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自分の才能を活かせる人になるために必要なこと

最近思うことがあるんです。
どんなにいい人でも才能を持っていたとしても、活かすための行動しなければそのアドバンテージは効果を発揮できないどころか、足かせになることすらあるなって。

チャンスが平等=平等に掴めるわけなじゃない


令和の今、昭和・平成では考えられないくらい個人の努力でチャンスを掴みやすい環境が整ってます。でもそれは比較的平等に機会が与えられているっていうだけで、平等につかめるわけじゃない。

昔は機会が平等に与えられていなかったからこそ、愚痴もある種正当化できたのかもしれない。どんなに頑張っても結局◯◯だよね、みたいな。

でも今は違う。流行や需要と供給を見極めながら、自分の持っているリソースを使って成果を出すことができちゃう。昔みたいに成功パターンが決まっていないから「この人だからできる成功パターン」みたいなのもゴロゴロ転がってるのですよ。

あとは自分がやるかやらないか。
他人から見て魅力的なスキルや才能があったとしても、周りがわざわざそれを教えてくれない。意地悪とかじゃなく、あえて言う必要がないから。

特に年齢を重ねると他人に対してわざわざ伝えることって本当にない。
ゆえに気づかない。

自然にしていたらスキルや才能には気づかないから、年齢を重ねたらちょっと前のめりかなってくらい意識して自分に興味を持たないとダメだなぁって思うんですよ、ほんとに。

才能のヒントを他人から教えてもらえる人、もらえない人


スキルや才能があるけど自分に興味がなかったり、見つめ直すことを無意味だと思っている人って言動でなんとなくわかる。

だから興味なさそうな人に「ここすごいよ」ってあえて教えようって言う気持ちにはならない→教えてもらえないんです。
これ気づいてない人、結構います。

「気づいたら教えてほしい」って思うかもしれないけど、冷静に考えて教えるわけないじゃないですか。喜んでもらえるか不安な状態ならあえて言わないのが定石。
喜ばない可能性があるならやめとこう、が普通です。

SNSで繋がれる範囲が広くなったからこそ関係性が薄い人とはサラッと付き合えるのが令和の良いところ。でもそれは才能のかけらのヒントを無条件で与えてくれるような関係じゃない。

教えたら喜んでくれそうな人にしか、教えようとは思わない。
めちゃくちゃシンプルです。

教えたら喜びそうな人ってどんな人?


じゃあ、教えたら喜びそうな人ってどんな人?

私は「挑戦してる人」だと思います。
環境や年齢のせいにせず、それでいて無視せず考慮して挑戦してる人。
自分の知らないところを学んで、前に進む努力をしている人。

何も挑戦せず現状維持が一番って言う人に、「この才能すごいね」とあえて伝えることはない気がします。

もう少し若い頃は「やった方が絶対いいよ!」みたいに思って周りに声かけをしていたけど、もうやめました。そもそも本人に行動の意思がないのに余計なことを言うのは迷惑でしかないですもんね。

何かしらの関係性があって挑戦してる人だなってお墨付きがあれば、迷惑にならず喜んでもらえるかもって思えるから、気づいたことを伝える。

これが私にとっても周りの人にとってもベストなんじゃないかなと思っています。

そして私自身も才能を活かしたいので、気づいたことを教えてもらえるように日々挑戦し続けるし、それをアピールしていきます。

私、教えてもらえたらめっちゃ喜びますっ!





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