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【奢る奢られる論争】を考える

こんにちは。今日も朝からひとりで考えてました。
少し前ですが、「奢る奢られる論争」みたいのがネットで盛り上がってましたね。

ことの発端は、とある女優さんが

デート代、なんで男が払わなくちゃいけないのって言葉 女性はそのデートの為に準備して洋服、メイク、美容代も入ってると思う 全部安くない。リップだってブランドなら4000円はする 可愛いって言って欲しくて、その為に凄く早起きして準備してる それを考えた上で、女性に出してあげて欲しいって思う!

Yahooニュース

とTwitterに投稿したことらしい。

そこから、YouTubeやInstagram、TwitterなどのSNSでたくさんの【奢る奢られる論争】を目にするようになりました。

この投稿に対して「気持ち悪い」と言う男性の声も聞こえるし、女性だけど「それは違う」とか「メイクとかも結局自分のためじゃん」とか言う声も聞こえる。

これまで私が目にしてきたたくさんの人の声というのは、発言者の言ってることに対してそれは「違うでしょう」という意見でした。

いつから違うと感じる人が増えたのか。なぜ、燃えたのでしょうか? 親世代はそれが当たり前だったのに今はそうじゃない?

良い悪いは別にして、この現象に対する人々の価値観の変化に対して考えてみました。データとか知らない上に私自身が女ですので偏ってると思いますが悪しからず。。。。

変化する価値観

根本的に、この論争には、男女の相手に求める優先度の違いが顕著に表れていると思う。

デート代は男性が払うものという価値観の中には、
若くてかわいい健康的な女性を、求める男性と
社会的地位とお金に魅力を感じる女性が社会の多数派だったという時代背景があったのだと思う。

この感覚は、根本的にとても根深いもので、意識しないと気づけないほどの我々の本能レベルに刷り込まれているものである気がしている。

それはこれまでの人間社会の在り方を現していると思う。

男女の格差をなくそうと言う取り組みは、人類の歴史の中ではごく最近のことで、それこそジェンダー問題がここまで活発になったのは、10年そこそこな気がしている。個人の肌感的に。

「割り勘でいいんじゃない?」って言えるのは女性も当たり前のように働いていて、お給料をもらい、それこそ昔ほど給料に男女差もないからかもしれない。

小学校や中学校でジャージの色は男女ともに同じだったか? また出席番号は、男女混合だったか? ランドセルの色は? 女性はスカートで男性はズボン? 社会の中で男女の区別について議論されるようになって、改善されるようになったのは、人類の歴史から見てもまだまだ浅い。

浅いが、確実に時代は進んでいてこれまでの価値観の人と新しい価値観を持つ人、移行していく人と現在はいろんな価値観が混在していて社会が成熟していっている過程であると思って考える。

ランドセルの色は何色でしたか?

子孫繁栄の戦略の違い

人間は、子孫を残していくため、それぞれの強みを活かした戦略をとってきたと思うのです。

女性はそのデートの為に準備して洋服、メイク、美容代も入ってると思う 全部安くない。リップだってブランドなら4000円はする 可愛いって言って欲しくて、その為に凄く早起きして準備してる

なぜ、女性は、メイクやオシャレをし、男性はお金を払ってきたのか。

それはやっぱり、異性に選ばれやすいのは

お金と権力のある男性
そして
若くて血色のいい健康的な女性

個人の意見です

だったからなのではないかなと。長い歴史の中で、男性は権力とお金を求め、女性は若さと美しさを求めた。なぜなら、それが子孫繁栄につながってきたから。

女性の武器はボディ男性の武器は社会でのポジションとお金。

こういう価値観が、まず、男性がデート代を払うという根底にある気がする。自分の強みとしてお金を払っていた男性も多かったはず。

女性の武器

きれいなおねえさんは、好きですかってCMあったよね

こういった価値観の中で子孫繁栄が行われていたなら本能的に、女性は、美しくあろうとする。

これまでの人間の歴史の中で、女性が男性より稼ぐのが当たり前だとするなら、もしかしたら、女性が男性に奢るのが当たり前。という価値観になったかもしれない。

男性がお金を払おうとするのは、それらを持っていない女性に、武器として使えたからだったんじゃないかなと。

今の時代になって、やっぱりデート代は割り勘だよね。という価値観に変化したのは、男性の武器であったお金が女性に通用しなくなったとも言える。
評価軸が別の価値に移行している可能性がある。

