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愛のある 叱り方ができる人

人を叱る時に 愛を持って 叱れる人はどれくらいいるだろうか。

例えば親が「心を鬼にして叱る」と言う時がある。 もしくは「叱りたくて 叱ってるわけじゃないんだ」とか 「あなたのためを思って言っているの」とか 言われたことありませんか。

人によってどんなことを目的にしてどんな気持ちで叱っているかというのは様々です。 なかなか 愛を持って 叱ってくれる人と出くわす事って難しいかもしれません。 一方で、最初から自分の親が愛を持って叱ってくれた人というもいるかもしれません。
これが愛があって こっちは愛がない、などという線引きをすることはできないし、そのつもりもありません。 なのでどっちがいい 悪いということを書きたいのではなく、私が最近出会った愛を持って叱ってくれる人のお話を書こうと思います。

さて、 愛を持って叱ってくれる人というのはどんな人でしょうか。 私が出会ったその愛を持って 叱ってくれる人というのはこんな人でした。
・相手が大人であっても子供であっても関係ない(その人のもとでは人は平等な感じがしました)
・決して相手を見放したりしない
・ダメ出しをするわけではなく、 きっと良くなると信じて言ってくれる人(信頼してくれる)

こういうことができる人ってすごいなと思います。 やっぱり叱るというのと怒るというのは全然違うもんなんだと感じました。憎しみなどの感情があるわけではなく、その人が良くなるだろう という 信頼のもとで 叱っているんだと感じました。

(ふと思ったんだけど「愛を持って叱る」ときって、犬猫などの動物の親が子に何かを教える時の叱り方に似てるんです。例えば噛み癖のある子に対して猫の親は叱って「それはダメなことだ」と教えますよね。しかしそこに「なんてやつだ💢ダメな子だ」という相手に対する否定は一切ないです。うまく言語化出来ないんですが…余談でした。)

怒ってしまう人がダメというわけではありません。私もまた 自分の感情が先になることが多いです。

愛を持って叱ることができる人が完璧だからそれを見習うべきだ、と言っているわけではありません。その人も過去には感情的になったりとか色々な経験を重ねてきた上で 「愛を持って叱る」ということができるようになったんだと思います。

愛がない怒りの時 どんな風になりますか。 怒る時自分または他人に対して愛はありますか。 
例えば自分の信念や大事にしていることを守りたくて怒るとき、そこに自分への愛があるかもしれません。もしくは、大事な人を傷つけられて腹が立つのは他者への愛かもしれません。
「愛がない怒り」というのは、自分に対しても周りに対しても一切の愛がなく、憎しみや失望でいっぱいになっているときだと私は思います。(そのときは、全てにおいて否定が入ることも多いです。つらいですよね🥲)



せっかく怒るのなら、まずは自分に愛を持って怒りましょう。
それが出来るようになって、次第に目の前の相手に愛を持ちつつ、怒ることが出来るようになるのかもしれないです。それが「愛のある叱り方」なんじゃないでしょうか。

愛は信頼な気がします。そしてその信頼はまずは自分に向けてから始まり広がるように思います。色んなことが出来なくても、きっと大丈夫です。どんなことがあっても、きっと大丈夫だからと言ってあげられる自分になりたい。



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