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【短編】夢を買う男

(3,869文字)

「この頃じゃ見かけんが、昔は血を売って暮らしていたやからが結構いてのぅ。わしもそんな一人じゃった」
「血を売るって、献血のこと?」
「違う、違う」
 男は、大袈裟な手振りで否定した。
 男の服装は、黒い燕尾服に山高帽だった。声を掛けられた時、私はピンサロの呼び込みと勘違いして、どうして昼間にこんな場所にいるのかと不審に思ったものだ。
「言葉通りの意味じゃ。よく覚えておらんが、一合で三十銭ぐらいじゃったかのう。まだ輸血が一般的じゃない時代じゃ。某大学病院で研究に使うらしいと噂を聞きつけて、売りに行ったもんじゃ。その金で、酒を飲み飯を喰らっておったから、まあ命を切り売りしていたようなもんじゃな」
「三十銭って?」
「お金じゃ。明治のな。名前ぐらい知っとるじゃろ?」
「ふーん」
 ――俺は何の話しを聞かされているんだ?。
 俺は、男の話に退屈してきた。五月晴れの公園のベンチはポカポカして、昼食後の体を睡魔が襲う。

「あの日も、血を売りに行ったんじゃが、検査で血が薄いと断られてのぅ。もう金が一銭ものうて途方に暮れておった。そんな時、男が声を掛けてきたんじゃ。『夢を売ってくれませんか』、確か、そんなことを言ったのう。見ると、背広を着て眼鏡を掛けた、お役人みたいなのが立っておった。儂は『売るもんなんぞ何もないぞ。血も売れんかったんじゃ』と言うたんじゃ。そしたら『血じゃありません。夢ですよ、夢を売って欲しいんです』と繰り返すんじゃ」
「夢?」
「そうじゃ。『そんなもん、とっくに無くしたわい』そう言ったらな、『違いますよ。ほら、寝る時に見る夢ですよ。それを売って欲しいんです』とぬかしおる。こいつ頭がおかしいんじゃないかと思うたが、『いくら出す』とまあ、冗談半分で聞いてみたんじゃ。そしたら、忘れもせん、『十円でどうですか?』と言うんじゃ。今の十円じゃないぞ。今に換算すると百万円、いやもっと、それ以上じゃろうな。その頃の儂にとっちゃぁ、大金も大金。かなりやばい気がしたが、儂には命の他に失う物は何もなかった。怖いもん無しじゃ。それで、つい『売るよ、売る』って、男の気が変わらんうちにと思うて、つい言うてしもうた」

「それで」
 話の急展開に、俺はつい身を乗り出した。
「そしたらな、札入れから十円札を一枚抜いて儂に渡すんじゃ。手にした途端、不覚にも手が震えてしもうてなぁ」
「十円札?」
「そうじゃ、当時はまだ一万円札なんか無かったからのう。その頃、儂はどや住まいでな。つまり住所不定じゃ。だから契約書があると困るんで聞いてみたんじゃ。そしたら『ありません。あなたがお金を受け取った段階で契約は成立です』と言うんじゃ。しめたと思うたなぁ。このままとんずらすりゃ丸もうけじゃ」
「とんずらって、何?」
「逃げるってことじゃ。近頃の若いのはろくに言葉を知らんのう」
 俺はむっとしたが、男は全く気にする様子もなく話を続ける。
「儂は、あまりに話が旨すぎるんで気になってなあ、聞いてみたんじゃ。『ばくじゃあるまいし、何で夢なんか買うんじゃ』ってな。だって何の得にもならんじゃろう、人様の夢なんか買ったって。そもそも、そんな形の無い物、どうやって買うのかさえも分からんだろう」
「それで」
「男は、もうすっかり安堵したような顔で笑っているばかりで、それ以上何も言いよらんかった」

 男の話は一向に要領を得ない。膨らみかけた興味が急速に萎み始めた。俺は大きな欠伸あくびをした。
 ――今日は臨時の金が入ったから、このまま会社をサボって飲みにでも行くか。その前に、いい加減この余多話を終わらせないとな。
 俺の気持ちを察したか、男が笑った。
「儂の話は、そんなに退屈かのう。じゃが、これも契約のうちでな、あと注意事項が残っておるんじゃ。もう少し我慢して聞いてくれんかのう」
「そろそろ会社に戻らなくちゃいけないんでね」
「分かっておる。ところで、儂は何歳に見えるかのう」
「さあな」
 野郎の年なんか、全く興味ない。俺はなげやりに答えた。
「実はもう百歳をとうに越えているんじゃ」
「百歳!?」
 耳を疑った。改めてつぶさに見ると、昔のすさんだ生活の代償か顔色は悪くかさついているがしわは少ない。少し足を引きるように歩くが、身のこなしは軽そうだ。多めに見積もっても三十代後半から四十代前半の間といったところだった。男はにたりと笑った。

