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【考察日記】幸せとは追い求めるものではない、⚫️⚫️を感じるものだ。 | 「幸せ」願望に支配される日常からの卒業。

幸せは追い求めるものではない。

自分で、⚫️⚫️を感じるものでした。


どうも読書セラピストのタルイです。



突然ですがあなたは

「幸せになることが人生の目標」

だと思ってませんか?


私は長らく
そう信じて生きてきましたが…


いまちょっと
考えが揺らいできました…


というのも、


どうやら私たちは、
幸せになることが人生の目的だと
思い込まされています。


「思い込んでいる」のではなく
「思い込まされている」のです。



現代では自己啓発本や
コーチングや心理学などが、

個人として
幸せを追求することの価値や

ポジティブであることを推奨します。


とくに最近は
「自分らしく」生きることの
価値が強く求められてます。


自己肯定感を高めることも
暗に推奨されてます。



また幸福度調査
ウェルビーイング
などのキーワードから


国の政策としても
幸せであることが追求させられる
ようになってきています。


しかし、
このような「幸せの考え方」
本当に私たちのために
なっているのでしょうか?


心理学者エドガー・カバナスと、
社会学者エヴァ・イルーズ


このアメリカから世界に広まった
ポジティブ心理学や自己啓発などの
「幸せの科学」

人々や社会に
どんな影響を与えているかを
分析しています。

本書は、
フランスでベストセラーになり

日本では2022年に
みすず書房から出版されました。

彼らの著書のタイトルは
「ハッピークラシー」

「幸せ-Happy」による「支配-cracy」

を意味する造語です。

彼らは、
幸せの追求が人々の生活や政治に
どのような影響を与えているかを

歴史的・社会的・文化的な
文脈から分析しました。


誤解ないように補説すると

彼らは幸せそのものを
否定するのではなく

幸せの定義や測定方法
目的や手段について

問い直すことを
提案しているのです。


本書は、
以下の3つを主張をしています。

⚫️幸せを追求する問題❶

幸せを追求することは、幸せの科学と称する不確かで短絡的な心理学に基づき、ポジティブな感情や自信やレジリエンスなどを善とし、怒りや悲しみや不安などを悪とする二元論的な思考に陥ることになる。

これは、
感情や経験の豊かさや複雑さを無視し、

自分や他者を
判断することにつながります。


⚫️幸せを追求する問題❷

幸せを追求することは、社会構造的な問題や不平等を無視し、個人の心理的な問題として扱うことになる。

これは、
社会的な責任や連帯感や
公正さを軽視し

自己責任や競争や
消費に走ることにつながります。


⚫️幸せを追求する問題❸

幸せを追求することは、新自由主義経済や自己責任社会に都合のいい価値観や行動様式を強制し、人びとの自由や多様性を奪うことになる。

これは、
人びとの自由や多様性や
批判性を奪います。

また、
政治的な参加や抵抗や
変革の可能性も失われます。


彼らは
ポジティブ心理学や自己啓発などの
「幸せの科学」が、

新自由主義経済や自己責任社会に
都合のいい考えかたとして
機能していると批判しています。



と、ここまでを読んで

あなたは本書に書かれた内容に

共産主義のフリーメイソンが書いた
「資本主義に対する陰謀論」
を感じたかも知れません。

あるいは
こんな記事を書いてる私を
左翼の人とみなしたかもしれません。


ちなみに私は
常に中庸を心がけていますので
右でも左でもありません。




陰謀論は、
複雑な出来事や現象を単純化し、
それに対する説明を提供することで、
不確実性や不安を解消しようとします。


自分と対立するグループを悪役化し、
自分のグループを正義化することで、
対立感情を強化します。

対立を煽って面白がるのは
あまり趣味の良い行為ではありません。



そこで今回のテーマです。

本当に私たちは
アメリカ産の「幸せの考え方」に
操られているのか?



ここから考察してみたいと思います。



◆「ポジティブ心理学」の何が問題なのか?

