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フリーランスだってひとりはさみしい!

大学を卒業してからというもの、社会人のほぼ半分を個人事業主として過ごしてきた。ちなみにアルバイトとして働いていたのが2年ほどで、正社員として働いていた期間は2年半(これをいうと大体年齢がわかるけどわたしは年齢非公開)。

フリーになった当初は今よりもう少し「変な働き方」という見方をされたので、どうやって生活してるの?寂しくないの?などとよく聞かれたが、社会全体にリモートワークが浸透してからは境目が曖昧になったように見える。

そんないま、会社員とフリーランスの大きな違いは同僚がいるかいないかだと思っている。そもそもわたしは新卒きっぷを川に流したので同期が存在しない。だから同期・同僚という言葉にすごく憧れがあった。

金曜日にあがる飲み会やカラオケの写真、ラインの返信で見る「今同期と一緒にいるー」というメッセージ、同僚の子供と遊んできた!というエピソード、全部がキラキラしてみえた。

友達がいりゃ良いじゃんと言えばそうなんだけど、仕事仲間がいることにより仕事の価値が底上げされることは往々にしてあると思うのだ。

それに関してはずるい!と思っている。もちろんフリーランスの利点もたくさんあるので、それはずるいと思ってもらってかまわない。

そして「ずるい!」と感じる根源には日常のささいな喜びが足りないという問題があるように思える。正社員で出勤していた頃、仕事の合間に「この前の飲み会の○○さんやばかったですね」とか「この前言ってたアレどうでした?」とか、細かい雑談がたくさん発生していて、それがお花見におけるレジャーシートのような、仕事を快適に進める薄いけど重要なアイテムとして広がっているようで、それが心地よかった。

フリーランスでも取引先の方との打ち合わせや取材先の方との談笑など人との関わりはあるが、それはなんというか、また違う種類のコミュニケーションであって、お花見におけるレジャーシートではないのだ!わたしもレジャーシートがほしい。

そんなことを長いこと思っていたのだが、ここ1年くらいで
・大喜利カフェボケルバの店員
・合同会社別視点のお手伝い(主に平井オープンボックスのスタッフ)
という2つの新しいコミュニティが増えた。これは限りなくレジャーシートに近い。

週1回くらい定期的に顔を合わせる同じ仕事を同じサイドからやる人。これがフリーランスにはない。マジでない。そして、これがあるかないかで孤独値がだいぶ変わってくる。

このフリーランスの悲しい生態を救う方法として、まだちゃんと実現できていないけど、同様の仕事に関わる横のつながりをつくるという方法がある。

私だったらライター、フォトグラファー、デザイナー、動画クリエイターなどがそれにあたりそうだ。

そこらへんの人は同じような悩みを抱えていることも多そうだし、かといって深い利害関係もないので、同僚に近い形で接せられるような気がする。大喜利の場や平井オープンボックスを通して知り合った人もいるので、これからもっとこういった知り合いが増えるといいな、と思う。

ここからは余談になるけど、私の場合平日に心から笑うことが本当になかった。
平日は孤独に仕事・土日にたくさん遊ぶ。それでいいと思っていたけど、平日にボケルバのシフトや平井オープンボックスのスタッフ、大喜利会、お笑い関連の活動が入ってきてからは、平日も楽しくて良いんだ!と新たなステージに足を踏み入れた気分になった。

フリーランスなんだから多少の孤独はあたりまえ。
文章はひとりで集中して書くもんなんだから人と関わりを求めるのもね……
と、なんとなく最初から割り切ってやっていたけど、最近は、もっとわがままに生きていいぞ!!と自分に言い聞かせている。

今も十分楽しいけれど、もっと貪欲に楽しさを追求していく。




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