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チェッスメイ

初めてオーストラリアでしたアルバイトは持ち帰り専門の小さなお弁当屋さんだった。
6畳ほどの厨房と間にレジや惣菜のショーケースを挟んで飲み物の冷蔵庫やちょっとした机のある店内。照り焼きチキンと照り焼き豆腐が人気メニューでカレーライス、手まり寿司みたいなものも売っていた。店長は日本人で赤坂さんというおじさんで、小林さんという小柄な女性もアルバイトとして働いていた。

赤坂さんは浅黒いジャッキーチェンみたいな顔立ちで若い頃に家族で移住してきた人だった。小林さんは20代の頃に仕事に疲れて何にも決めずに訪れたオーストラリアで、赤坂さんのように家族移住してきた現地の日本人と結婚して今ではこっちに移住している。二人ともオーストラリアの永住権を持っている日本人だった。

「チェッスメイ」え?「キャナバスプー」え?え?え?
赤坂さんが厨房でガンガン照り焼きチキンを焼きまくり、小林さんが猛スピードでレジを打つ。勤務初日で何も出来ない僕はショーケースの手前で小林さんに言われるがまま弁当を袋につめたり、カレーを掬ったりしていた。オフィス街にあるこの弁当屋(英語ではTAKE AWAY)はコンビに自体があまりないせいかランチタイムになると店の外まで続く行列が出来た。

客層はほぼ100パーセントオージー。(オーストラリア人のことをオージーと呼んでいた。)みんながみんな英語で話しかけてくる。関係ないけどオーストラリアは英語がなまっている。というのはアメリカ英語とは違う。くらいの意味らしい。英語を母語とする人たちは世界各地にいて、そのどれもが母語でありながらすこしづつ違う。だから日本語の標準語のようなものはないく、どこの国の人でも頑張れば結果ネイティブっぽくなれる。と仲良くなったオージーの男の子が言っていた。その子は日本に興味があって、日本語は標準語があるからどんなに頑張ってもネイティブじゃないとばれると言っていた。確かに。

話をもどすと、小林さんも赤坂さんも不自由しないくらいにはお客さんと英語でやり取りができる。僕だけまったく。そんななかできるだけお客さんと絡まないように笑顔で「サンキュー」だけ威勢よく言っていたら会計が終わった一人のクールビズサラリーマンが話しかけてきた。

チェッスメイ。さっきからみんながみんな、特に男性が口々にチェッスメイと小林さんに挨拶していたのはわかっていたが意味は全然わからなかった。困ったなと思っていると彼は気にせず「キャナバスプー」と白い歯を見せて笑った。わけがわからないよ。多分とても情けない苦笑いを見せていたと思う。なんていったんですか?とも聞き返せない。まぶしい笑顔をこちらに向け続ける彼。だめだ。キャナバスプってなんや。小林さんに助けを求めると
彼女はリーマンにどうしたの?と聞いて僕の顔も見ずに「スプーンあげて」と言った。スプーン。小林さんの言葉は完全に聞き取れた。聞き取れたけど耳を疑った。本当に?スプーンをあげると彼はご自慢の笑顔を見せて「サンクス」と店を後にした。その後のことはあんまり覚えていない。とにかくショックだった。スプーンください。という言葉もわからないのか。まるで子供みたいだ。

「チェッス」というのは軽い挨拶みたいなものだ。「メイ」と聞こえたのは「メイト」のことでクラスメイトやルームメイトとかのメイト。友達みたいな意味だった。僕にはよくわからない感覚だけど向こうの人は初対面でも「ヘイ、ブラザー」とか言ってきたりする。Can I have spoon?冷静に聞けば中学生で習うような英語だ。でもいざとなるとわからなくなる。
そこにいる人々と同じくらいの大人で自分は普通に色々考えているし、周りより先に何が問題なのか理解できていたりしたとしてもなんて言っていいかわからない、なんて言ってるのか聞き取れないということが起きたとき、自分のことを客観的に見るとまるで、話についていけてない子供みたいだなと感じるときがあった。

日本で働いている外国人に対して日本人の上司と思われる人が、まるで子ども扱いをしていたり、馬鹿だとののしるところに何度か出くわしたことがある。
多分、言葉がわからないということがどういうことなのか理解できないから本当に話を理解できない人だと感じてしまうんだろう。そういう場面に出くわすたびに「母国語以外の言葉で専門的な仕事の言葉を理解している」というのがどれくらいすごいことなのかという気持ちになる。中々、そんなこと言うなとは言い出せないがこれは本当にすごいことだ。

僕は半年間一生懸命勉強した。人生であんなに勉強したことは無い。その結果簡単な日常やり取りなら話せるようになった。でも専門的な仕事の話や、戦争はどうしていけないのかなんて話は全然できない。日本語だとわかるし同じ日本語だから気がつかないが、日常的な言葉とそういう言葉たちは全然違うのだ。僕が英語がたどたどしいからとオージーたちに差別的な扱いを受けたことはなかった。それは町の半分はアジア人だといわれているパースだから外国人が働いていることへの抵抗が少ないのかもしれない。もちろん差別がまったく無いわけではないと思う。メルボルンでは車からアジア人に卵を投げるがいるという話も聞いた。

日本では外国人の人たちがこんなに沢山働いている状況は本当に最近のことなんだと思う。利用する人も雇用する人もまだそれがどういうことなのか理解できないままでいるんじゃないかと思う。
クッキーを食べながら運転するバスの運転手。「元気?」と聞いてくるスーパーのレジのお姉さん。チェッスメイ。
どっちがいいとか悪いとか言いたいわけではない。電気業者が約束の日から一週間遅れてやってきて、結局なにも直せず踏み台にした机を壊して帰ったこともあった。

オーストラリアでは僕がどんなにもたもたしていても必ずサンキューと笑顔で言ってくれた。そうじゃない経験をした人も絶対いると思うけど。僕も店員さんには必ずありがとうございますということにしている。
言葉がわからないということは何もわかってないということとは全く別のことなのだ。
むしろ、言葉がわからないというだけでないがしろにされたなら、そのことについてものすごく沢山のことを考えると思う。それってすごく怖くない?
チェッスメイ。恥ずかしくて言ったことないけど。そういうこというガラでもないけど。いい挨拶だなと思う。

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