そこには、女性の社会進出が関係していて、女性も当たり前のように働き、お金を稼いでいることにあるんじゃないかな。

明らかに男性が女性よりお金に対して優位に経ってた時代は、男性が女性に求めるのは、家庭にいて健康な子どもを産んでくれることだったのかもしれない。
その時代には、今のような論争は起きていなかった(たぶん)。

女性がメイクをする理由は人そぞれだが、メイクをした結果、どういうことが起きるか、の側面で考えてみると、

リップやチークをすることによって血色が良くなるし、ファンデーションをつけるとシミが隠れる、髪の毛をケアするとツヤツヤになる。
これらを総合的にみると、若く見えるまたは健康的に見えると言うことだ。

個人の感想です

現在、女性がメイクをしてより魅力的に見えた方が人から好感を持たれやすいという現象は変わっていないのに対して、今は男性もメイクをする。

つまり、見た目。フェイスやボディに関する美の価値観は以前と変わらないどころかより一層、強くなっている気もする。

男性の武器

人間の歴史の中で、男性が武器にしていたものが、お金と権力である。
なぜ、お金と権力だったのか。
それは言わずもがな、社会をまわしているのが男性だったからである。

物事を決定して価値観を生み出してきたのは圧倒的に男性の方が多いだろう。
政治を行うのは誰か? 試験問題を作るのは誰か? 辞書を作るのは誰か? 雇用するのは誰か? 給料を決定するのは誰か?

これを時代を遡りこれまでの人間の歴史で考えてみれば、デート代を男性が出すという価値観になったのはうなずける。

金と権力は男性の最大の武器だったからだ。格差がなければこの武器は使えない。

社会で生きていくために、金と権力を持たない女性が、子どもを産んで育てようと思ったら、やはり決定権のある権力は魅力的だし、お金も大切。それらに価値を置いて、相手を選んできたというのは自然なことだと思う。

若い時はどうしても顔がいいとか健康的であるというのは本能でとても魅力を感じるが、社会性を持ってしまった人類はそれだけだとどうも生きていけないということに気づいてしまったのだと思う。

それから男性は長い間にわたって、金と権力を武器にして出世することをよしとする価値観になったのではないかなと。そして若くて可愛い女性を選んで結婚し家庭を作る。

多少、横暴でもお金がない女性は逃げていかない。家で家事してくれる女性にお金を渡さない。女性を管理職にしない。給料は男性の方が多め。女性に学問はいらない。とまあ、偏りに偏ってるけど悪口じゃないですよ!笑
極端なことを言うと、そんな時代もありましたね。としかも割と長かったんじゃないかなと。だから亭主関白という言葉が生まれたのでしょう。

お前がこの家に住めるのは俺が稼いできたからだろう!
みたいに別の意味で武器として使ってきた男性もこれまでたくさんあったんだと思います。

今は昔と比べて、上記のようなことはだいぶなくなったと思う。まあ、全くないわけじゃないとは思うけど、改善されつつある過程であるのは確か。

女性も、男性と同様、学校にも行けるし、働きに出られる。女性が社長のところもある。90年代や2000年代に生まれた人たちにとってはそれが当たり前で、男女の差というのはそれほど違わないと言うのが当然の価値観になっているのだと思う。

つまり、男性が強みとして武器にしてきたお金が現代には、使えなくなってきた。と言うこと。

彼女が、「割り勘でいいよ」と言う価値観なら、相手の男性に「お金」と言う武器は使えない。じゃあ、何で戦うか。

男性がメイクをするようになった、と言うのも女性が男性に求めるものの価値に変化があり、男性としても強みの価値観が変わってきたということなのではないかと思いました。

男性のメイクも増えましたね(最近は、全人類リップっていうのもあるんよ)