マーティン・セリグマン

「ポジティブ心理学」とは、
人が幸せになるためには
どうしたらいいかを
研究する心理学のことです。


「ポジティブ心理学」は、
セリグマン博士という人が
始めたものです。


セリグマン博士は、
もともと人が悲しくなったり、
やる気をなくしたりする理由を
研究していました。


しかし、
1995年に彼の娘ニッキーが
6歳の誕生日を迎えたときに

彼は自分の考え方に
疑問を持つようになったのです。


娘のニッキーは、
セリグマン博士が
庭でバラを刈り取っているときに

「パパ、あなたはひどい人だ」

と言って泣き出しました。


セリグマン博士は驚いて
その理由を尋ねると、

「あなたはいつも
 文句ばかり言っているからだ」

と言ったのです。

ニッキーは、

「私も昔は文句ばかり言っていたけど6歳になったらやめたの。あなたもやめなさい」

と言って父親を諭しました。


6歳の娘に諭されるパパって…


なんだかとっても癒される
素敵なエピソードですよね。

そしてこの出来事がきっかけで、
セリグマン博士は自分の人生や
心理学の方向性を
見直すようになりました。


セリグマン博士は、
人が悲しくならないように
するだけではなく

人が幸せになるようにすることも
大事だと思うようになったのです。

そして、
「ポジティブ心理学」を作って、
人々に幸せになる方法を
教えようとしました。

「ポジティブ心理学」は、
世界中で人気になりました。

たくさんの人が
「ポジティブ心理学」の
本を読んだり、
講座を受けたり、
コーチングを受けたりしました。



「ポジティブ心理学」では、
幸せは遺伝と環境と行動の合計だという
「幸福の方程式」を使っています。

これは、
自分の幸せは自分で決められる
ということを言っています。


⚫️ポジティブ心理学の3つの問題


「ポジティブ心理学」には
問題点もあります。

まず、

「ポジティブ心理学」は、
感情や経験を
「良いもの」と「悪いもの」に
分けてしまいます。


良い感情
自信強さなどを
良いとして

悪い感情不安弱さなどを
悪いとします。

これは、
感情や経験は色々な意味や
目的があることを
忘れてしまうことです。


例えば、
「怒り」は悪い感情だと
思われがちですが、

「怒り」は正義感や不満や
変化への気持ちも
表すことができます。

感情は良い悪いではなく、
その背景や意味や目的を
考えることが大切です。

次に、

「ポジティブ心理学」は、
社会の問題や不平等を無視します。


幸せになることは
自分だけの問題ではありません。
社会の問題や不平等も関係します。


例えば、
「自己肯定感」は良いことだと
思われがちですが、


多くの人が認知している
「自己肯定感」は
社会の評価に左右されます。


社会で不利な立場にある人々は、
「自己肯定感」を高めることが
難しいかもしれません。


また、
「自己肯定感」を高めることが
目的化されると

自分や他者と比べたり
競争したり消費したりすることにも
なりかねません。

幸せになることは
自分だけの問題ではなく
社会の問題でもあると
考えることが大切です。


最後に、

「ポジティブ心理学」はお金や権力に
都合のいい考え方や行動を強制します。


「ポジティブ心理学」は
人々に幸せになることを
追求させることで

人々の自由や多様性や
批判性を奪います。

例えば、
「ポジティブ」であることは
良いことだと思われがちですが

「ポジティブ」であることは
常に望ましいことではありません。

「ポジティブ」であることは
現状に満足し
不満や不平を言わないことを
意味することもあります。



「ポジティブ」であることは、
政治的な参加や抵抗や変革の可能性を
失わせることもあります。

幸せになることは
一つの考え方や行動ではなく
多様であると考えることが大切です。

それから私は、
「ポジティブ心理学」自体が
悪い考え方だとは思いません。


しかし、
「ポジティブ心理学」が
「幸せの科学」として売られたり
思想化されたりすることには
疑問を感じています。



ポジティブ心理学が
これほどまでに圧倒的短期間で
世界中に浸透した
のには

私はどうしても
ビジネス臭』
感じてしまうのです。

つまり
ポジティブ心理学を
「幸せの科学」として商品化した

企業やスポンサーが
存在しているということです。



◆資本主義はなんでも商品にしてしまう

この世の中には
善意によって築かれた理想像
企業と政府が蝕ばむことは
よくあることです。


歴史上、
最初に何かを成し遂げた
偉大なるカリスマの周りには

ビジネスの匂いを嗅ぎつけて
あつまる輩が存在します。

私はその方たちが
ポジティブ心理学を

幸せの科学として
商品化してしまった
可能性があると考察します。


それは歴史が証明しているのです。


例えば
イエス・キリストもそうでした。

「自分を愛するように神を愛し、隣人を愛する」

イエスはそれを実際に行動された
大変に偉大な人物です。

そのイエスに対し後世の人たちが


・ただの水をワインに変える

・十字架にかけられ死刑にされたのち
 3日後に生き返った

など、壮大な奇跡の物語を付与して

イエスを「商品化」してしまいました。


ブッダもそうでした。

ブッダは人間の苦しみの原因と
苦しみから解脱するために

必要な知恵や行動や心構えを悟られた
大変に偉大な人物です。

そのブッダの教えに対して

もう厳しい修行しないで大丈夫。
全て阿弥陀仏にお任せ!
「南無阿弥陀仏」
と唱えれるだけでOK

と、
まるで通販番組で紹介される
キャッチコピーのように
させちゃいました。

このように昔から
カリスマの考えを曲解して
政策やビジネスに転用する手法は
歴史上に存在してきたのです。

「ポジティブ心理学」も
そうなったのかもしれません。


※詳しくはこちらの記事にも
書いてあります。




◆新自由主義が自己責任社会を作った

次に「ポジティブ心理学」を
商品化した人たち
考察してみましょう。

ところであなたは
「新自由主義」という言葉を
聞いたことがありますか?

