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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係(後編)

3 リダイアル

 リダイアルボタンを押すと携帯電話の番号が表示された。数回の呼び出し音の後、
<はい、志村です>
 若い声が出た。さっきの偏屈な老人の声ではない。
「私、五ノ鹿いのしか町観光協会案内係の菅野と申します。先程、こちらにお電話頂いた方の電話でよろしいでしょうか?」
<えっ? 電話ですか? 僕はした覚えはありませんが……>
「そうですか。先程年配の方からお電話を頂いて、名前はお伺いしなかったのですが、私共の着信履歴に電話番号が残っておりましたので……」
<あっ、そうか、分かりました。多分祖父です。祖父が私の携帯電話を使ったのだろうと思います。では少し待って頂けますか、祖父に替わりますので……>

 ばたばた走る足音。ドアを開ける音。「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼びかける声。その後,
少し息が上がって声で、
<もしもし、お待たせしました。祖父は昼寝していて、声を掛けたのですが目覚めそうもありません。代わりに私が内容を伺います>
「そうお願いできますか。先程の電話で、私の一番のおすすめの場所を案内しますと、つい約束させられた、あっ、いえ、お約束したのですが、協会としてそこまで立ち入ってはいけないことになっておりますので、誠に申し訳ありませんが、お断りさせて頂きたいと思い、お電話を差し上げました。よろしくお願い致します。とお伝え下さい」

<はい。お話しは分かりました。それでは改めて、あなたに案内をお願いできないでしょうか?>
 この人、何を聞いていたのかしら?
 話が変な方向に動き出した。
「あのーぅ、私個人としても、お断わりしているつもりなんですが……」
<今、協会としては、って仰いましたよね。でも個人的には可能かも知れないと思ったのですが……>
 うっ、痛いところを突いてくる。重箱の隅をつつくな。全く祖父が祖父なら、孫も孫だ。

「言葉のあやってご存じありませんか? うっかり承諾してしまったことは謝りますが、休みの日まで観光案内するのは、どうも……」
<それだったら回りくどい表現はせず、単刀直入に嫌だから断ります、って言ってもらえればよかったのに……>
「分かりました。案内するのは嫌です。断ります」
<菅野さん、重ねてお願いします。祖父には今週の土曜日しかないんです。もしどうしても避けられない用事があるのなら諦めますが、もしそうでなかったらでないなら……>
 何、話が違うじゃない。

「用事があります!」
<そこを何とか。もしかしてデートですか?>
「余計なお世話です!」
 亜希子がぴしりと言うが、なおもすがってくる。
<祖父は旅行が趣味で、数年前に心臓発作を起こすまでは、一人で各地を飛び回っていました。祖父は尊大なところがあり、口も悪いですが、根は優しい人です>
「……」
<お願いします。祖父は月曜日にまた入院しなくてはならないんです。やっと取れた外出許可なんです。お願いします>

 心臓発作? 土曜日だけ? 月曜日には入院? 外出許可?
 亜希子の母性本能をくすぐるような言葉がずらりと並ぶ。それに受話器の向こうで、何度も何度も可愛そうなくらい頭を下げている志村の姿が目に浮かぶ。
 甘いなあ。私は、大甘ちゃんだな。こんな風にオレオレ詐欺にも引っ掛かっていくんだろうな。
 あーあっ、また母にバカにされる。
「分かりました。お引き受けします。では約束通り、今度の土曜日の9時、JRのS駅前でお待ちします」


「もう、あなた、何やっているのよ!」
 母にバカにされる前に、田所に叱られた。
「今、断りの電話をしたはずよね」
「はい」
「じゃあ、なぜ引き受けますなんて言ったの?」
「えーっと、それは、成り行きで、そうなってしまって……」
「呆れた。まあ、あなたの休みの日の行動まで、とやかく言わないけど……」
 言ってるじゃないですか。

「名前は聞いたの?」
「本人じゃなく、お孫さんが出たので……」
「聞かなかったの?」
「はい……」
「もう、重ね重ね何やっているの。あなたがじいさんにだまされて、どうなろうと私は知りませんからね」
「そんなぁ。先輩ーっ、見放さないで下さいよーっ」

 亜希子は田所に泣きついた。


4 待ち合わせ

 土曜日。
 先日一旦は「一緒に付いて行こうか」と気遣ってくれた田所先輩は、今朝電話で「気を付けなよ」と、まあ心強い助言だけをくれた。

 待ち合わせ場所に、亜希子は重い足を引きずりながら、それでも約束の10分前に着いた。駅前のロータリーに車が一台止まっており、その脇に若い男が一人立っていた。
 男は亜希子を認めると、近づいてきた。
「菅野さんですか? 私、志村健吾です。初めまして」
「菅野亜希子です。先日は失礼しました。お爺様はどちらに?」

 見回しても老人の姿はない。
「実は、祖父は急に容態が悪くなって入院しました。申し訳ありません。事前に連絡しようにも、協会の方の番号しか分からなくて……」
 亜希子は、爺様との禅問答のような会話に備えて、がっつり心に鎧を着込んできた。
 それなのに……。亜希子はすっかり気が抜けてしまった。
「分りました。そういうことでしたら、お気になさらずに」

 そのまま帰ろうとする亜希子を、志村が引き留めた。
「もしよろしければ、私をその場所に案内して頂けませんか。せめて病室の祖父にテレビ電話で見せたいと思います」
「いいですが……。ただお爺様にも説明しましたが、あくまでも私のお気に入りの場所というだけで、風光明媚ふうこうめいびな所でもなく、インスタ映えする所でもないですよ」
「はい。その辺りの話は聞いてます。それが祖父の希望でしたから」

