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私がこれまで「幸せ」だと思っていたもの

それは…刺激だったらしい。

↑この方の記事を拝読してハッとしたんです。
あぁ違和感やもやもやの原因はこの辺りにありそうだなと思いました。
このタルイタケシさんの記事を読んでいただければ分かるのですが、その中のサ道の例もしっくり来ました。
サ道的(??)にいえば、私もまさに「ととのう」を求めていた状態。そして「ととのう」の状態になれていないときは、気持ちが下がる。
私はそれの幸せバージョンです。
私は幸せじゃないことを嘆くこともあるし、それ以上に幸せを感じられない、幸せ状態を作れない自分に自己嫌悪を抱きっぱなしでした。


そして冒頭の内容に戻りますが、私がこれまで「幸せ」だと思っていたのは単なる「刺激」だったようです。
なんかおかしいなぁーと思っていたんです😅私は「幸せになるために!」とかよく考えるのですが、私の考える幸せってすごく疲れないか…?と。
私の思い描いていた「幸せ状態」というのは、常にハイな雰囲気のものでした。いつも今よりbetter,あわよくばbest!な状態を無意識で浮かべてました。そうなると色々な条件が自分に課されれてしまうのですが…💦
とりあえず、そんなに普段より異常に良い状態ばかり続くのって多分疲れるんですよ。ずっとハイになってる感じで。
だから、おかしいなぁーと。

刺激を求める欲望って青天井ですよね。尽きるところ無しだとおもいます。表現が合ってるかわからないけれどなんだか、薬物に近い気がします🙃
(外部刺激によって)いつもより良いハイな状態が続いて、その時はいいんだけれど、(薬の効果が切れれば気分が下がるように)ひとときのハイな状態でしか無い。
ハイじゃない時の虚無やイライラ、嫌悪感なども生じます。それを埋めようとしてさらに強い刺激を求めると、あとには虚しさしか残りません。

なるほど、コレは多分「しあわせ」じゃないんやなぁーと気づけた日でした。また前進した気がします。ありがとうございました🥰


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