「驚いたじゃろ。嘘じゃと思うとるんか。まあ、信じる信じないはお前の勝手じゃがのう。とにかく儂は、その日から一睡も出来なくなったんじゃ。夢を売るというのは、こういうことだったのかと後悔しても、今更遅い。睡眠薬も効かん。本当に苦しいもんじゃ、眠れんというのはのう。本当に地獄じゃ。
 儂は、気が狂いそうになって、自殺を図って、車に飛び込んだこともある。当然大怪我はしたが、死ねないんじゃ。しかも麻酔が効かんから、手術が痛いの何のって、それは口では表せん。あまりの痛さに失神しそうなもんだが、それもできん。正気を失うこともない。病院中響き渡るような声を上げ続けたもんじゃ。それでやっと儂も悟ったんじゃ。そんなことで逃れようとするのは契約違反なんじゃとな。それ以来、健康にも気遣うようになったのう。この代償と言っては何じゃが、歳を取らんようになった。でもこれだって、あまり嬉しいもんじゃないがのう。
 と、まあ一応ここまでが契約の説明じゃが、言っておくがクーリングオフなんぞはできんぞ」

 男は俺の顔をじっと見た。俺の眠気は、すっかり飛んでしまっていた。
「お前は頭が悪そうだから、もう少し話してやろうかの。そこまでする義務はないんじゃが、特別じゃぞ。儂は契約を解約しようと、その男を捜すことにした。何年掛かったかの、消息が分かった時にゃあ、そいつはとっくに死んでおった。儂は途方に暮れた。じゃが、時間が経つうちに、儂は気づいたんじゃ。こんな目に遭っているのは儂一人じゃないはずじゃとな。そんな輩は世界の何処かに何人かはおって、中には几帳面に何か書き残している者がいるかも知れん。あわよくば解約の仕方も分かるやも知れんとな。儂は、それを探しに行くことにしたんじゃ。
 が、まず先立つ物は金じゃ。儂は考えた。何せ、時間だけは死ぬほどあるからの。どうやって稼いだか具体的なことまでは教えられんが、要は人は眠り、年を取るということじゃ。それは誰にも避けられん。その点、儂は眠らんし、年も取らん。怪我はしても死なんときた。これは儂の最大無二の武器だと気づいたんじゃ。世の中、どんなことでも需要と供給さえ折り合えば金になる。まあ、そういうことじゃ。お陰で、儂は金に困ることはなかったよ。その金で世界中の博物館や図書館、その他遺跡や史跡、有りとあらゆる所を探し回って、やっと解約の仕方を見つけたという訳じゃ」
 男は、大きく伸びをした。
「さてっと。これで儂の話は終わりじゃ。長々と悪かったのう。儂もやっとこれで眠れるわい」
 男はおもむろに立ち上がった。

 俺は上司とけんして会社を飛び出し、公園をぶらついていた。先程の男が声を掛けてきたのは、つい一時間ほど前のことだ。俺は、その男から『夢を売る』代金として百万円を受け取った後、ずっと奇っ怪な話を聞かされていたのだ。最初は新手の宗教勧誘かと警戒したが、金に釣られた。百万円という額が絶妙だった。それ以上の額を払うと言われたら、警戒して断っただろう。十万円だったら、歯牙にもかけなかったかも知れない。百万円だったから、つい「うん」と言ってしまった。

「夢なんか買って、一体誰が得するんだ? 何の意味があるんだ?」
 俺はその辺りに手掛かりがあると思った。
「さあ、それは俺にも分からん。答えを探そうとも思わなかったな。さっきも言ったが、需要と供給じゃ。人の欲望に切りはない。そこに意味を見出そうとしても無駄じゃ。それに相手が人かどうかも分からんしな」
 男は取り合わない。
「おい待てよ、解約の仕方を教えろ」
 俺は、男の腕を掴んだ。
「これだけ話しても分からんか。解約と契約は表裏一体ってことだ。おっと、後は自分で考えろ。それくらいの暇つぶしがなけりゃ、この先死ぬほど退屈するぞ。断っておくが、儂の真似をして、誰かを捕まえて金を渡したってダメじゃぞ。なんの解決にもならん。物事には、手順があるんじゃよ」
「手順って、何だよ」
 俺は思い返してみた。男は、「夢を売ってくれ」と言って、現金を手渡ししただけだ。契約書も領収書もない。
「それは自分で探すんじゃな。今の時代はいいのう。自動車や飛行機があって、世界中どこへでも簡単に行ける。ヨーロッパへでも一日半ほどで行ける。その昔は、交通手段が馬車か船ぐらいしかのうて、ちょっと移動するのにも何ヶ月も掛かったもんじゃ。ヨーロッパなんて言ったら、それは命懸けの、いつ着くとも知れん旅じゃった。今はインターネットという便利なものもあるが、まあ、それで簡単に答えが見つかればいいがのう」
 じゃあな。男は、直ぐに人波に消えていった。俺は男が消えた方向に目をやったまま、スーツの上から内ポケットの札束の厚みを確かめた。

 さて、たった今あの男から聞かされた話は、実話か、作り話か。俺には判断がつかない。が、先程から頭の芯がむずかゆいような、熱いような変な感覚に襲われている。
 何だか目が冴え冴えとしてきた。


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