【連載】ラジオと散歩と味噌汁と(12/15)
12.再び
翌日、再び君の実家を訪ねた。
「昨日は、突然お伺いして申し訳ありませんでした」
「ああ、よかった。あの後、帰宅した主人にあなたのことを話したら、どうしてろくに話も聞かずに帰してしまったんだって、怒られまして……」
さあ、こちらへ。
玄関横の応接室に通された。昨日は玄関先で終始したから、これは大きな進歩だ。
「我々が知らない娘のことを聞けたかも知れなかったじゃないかって。恥ずかしながら、私共は娘とちょっとした行き違いがありまして、ここ数年あまり話をしてなかったもので……」
義母はお茶を勧めながら、私が口を開くのを待った。
「冴子さんは、ずっとこちらに……」
「いいえ、五年ほど前から家を出ていました。それが二年前のことです。突然電話が掛かってきて、迎えに来てくれないかって。その時はもう病気がかなり進行していて、歩くのがやっとでした」
「どこにいたんですか?」
義母は私の家とは違う住所を告げた。
「家に連れ帰ってからも、娘はじっと我慢して、耐えて……。まるで修業僧みたいな、そんな日々を過ごしてました。もっと私たちに甘えていいのに、もっと甘えて欲しいのに……」
義母はハンカチで目を押さえた。
また、私の記憶と義母の話がくい違う。自信がぐらつきそうになるが、今日は物証がある。
義母が落ち着くのを待って、
「ぜひ見て頂きたいものがありまして……」
とバッグから味噌桶を取りだした。
「これなんですが……」
「それは娘の……。どうしてあなたが?」
やっと一つ、義母との認識が一致した。
「冴子さんが私の家に持ってきたんです。味噌を造るからって」
「娘が、あなたの家に……ですか?」
「信じられないと思います。私も昨日からずっと混乱しています。でも嘘や冗談ではありません」
「そんなはずはありません。娘は三年くらい前に発症していたそうで、家に連れ帰ってからは、ほどなく寝たきりになりましたから……」
君の病気に話が及ぶと、義母は張っていた気が緩んだのか、やつれた顔を覗かせた。
――どういうことだ。誰かが君に成りすましていたのだろうか。
君を見間違うはずはないが、少しでも疑念があるなら消しておきたい。
義母に君の写真を見せてほしいと頼んだ。アルバムをめくる。同窓会の集合写真を示しながら、
「これが冴子さんですよね。そして、これが僕です」
義母は頷いた。これで二つ目の一致。私は安堵した。
「僕達はこの半年後に結婚したんです」
「ですから昨日も申しましたように、娘は結婚はしておりません」
ほっとしたのも束の間、義母は頑ななまでに否定した。
「でも私達は入籍の後、あなた方と食事をして、結婚の報告をしたんですよ」
「そんなことはしてません。あなたにお会いしたのは、先日が初めてです」
やっと掴んだと思った物が、その傍らからするりと零れ落ちていく感覚。
「どういうことでしょうか?」
「どうもこうもありません。お話ししている通りです。これ以上変なことばかりおっしゃると、もうお話しすることはありません。どうぞ、お帰り下さい」
お帰り下さい。
再びその言葉を突き付けられて、やっと気づいた。
私は自分の記憶に捕らわれすぎて、結論を急ぎすぎていた。
義母にすれば、娘を失った悲しみの中、突然娘の夫を名乗る男が押しかけてきたわけだ。しかも訳の分からないことを並べ立てる。何が目的なのか分からない。
これでは警戒されるのも無理もない。
私は、義母の気持ちを全く慮れていなかった。
これ以上噛み合わない話を続けて、不信感を募らせるのは良くないと判断した。
暇を乞うと、その前に線香を上げてほしいと懇願された。
「友達には知らせないでとの遺言だったので……。訪ねてくれる人が少なくて……」
義母は無念を滲ませる。
私は奥の客間に招き入れられた。目を落として、義母の後をしずしずと付いて行く。
視界の端に小さな真新しい仏壇が見えて、私は視線を上げた。遺影が微笑んでいる。君の戒名が書かれた位牌も見える。死という現実が直ぐそこにあった。
私は愕然とした。足が竦んだ。
――そんなバカな。
うろたえた。心が悲鳴を上げた。
私はその場から逃げた。
どうやって家まで帰り着いたのか、途中の記憶がなかった。
ベッドに横たわって目を閉じた。脳裏を遺影と位牌がぐるぐる飛び交う。
結局、その夜は一睡もできなかった。
朝になって私は、味噌桶を忘れてきたことに気づいた。
<続く……>
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