると、むくむくと雲が膨らんだ。
 滝壺の水をひとすくいして丸め、上空の雨雲にぶつけてみると、小さな嵐が起きた。
 おもしろくなって、滝壺の水と妖気を練り混ぜた玉を、雨雲にぶつけて遊んだ。
 水と妖気の玉が雨雲にぶつかるたびに、桶の水をひっくり返したように雨が落ちてきた。
 滝壺は、またたくまに、水かさを増していった。
 ミスカの妖気を含んでずっしりと重くなった雨雲は、上空の風に持ち去られることなく、その場にとどまりながら、ミスカが遊びをやめたあとも、しつこいほどに雨を降らせた。
 周辺の村や山や川にも、じゅうぶんすぎる雨が降った。
 小さな川が氾濫しそうになったことを感じたミスカは、川を流れる水の勢いを弱めてやった。人間の村がなくなってしまったら、果物をもらえなくなってしまう。それは少しさみしいと思ったのだ。
 人間たちは、滝壺の祠の力を、畏れ敬った。

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このシリーズの一作目「紫の瞳編:おもちゃの報酬」は、
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