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結婚式のメンバー/カーソン・マッカラーズ 感想

否が応にも帰属してしまう身体と、宙ぶらりんな帰属意識の間には、気の触れた行動を生み出す間隙があるはずだ。ベレニスとの対話において、フランキーは、「人々はばらけていながら、同時に縛られている。縛られていながら、ばらけている。こんなにたくさんの人がいるのに、何が彼らをひとつにまとめているのかはわからない」と自信の置かれた不安定な状況を吐露しており(p.240)、この間隙は、我々に対して自信の存在意義を常に問いてくる。フランキーを含めて誰しもが、年月を経ればどこかのグループに帰属意識をもつこともあろう。しかしながら、あの気の触れた夏が見えなくなった気がしていても、意識は流動的でいて、間隙が埋まることはおそらくないだろう。我々のすぐ近くには、気の触れた夏がいつまでも存在し、自身の存在の意味をかけて、我々はこれに抗わなければならないのだ。


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