「新自由主義」とは、
政府が市場に干渉しないで
個人が自由に競争することを
良いとする考え方です。

日本では「小さな政府」とか
「規制緩和」とか言われてたのが
これです。

「新自由主義」は、
1970年代から世界中で流行りました。


アメリカのレーガン大統領や
イギリスのサッチャー首相が
この考え方を取り入れました。

日本では
中曽根さん、小泉さん、安倍さん
あたりが取り入れました。

彼らは、
ミルトン・フリードマンという
経済学者の影響を受けました。

フリードマンは、
「市場は自然に最適な状態になるから、
  政府は何もしなくていい」

のようなことを言ってました。

ミルトン・フリードマン


その「新自由主義」は、
いまだ30年以上も続いていますが

その結果はどうだったでしょうか?


残念ながら、
この「新自由主義」は、
多くの問題を引き起こしたのです。


例えば、

自由競争によって、お金や力のある人だけがますます豊かになり、貧しい人や弱い人はますます苦しくなりました。社会には不平等や不公平が広がりました。

小さな政府によって、医療や教育や福祉などのサービスが悪くなったり、なくなったりしました。社会には困窮や孤立が広がりました。

競争の激化によって、物価や賃金が下がったり、景気が悪くなったりしました。社会には不況やデフレが広がりました。


「新自由主義は失敗だった!」


と、言えるかどうかは
まだ議論の余地があるかもしれません。

ですが実際に、
いま「新自由主義」は
多くの国で批判されています。


しかし、
アメリカや日本では

いまだに「新自由主義」の
影響力が強いです。

現に、日本でもSNSなどでも

お金を持つことで
有名になった人の意見が優先されたり、

お金持ちになることや
成功することがすべてだと
思われたりしています。


お金を持っているだけで、
自分の考えを自由に発信して
影響力を持てるなんて、
「新自由主義」そのものです。


なぜ、「新自由主義」は
まだ根強いのでしょうか?


この原因を私は、
アメリカ生まれの『幸せの科学』が、

アメリカや日本に
浸透しているからだと考えています。



幸せの科学を
商品として売っているのは
この新自由主義者の人たちです。


商品化しただけでは終わりません。


新自由主義という経済思想は
市場の自由や個人の競争を重視します。


「幸せの科学」は、
「自己責任社会」を作りました。

「自己責任社会」とは、
自分の行動や選択の結果に対して
自分で責任を取るべきで

社会や他者に頼るべきではない
という考え方です。

「自己責任社会」では、
困っている人に対して助けることや
共感することが少なくなります。

「自己責任社会」では、
社会や他者と協力することや
支え合うことが少なくなります。


「自己責任社会」
の到来によって、
日本の伝統的な共同体意識や
相互扶助の精神に基づいた

「困った時はお互い様」文化は
崩壊してしまいました。


現代の自己責任社会では、
困っている人に対して
冷たく見捨てたり、

自業自得だと
非難
したりする傾向が強いのです。



◆幸福感とはギャップに過ぎない

ここで一旦
ハッピークラシーにおける
幸せについて
私の考察をまとめます。

ハッピークラシーに書いてある
ポジティブ心理学への批判は
陰謀論とまでは言い切れない。


むしろ資本主義社会で
『商品化』されたもので
売り手と買い手が存在する

「マーケティング論」
考えることができます。


マーケティングの原則で考えるならば

ポジティブ心理学のように
セリグマン博士という
世界的な権威のお墨付きがある商品は
非常に売りやすいです。


ですが、
権威性だけで売れつづけるほど
商売は甘くはありません。


芸能人のサインが
いっぱい飾ってあるラーメン屋さんでも

必ず美味しいとは言い切れない
こともあります。

では、
ポジティブ心理学をはじめ
アメリカ産の「幸せの科学」において

ラーメンの美味しさにあたる
買い手の便益とはなんでしょうか?



