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【連載】ラジオと散歩と味噌汁と(7/15)

あらすじ:散歩から戻り、朝食を摂りながらラジオを聞く。それが私の日常だった。ある日、いつものラジオ番組で、一年ほど前になくなったはずの君のリクエストが読まれた。私は椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。混乱しながらも、君と過ごした日々を思い出す。それはとても奇妙な思い出だった……。

7.味噌汁

 ある朝のこと。
 君が朝食を作るのさえ苦労しているのを見て、私は居たたまれなくなった。その場で味噌汁の作り方を教えてほしいと頼んだ。

「こんなの、別に難しいことでも何でもないわよ。まだ始めたばかりだから、この後やってみる?」
 鍋にはまだ水が引いてあるだけだった。
「今日の具は、私が好きな豆腐とわかめよ。それじゃあ、びしびしいくわよ。覚悟してね」
 君はにやりとした
「何だか怖いな」

「今日は煮干しで出汁を取るわよ。煮干しは生臭さが出ないように、頭と腹の部分にある黒いワタを取り除いてね」
「それを水を入れた鍋にしばらく漬けてて。身がふやけたら、強火でふっとうさせるの」
「灰汁は小まめに取ること。沸騰したら弱火にして10分ほど煮出して、出汁の出来上がり。煮干しは残さずきれいに取り出してね」

 豆腐は手のひらをまな板代わりにして、さいの目に切る。
「その調子、その調子。包丁は絶対引いてはだめよ。するから」
 大きさもばらばらで、形もいびつだが、君はそれを笑いながら「それがいいのよ」とおだててくれた。

「乾燥わかめは予め水で戻して、適当な大きさに切って、水を切っておくの」
「火が通りにくい具材や大きめの物から先に入れるのよ」
「沸騰したら一度火を止め、味噌を溶き入れるのよ」
「そうしたら再度点火して、煮立たせないように火を加減してね」
「煮え花で火を止めて、吸い口を加えるのよ。それで出来上がりよ」
 君は、ついつい手を出したくなるのを我慢して、身振りを加えながら、その場その場で的確な指示を出した。

「ネギやわけぎなどの、汁ものに添える香りなどのことを『吸い口』と言うの。『煮え花』は、お味噌汁の、煮立ち始めの、香りや風味が一番よい状態のことね。ねえ、本当に日本語って素敵だと思わない? 私、もし生まれ変われるとしたら、やはりまた日本人に生まれたいな」
 講釈している君の笑顔は思いの外明るかった。

「具は何でもいいの。旬の野菜やキノコ類も良いわよ。あなた、一人だけだと野菜をあまり食べないから、できるだけ沢山入れるようにしてね」

 生まれ変われる、一人だけ。何気ない君の言葉が、私の心を冷やしていく。それと気づいた君は、
「あっ、ごめん。別に深い意味はないから」
 と謝る。
「昆布や鰹節で出汁を取るのは、また今度ね」
 と講習を締めくくった。

 その日から私が味噌汁の担当になった。

 間もなくして君のラジオはベッドの脇に置かれたままになり、私は新しいラジオを買った。
「新しいのを使ったらいいよ」
「いいの、これで。あなたとより長い付き合いだもの。ポンコツはポンコツ通し仲良くするわ。壊れる時は一緒よ」
 同じ番組が寝室と台所で流れて、私はそれらをステレオのように聞きながら、あさを作った。

 ある日、朝食を用意して呼びに行くと、君は起き上がりぎわに、
「子どもでもいればね……」
 と私に詫びた。その後に続く言葉は容易に想像できた。
 せめて私の味だけでも残せたのに……。

 私は、娘と一緒に台所に立つのが君の夢だったことを知っている。
 でもそれは叶わない。
 だから私が君の味をつないでいくと決めた。

<続く……>


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