見出し画像

運命の女神 (7)


   九、




 「どうして怒らせるんだ」
 と美杏の義理の父拓也はよく言う。
 「どうして拓也のこと怒らせるの」
 と美杏の母の桃香がよく言う。
 二人とも驚くほど大きな声で言うので、美杏は首を竦めてしまう。そんなに私がいけないの。それでまた拓也を怒らせ、桃香を怒らせる。 
 怒らせるのは悪いこと。怒らせたのは私。
 悪いことをしたから美杏が悪い。
 美杏が悪いから、また怒られる。
 ごめんなさいは、結局言った方がいいのか、言わない方がいいのか、今日はどちらだろう?
 息を小さく吐いて小さく丸まって座る。
 うるさくしない。嬉しそうにしない。嫌そうにしない。
 きっと本当はいない方がいいのに、ここにいる。
 だからごめんなさい。
 見えなくなりたいのに、消えない。
 隠れていると怒られる。
 見つかってしまう。
 見つかる。
 美杏は明幸を思い出した。
 笑ってくれてほっとした。
 手を振ってくれた。
 あの人はきっと私の「王子様」だ。

 ねえ、王子様。
 私このまま、「なかったこと」になっちゃうのかな。
 ただ人間っていうだけの、「誰か」になれない私のまま死ぬのかな。
 私の痛かったこと、悲しかったこと、テレビを音を消して見てるみたいなうまく言葉にできない何もない時間。この全部。
 お願い、私を見て。
 この傷の全部をなぞって、私はどうしてこんなことになったのか、本当はどうしたらよかったのか、考えてよ。
 私に、教えて。





   *




 お前のせいだよ。
 お前が俺の人生を邪魔してるんだ。
 お前がいなかったら、俺はもっと自由だったし、俺を見てもらえたはずなのに。俺の苦しさを見てもらえたはずなのに。お前が煩わせなければ、俺はもっと優しくなれたはずなのに。どうして。
 どうして、お前が生まれたんだろう。
 どうしていらつかせるんだろう。
 俺が不幸なのにお前だけ幸せになるなんて許さない。
 楽しそうに笑うな。当たり前みたいに愛を求めるな。
 世界はお前を愛してるわけじゃない。愛されることは当然なんかじゃない。
 世界は厳しくて、愛なんて奪うことの目眩し、撹乱させるための嘘。
 お前だって俺から奪い取ろうとしてるじゃねーか。
 俺は騙されたりしない。今まで嫌というほど学んできた、この世界に。
 だからお前にも教えておいてやるよ。今のうちから。
 教育してやる。

 お前の目から希望が消えると、俺はほっとしてしまう。光が灯りそうになるたび、俺はそれを必死にかき消す。
 分かるだろ?なあ。
 求めることは無意味で、失敗した次の瞬間自分の頭が破裂してくれたらと思うほど後悔する。そうなったら、ほら痛みや苦しみを我慢する方が楽になる。
 少しずつ少しずつ呼んでいる。自分を至上の人へする瞬間。





   *




 物音の向こうから歌が聞こえてきた。拓也は動きを止めて息を整えながらつけっ放しだったテレビから流れてきたその歌を聴く。
 「国民的」と頭につくアイドル達が歌うのは人々を勇気づけるような前向きな歌詞で、拓也も何度か口ずさんだことがある歌だった。訴えかけるような顔や笑顔と歌に合わせて踊る姿が切り替わりながらテレビいっぱいに映し出される。
 耳慣れていたから聞き分けた、「ああ、確かにそうだな」と思ったこともあったその歌を今ぼんやりと聴きながら、今自分がいる場所の惨状を見て、なぜそんなことを思ったのか拓也には分からなくなった。その歌を口ずさんで信じていた自分が遠のいて、今の自分からは手が届かない。自分のための歌ではない。ただ流れるだけの歌だ。
 あの頃は、それでもいいんじゃないか、と思っていた。この歌のように自分も前を向かなくてはと思った。そう思えていた頃の自分と一体何が違うのだろうと拓也は思い、力が抜けて握り締められなくなった手のひらをそっと顔の前に持って眺めた。
 何も違わないような気がした。何も違わない気がしたのになぜ。
 「もうやめて」
 と誰かが自分を制止する。
 行き場のない想いが頭の中を高速で駆け巡っていく。頭が沸騰しそうになる。力が抜けたはずの手のひらにまた力が戻ってくる。
 なぜ誰も俺の気持ちを分かってくれないんだろう?分かろうと、してくれないのだろう?
 俺の言葉は「常識」の前じゃただの言い訳でしかないのか。どうして説教を聞かされるだけなのか。
 強いとか弱いとか何が誰がそれを正しいと思うのか。
 決めつけられたくない。関わられたくない。
 じっと黙っていれば、押さえつけておけば何もかもが通り過ぎる。
 だからこのまま。