まとめ

今回、奢る奢られる問題を考えてみると、男性が女性の求める価値と女性が男性に求める価値の変化のスピードにズレが生じ始めたことにトリガーがある気がした。

これだけジェンダーがどうのって言われているにも関わらず、未だ女性はお化粧をすること。と規定に書かれている会社(または飲食店やアパレル)もある。
そしてやっぱり、「若いね」を褒め言葉だと思って使う人も多い。

それでも女性は、きれいだね。かわいいね。言ってもらえると嬉しいのでしっかりお金をかけて自分を磨く。

女性が「割り勘でいい」という価値観なら、男性は「お金」を武器にすることはできない。しっかり自分磨きをして美しくあろうとする女性に、お金ではない価値で努力する必要がある。

お金をもった女性が男性に何を求めているか。そこを見極める必要があると思う。配慮や優しさ心遣い、そして協力。他にも、男性がメイクすることが増えたことにより、男性の見た目にも需要が上がってきているのかもしれない。

ということで、女性の求められる価値はさほど変わらないのに対し、男性の武器は変化しつつある。このバランスの中で、奢る奢られる論争は現在で活発化したのかなあと思ったりしました。

もちろん女性側も、払ってもらってありがとうや、運転してくれてありがとう。お店を予約してくれてありがとう。など相手の男性からの心遣いに感謝する必要がありますね。

そもそもお金というものはただの通貨だと思うのです。
お金があろうがなかろうが、時間もお金もかけてメイクやオシャレしてくれた彼女に対して「ありがとう。ここはぼくが払うよ」って言ってくれる男性にはお金だけでなくて心遣いや懐の大きさ、愛を感じるのではないでしょうか。つまり、そういう男性は、きっと他でも優しいのだと思います。

だからお金を払う払わないの問題ではないなあという気もしてきました。

あ、逆にいうなら、お金を武器として支配しようとする人と、お金関係なく優しい人とがいるなあと! これは私の経験則です。

互いに稼いでるけど、デートの時にお金を払ってくれる男性はその他でも優しい気がします。荷物を持ってくれたり、体調を気遣ってくれたり。これも個人的な感想ですが。

うーん。
考え出したらキリがないし、一概に定義することもできない問題に首を突っ込んでしまった。

とにかく、物事を大きく二分してしまったからややこしくなった奢る奢られる論争だった気がした今日この頃。

じゃあ、お金を持っていない魅力的な男性とは? と考えてしまう。

これはこれで、年齢もあるかなあ。
若い時は、男女ともに、美しい顔美しい身体が武器になる。
そこにお金と権力は要らないし、若い時は持っていなくて当たり前である。

学生時代や社会人なりたての頃は、素直に恋愛できるけど結婚を考えた時に、社会でうまく生きていくためにはという思考が生まれてしまうので、どうしても肩書を見てしまう。というのはわかりやすい。

例えば、男女ともに歳をとって、美しい顔と体と子どもが産める健康な体がなくなった時にどう、異性の気を引くか。と考えると、お金になびきやすい女性がいる限り、歳をとっても男性は金と権力で異性の気を引くことができるということがうなずけた。これからの時代は、どうなるかわからないけど。これまでは多く見る景色だったなと。

うーん。また深みに入ってしまいそう。色々考え過ぎてきた。疲れたのでこの辺で。

おしまい

未来はどうなっているんでしょうね

家事育児の対価とは

追記です。

お金が武器として使えなくなった男性陣に求められるもはなんだろうと考えてみると、労働力かな? と思いました。

わたしは結婚してませんが、友達から聞くのは、家事も育児もしてくれない旦那はいらない。って言葉です。

世の中の流れも、男性も家事育児に参加することが求められている気がします。

自分も稼いでいる。そして、家事も育児もしないのに、いまだに「生活費払っているの俺だけど」と偉そうにする旦那にもはや不要なのでは? という人もいます。お金だけなら、とっとと離婚してお金振り込んでおいて。と思うそうです。

どっちも割り勘で!
ってなってる世代はきっとそこまで亭主関白じゃないだろうし互いに協力し合えるいい関係が築けるといいなあと思いました。

そしたら少子化問題も少しは明るくなるかな?


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