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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係2 (後編)

(2,502文字)

「今度は、何?」
 お手洗いから戻ってきた田所は、何か感じ取ったみたいだ。
「犬を捜してくれって……」
「あなた、今度はちゃんと断ったわよね」
「はい。でも先方から一方的に電話切られて……。明日、写真持って、来るそうです。先輩どうしましょう」

「あなたねーっ。どうして、いつもそうなの。私は今年で五年になるけど、そこまで厄介な目にったことは1回もないわよ。まあ確かに月に数件おかしな電話が掛かってくることはあるけど……。あなた、何かいているんじゃない?」
「全然そんなことないですよ。私、福引きやくじも当たったこと一回もないですし……」
「あなた、たまに変なこと言うわね。そのツキじゃないわよ。何か悪い霊とか憑いているんじゃないかって言ってるの!」

「そんなあ。私、どうしたらいいのですか?」
「私に任せて」
「えっ?」
 田所の口から「任せて」の言葉が出ると思ってもみなかった。亜希子は面食らった。いつもは「お願いね」と面倒な仕事を回してくるのに、何だか別人に見える。

 田所は、つかつかと石田マネージャーの席へ行き、
「マネージャー、今朝、菅原さんに観光協会うちの評判にも影響するから、丁寧な対応をするようにと、仰ってましたよね?」
「ああ、言ったよ」

「先程、今朝のお客様からまた電話が掛かってきて、どう対応していいか菅原さんが困っています」
「それで……」
 石田は論理的に追い詰められていることに気づいた。
「それで、マネージャーに適切な対応の見本を見せて頂きたいのですが……」
「適切な対応の見本を、かね?」
 押し切られた。
 石田は、田所がここまで交渉にたけけてるとは思っていなかった。

「はい。私は菅原さんと同レベルですので教えられません。ここはマネージャーである石田さんがびしっと丁寧な対応を見せて下さい。よろしくお願いします」
「わかった。じゃあ、次に電話が掛かって……」
「明日、ここに来るそうです」
「ここに来る? どういう意味だ?」

「ですから、明日、ご婦人が犬の写真を持って、捜索の依頼しに来るそうです。対応お願いします。よいでしょうか?」
 石田の目が点になった。田所と一緒に働くようになって二年。石田はこんな田所を見たことがなかった。
「……」
「よいでしょうか?」
「ああ、わかった」

 田所は席に戻ると、亜希子にウィンクを寄越した。
「先輩、ありがとうございます」
「いいのよ。マネージャーにもいい仕事してもらわないと、ね」
 田所はにんまりした。


4.待ち人

 翌日の金曜日。
 石田マネージャーは朝から何となく落着きがない。田所はこっそり石田マネージャーの様子を観察していた。
 十分おきぐらいに椅子に座ったり立ったりを繰り返している。自動ドアが開く度に、石田は顔を向ける。顔見知りと分かると、明らかに肩の力が抜けるのが分かる。

 田所は亜希子の腕を突いて、
「ほら、見て。マネージャー。少し緊張してるみたい」
「そうですか。そんな風には見えませんけど」
「私にはわかるのよ、付き合い長いからね」
 田所は言った側から弁解した。
「あっ、変な意味じゃないからね」
「分かってますよ」


 九時丁度に電話が鳴った。
 その瞬間、石田マネージャーの背筋がぴーんと伸びたが、二人は気づかなかったようだ。
 亜希子と田所は顔を見合わせた。田所が小さくうなづく。亜希子が電話を取った。

「おはようございます。五ノ鹿町観光協会案内係、菅野が承ります」
 亜希子の声が少し固い。
<五ノ鹿町が、花札の猪鹿蝶になっているわよ>
「あのぅ、すみません。どういうことでしょうか?」
<ホームページよ。見ていて気づいたんだけど、五ノ鹿町のところが、猪鹿蝶町ってなってるのよ>

 しまった。十分チェックした積りだったが、誤字変換したのに気づかず更新したらしい。
 『いのしか』の変換候補として、
 『イノシカ』
 『五ノ鹿』
 『猪鹿蝶』
 と出た時、うっかり三番目の『猪鹿蝶』を選択したようだ。

「申し訳ありません。ご指摘、ありがとうございました。直ぐに訂正いたします」
<あなたが作ったの?>
「はい。まだあまり内容がありませんが、これから少しずつ増やして、いい物にしていきたいと考えております」
<そう、期待してるわ。頑張ってね>
「はい。ありがとうございます。失礼します」

 まだ作ったばかりのホームページだけど、しっかり見てくれる人がいた。亜希子は何だか嬉しくなった。
「違ったようね」
「はい。ホームページの間違いを指摘して頂きました」
 亜希子の対応に聞き耳立てていた石田はそっと息を吐いた。


 結局、この日は定時まで一人の観光客も来なかった。
「電話の人婦人は見えませんでしたね」
「本当に、人騒がせな人だね」
 亜希子と田所が話していると、
「さあ、帰りましょう。お疲れ様」
 石田マネージャーはそそくさと協会を後にした。
「お疲れ様でした」
 田所も亜希子も、長居は無用とばかりに帰途に着いた。

 その後も、電話の人からは何の連絡もなかった。
 おそらく犬のケンちゃんは無事飼い主の元に帰ってきたのだろう。亜希子はそう判断した。
 そして、このことは亜希子の頭から次第に消えていった。


 さて。
 今日も今日とて、亜希子は大忙し。
「菅野さん、朝お願いした件は、まだですか?」
「もう少し時間を下さい」
「もっとてきぱきと処理して下さい。何か分からないことがあれば、田所さんや私に聞いて下さい。よいですか?」
「はい」
 亜希子は石田の注意を半分受け流している。
 それに気づいた田所は横で笑う。

 亜希子は入社二ヶ月ほどでホームページを立ち上げた。よく失敗もするが、何ごとにも真っ向から全力でぶつかって行く。良くも悪くもその影響は大きい。
 この頃、田所は彼女に負けてられないという気になってきている。

 それは石田も感じているようで、亜希子に対する口調がこの頃少し和らいだように、田所は感じている。

<終わり>


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