 十、




 今ここにある壁。同じ三次元、を隔てているもの。
 同じ三次元ということは、世界としてそれは続いているということで、でも僕たちは同じ世界にはいない。同じ世界にいると感じた瞬間から狂気が始まっていく。なぜなら、同じ世界にいても僕たちの人生は重ならないから。この場所からどこまで行けるだろう?そこまで行けても、僕だけが重ねたくても、君だけが重なりたくても重ならない。共感とお金のやり取り。それだけ。
 お金ならどこまでも飛んでく!すごい!
 資本主義のおかげで僕の愛は距離を越える。世界を超える。お金に乗って。愛はお金に乗って。
 でもこの気持ちはニセモノだろうか?この共感が。
 僕の生活とか、夢を切り詰めたお金を、君にあげる。君に使う。
 忘れないで、と君が言う。
 もちろんだとも!僕は答えるけれど、その声は僕として君に届かず、これは約束じゃないので、やっぱり毎日思い出せなくなっていくんだ。
 でもお金を使ったのは本当のこと。
 いつか、いつかは毎日君のことを考えるのをやめてしまうだろうけれど、それでも君のために削った人生が削られたまま積み重なっていく。
 今だけかもしれない。でもそれでもいい。
 君がそこで輝いてくれていたら。
 こんなにも感傷的になるのは、目が離せないはずの中で考え事をしてしまうのは、彼女たちのこの輝く一瞬は永遠には続くことはないことを分かっていて、あまりにも僕たちは隔たれていて、その全てに心は揺れて、黙って見てることができなくなるからなんだ。
 アイドルに本気で恋している人も、ただ応援しているだけの人も笑わないでほしい。これがただのお金を稼ぐ手段だとしても、どうせ実らないから、とかあれはよくてこれはだめなんて、そこに本質はない。
 実人生だけが人生なんかじゃない。誰かの人生に想いを馳せることが僕の世界を広げてくれる。
 このキラキラした場所に僕も立ってる。全てが続いているこの場所に。