ここで視点を変えて

私が大好きなドラマ
「サ道」のお話をします。

ドラマ「サ道」では、
主人公がサウナで
「ととのう」という状態を目指します。


「ととのう」とは、
サウナ室で暑くなり、
水風呂で冷やし、
外気浴でほっこりすることで、
心身がリラックスする状態です。

この状態になるのは
温度のギャップが
快感を生み出すからです。

しかし、
主人公はある時、
「ととのう」ことが
できなくなります。

その時、
彼はサウナの師匠から
「サウナを信じるな」
と言われます。


「若者よ。サウナを信じるな!」


「ととのうとは何か?ただの言葉だ。特別な状態を追い求めてはいけない。なぜなら、そんな状態はこの世に存在しないからだ。幸せを信じ、求めることが“幸せでない苦しみを生み出す”のだ。

「サウナとは“体をあたため、水風呂に入り、体を休める”…それだけのことだ。そこにあるのは“安らぎ”と“喜び”だけ。それ以上を求めてはいけない。あるがままに、その安らぎと喜びを感じていればいいのだ。サウナを信じるな!サウナを信じるな…」


そこにあるのは“安らぎ”と“喜び”だけ。

つまり、それを感じることが
本当の“サ道”だったんです。

主人公は回り道をしながら
サウナの本質にたどり着いたのでした。



幸せの科学で追い求める幸せも
『ギャップ』から生まれる
刺激の一種です。


マーケティング的に考えると、
売れる商品はすべからく
『ギャップ』があります。

サウナは暑くなった後に
水風呂に入ることで
温度のギャップが快感を生み出します。


ミスドのポンデリングが美味しいのは
外はカリッと中はもっちりという
食感のギャップ
美味しさを高めています。

「お笑い」は、
観客の期待や常識とは異なる
意外な展開や言動によって、
緊張と緩和のギャップを作り出して
笑いを誘います。


成功者の話が魅力的なのは
大きな失敗したあとに
大きな成功を収める
振り幅のギャップがあるからです。


ネガティブな出来事のあとに
ポジティブな言葉を求めてしまうのは

その言葉がネガティブな感情を
打ち消してくれるだけでなく、

ポジティブな感情を
ギャップが増幅してくれるからです。



これらは心理的な
「コントラスト効果」
と呼ばれる現象です。



逆に、
結婚した後に離婚したり、

幸せだった後に不幸になったりすると、

その悲しみがより深く感じられます。

これは心理的な
逆コントラスト効果
呼ばれる現象です。

つまり、同じ刺激でも、
その前後の状況によって、
その感じ方が変わるということです。


つまり、ただの「刺激」です。



では、その刺激を追い求めて

言い換えると
幸福感の刺激を求めて
幸せの科学の商品を購入されている
お客様は誰なのか?


本能的に刺激を求めている人
かもしれません。


他人からの評価や承認を求めて
目立ちたい人かもしれません。


日常生活にストレスや不満があって
刺激を求めることで
気分転換や発散をしようとする人


変化や挑戦がなく、
退屈で満たされない気持ちでいる人
かもしれません。


刺激は適度に楽しむことで、
私たちの人生に良い影響を与えることもあります。

ただ、刺激だけに頼ってしまうと、
逆効果になることもあります。


少なくとも私は
刺激はサウナだけでokです。


◆幸せとは追い求めるものではなく、充足感を感じるもの


幸せを追い求めるということは、
自分が今持っていないものや
状態を欲するということです。

欲するということは、
自分が今不足していると
感じるということです。

さらに不足していると
感じるということは

いま自分が不幸だと
感じるということです。


その不足を補うために
「幸せの科学」を
購入することになるのですが

不幸だと感じるといる時点で
それはもう幸せではないのです。



充足感を感じるということは、
自分が今持っているものや状態に
満足するということです。


満足するということは、
いま自分が充足であると
感じるということです。

充足であると感じるということは、
自分がいま幸せであると
感じるということです。


では追い求めるのではなく、
充足を感じるように心がけるには、


私たちはどうしたらいいでしょうか?


それは、

・自分の持っているものや状態に目を向けて、感謝すること。

・自分のできないことや欠点に目を向けて、受け入れること。

・自分のやりたいことや目標に目を向けて、行動すること。

・自分の周りの人や社会に目を向けて、関わり合うこと。



これらは「ポジティブ心理学」等の
「幸せの科学」で提唱されているのです。

たいへん皮肉なことに

幸せを追い求めることをやめた途端

充足を感じる習慣をもてば

そこに安らぎ喜びが見つかるのです。



幸せは主観的な感情であり、
客観的な事実ではありません。

だから、
自分の主観を見直すこと大切です。

そして、
他人の主観を尊重する
必要のことです。

幸せに関する多様な視点や
価値観を尊重して

幸せの追求を強制しない
そんな社会の到来を願いつつ

私はここに
「幸せ」願望に支配される日常
からの卒業を宣言します。



◆◆参考文献とメディア


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