「そこへは車で行けますか?」

 亜希子のお気に入りの場所。それは、この町から隣町へ山越えする古い道の途中にある、車が二台がやっとの駐車場のことである。小さい頃、父に連れられて来たのが最初だろう。亜希子は、そこから見下ろすこの町が好きだった。
 あの頃とは随分町並みは変った。古い家の並びが消え、色とりどりの家々や新しいビルが取って代わった。人が生活を営み続ける上で仕方ないことではある。だが亜希子に取ってこの変貌は、それこそ風情もへったくれもないものである。
 しかし、この場所から眺望すると、けばけばしい厚化粧が清々しい空気に薄められ、昔と変わりない顔を見せてくれる。
 特に、ちょうど今の季節、春先の夕暮れ時が亜希子のお気に入りである。海に沈みかけた日が町を真っ赤に焼く。そこから時系列で夜景へと変化していく風景。
 何もないけど、やっぱり一番好き。

 志村はスマホをテレビ電話にして、祖父に繋いだ。
「おじいちゃん、どう、見える? これが菅野さんのお気に入りの風景だって」
 ベッドで座り酸素マスクを着けた老人が、志村のスマホ画面に映る。
「ん? 何? 分かった」
 私には老人の声がもごもごとしか聞こえないが、彼には分かるようだ。志村はスマホを左右にゆっくり動かしてパノラマで見せる。
「これでいい? どう? 見えた?」
「夕方から夜に掛けての景色が、実にいいんですよ」

 えっ? あはは。
 志村は笑いながら、スマホを亜希子に向けた。
「あなたの顔を拝ませろって」
「嫌ですよ」
 カメラに手をかざして妨害する。
「一生の願いだそうです」
「本当に、お爺様がそうおっしゃってるの? 志村さんが適当に言っている訳ではないですよね?」
「はい。正真正銘、祖父の言葉です」

「私にはごにょごにょとしか聞こえませんけど……。あなたは翻訳こんにゃくでもお食べになったのですか?」
「何ですか、翻訳こんにゃくって?」
「いいえ、別に大したことではありませんから、気にしないでください」
「しゃきしゃきして、ばあさんの若い頃そっくりだって」
「しゃきしゃきって、私はレタスではありません。『ちゃきちゃき』の聞き違いでは。もっとも私、江戸っ子でも、ありませんけど」
 老人の酸素マスクが大きく揺れた。笑っているようだ。

「ちゃきちゃきだそうです。どうもオノマトペは聞き分けづらくて……」
 老人の口がごにょごにょ動いた。だが、志村は通訳しようとしない。
「今のは?」
「……」
「お爺様が、手を振り回して、また何か仰ってるわよ」
「……お前の嫁さんにどうだ……と」
 志村は頭を掻きながら、口ごもる。
 照れている?!
 あの爺様の孫でも、性格的には大きく違うようだ。

<あーっ、じれったい>
 突然、爺様は酸素マスクを外して、起き上がった。
 えっ。
「おじいちゃん、大丈夫なの?」
<儂のことはいい。それより、お前。そんなことだから、いまだに彼女さえできないんだぞ>
「そんなこと……」

<お前にはそれくらいの跳ねっ返りが丁度いいんだ。顔もまあまあだろう。うだうだ言ってないで、その辺で手を打て>
 何言ってるの、この色惚いろぼけじじいは。
「おじいちゃん! 切るよ」
<待て、健吾……>
 爺様の思いは通信と共に断ち切られた。
「ごめんなさい。祖父の暴言の数々……」
 志村は平身低頭して謝る。

「頭を上げて下さい。気にしてませんから」
「祖父は歯にきぬを着せぬというか……。すみません、祖父の言ったことは忘れて下さい」
「どこを、ですか?」
「ちゃきちゃきの後辺りから、なかったことに……。お願いします」
「分かりました」

「どうも入院は仮病だったようです。祖父に計られました」
「計られた? どういうことでしょう?」
「祖父は、あなたのことをとても気に入っていました。祖母の若い頃に似ているって。それで私に紹介しようと、一芝居打ったようです」

「私をですか? 電話で話しただけですよ」
 電話ではとてもそんな感じは受けなかったけど。
「気の強そうなところ、あっ、いや……」
「志村さん、実際お爺様は、あなたにそう仰ったのかも知れません。ですが、それを私に言う時にはもう少し気をつかって、糖衣に包むべきではありませんか?」
「失礼。確かに仰る通りです。失言でした。配慮が足りないって、よく母からも叱られるのです」
「あなたも、『の』って仰るのですね」
「えっ?」
 何でもありません。亜希子は黙って首を振った。

「それでは、月曜日に入院するという話も嘘?!」
「それは本当です。定期的に心臓の検査のため入院しています」
「土曜日だけとか、外出許可と言うのは?」
「あれは、私が咄嗟とっさに考えました。祖父は滅多に、他人にの自分を見せません。祖父とのやり取りを聞いて、あなたに気を許したことが分かりましたから」
 私に気を許した、か……。うん。
 亜希子は悪い気はしない。

「あなたに一つ、お願いが……」
「何でしょう?」
「よく、SNSに投稿された写真が気に入って行ってみたら、全然感じが違っていてがっかりしたことはありませんか。写真に切り取られた空間以外は、余りぱっとしないなあってことが。やはり景色には、その中心に人がいる、それが一番いいと思います」

 亜希子には志村の趣旨が掴めない。
「それで私にお願いと言うのは?」
「ここの他に、亜希子さんの好きな場所を、案内してもらえませんか?」

 えっ。

「それは……」
 亜希子はちょっと思案して、聞き返す。


「観光協会としてですか。それとも私個人として、ですか?」


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