   *




 アイドルと握手するために、握手券のついたCDを何枚買うか。ソーシャルゲームにいくら課金するか。首を突っ込む前にこれは異常じゃないか、と少しだけ思っていたのを忘れていたのを、そこに追いつくことができなくって、つまり吸い上げられる資金がなくなって遠巻きにすることしかできなくなってから、ようやく久しぶりに思い出した。
 とはいえ仕事がうまくいかずに辞めた後、なかなか安定して職にありつけないまま自由になる金がそこまでなかったので、失ったものは少なくすんではいた。けれど、たいして収入もないせいで金が使えなかろうと、それなりに稼いでその大半を使おってしまおうと、現状金がないのは同じだった。それなりに稼ぐ手段があるなら、どこかで目が覚めれば、金がなかろうと稼ぐ手段は残っているのだから、やっぱり金は稼げていた方がいい。その手段にありつけるのなら。失ったと思えるほど持っていた方が。
 全く同じCDを十枚買うのだって躊躇していたぐらいのみみっちさでしか金を注ぎ込むことができず、小金だけ使って、何を得られるわけでもない。いっそ風俗にでも行った方がずっと実用的だったかもしれない。
 ならばどうして、課金を選んだかといえば、きらびやかで目にしやすく手が出しやすかったせいだ。向こうからやってきたかのような簡単さ。金を出してサービスされるだけの世界。金が無限にあれば、この世界の勝者になれる。勝者になりたい。宝くじよ当たれ。買ってないけど。
 自由になれる場所のないままならない生活の中で、ほんの少しでも、そういう力を手に入れるために、サービスをなけなしの金で買ってしまう、のか、買わされてしまうのか。
 それで自分が生活できないようになるなら、それは金を使いすぎた者が悪くなってしまうのだろう。
 でも選択肢なんてありましたかね?
 選んだり、選ばれる可能性はありましたかね?
 分かっていた。お金の力だけが、他人に自分を許容させること。
 俺は別に、無職で、アイドルに金を使って文無しになる人生なんか選んでない。
 はいはい努力が足りない。
 コミュニケーションが苦手なことも自分で努力するべき、仕事ができないことも自分で努力するべき、仕事がないのに無駄遣いするのはその人間に計画性がないから、安易にリスクのある仕事をするのもモラルのない人間が自ら選んでやっていること。
 何が基本的人権。結局限られた人間の「こうしてほしい」に適合できない都合の悪い人間は捨てられていく、仕組み。想定されなかった人種。
 誰かに愛されることを夢見ることすらできない人間だっているんだよ。どこへ行ったって目を背けられるか利用されるだけだけど。
 でも残念でした。どんなになかったことにしようと、世界の総体はなかったことにされた人間だって含まれた平均で、見捨ててどこかに打ち捨てようと全体は下がっていくだけ。
 持続可能な開発って結局限られた人間の自分の今の生活を守りたいってこととどこが違うの?がんばろうとか、分かりやすくしているつもりで全然分かりません。
 あーこの声は届かない。どこにも誰にも。だから誰も知らない。





   *




 本当に探しているものが見つからない。見つかりやすくなっているようで、これでもいっかというものを押し付けられているだけ。見つからないなら、押し付けられない方がいい。なんだか問題を置き換えられているような、本当に探しているものがなんだったか忘れてしまうような。
 インターネットの検索で、不必要なものばかりヒットするようになったのはいつからだろう。
 検索窓に「死にたい」と入れると、「死ぬな」の情報が返ってくる。「死ね」の情報でないだけマシだけど、「死ね」って情報を見たから死ぬわけじゃない。死なないために、「死にたい」とか「死ね」の情報を見たいことだってある。「死ね」って情報が劇物で、冗談混じりの「死にたい」ぐらいじゃ届かないでほしいことも分かる。でも「死にたい」に惹かれる気持ちはいつだって冗談にはならない。それはビョーキで、医学的に導き出された、健康への道筋、が自分を責めてるように思うこともある。世の中はどんどん健康志向になっていく。「こうすればいいんだよ」は「こうすればいいのにしていない」と等しい。少し、正しいことを休ませてほしい。もっと元気なら、「死にたい」なんて検索窓にだってつぶやかない。
 どこかに苦しんでいる人はいませんか。助けるためにではなく、僕以外の誰かのそういう実感が欲しい。
 インターネットの海は膨大すぎて、途方に暮れる。でも本当にそこに探しているものがあるのなら。
 彼女じゃないなら、僕の、僕だけのための女の子はいませんか?どこにいますか?どこに行けば会えますか?





   *





 手が届くから伸ばした。ただそれだけのことで、出会えるかどうかは一つの重要なファクターなんだと思うよ。それを無視することはできない。
 それにこの付き合いがどう見られるかだってちゃんと分かってるし。こっちだってそれなりの犠牲を払ってるんだから。だからこの優越感だって当然でしょ。
 どんなに持ち上げられようと、みんな同じ人間だよ。それが分からずに、結果を享受したいだけの恋愛が成立するわけない。そっちはただの外側の自分なんだから。
と同時にどんなに認められていようと、自分にとって違っていればそれは別の誰かで、自分にとっての相手を求めているんんじゃないかと思う。
 それが分からないことが問題なのであって。きっと目につきやすいから、誤解してしまうんだと思う。離れているから都合の良いように自分の中で考えてしまうんだと思う。
 もう手に入ったつもりで、未来に借金を作るような、本当は持っていないものを、持っていると思う病気。


運命の女神 (1)
運命の女神 (2)
運命の女神 (3)
運命の女神 (4)
運命の女神 (5)
運命の女神 (6)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?