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SUVのデザイン解析#2 〜SUVはスーパーモデル!?〜

もくじ
SUVはなぜ“大きい”?
見せたい思惑と見えてしまう事実
見せ方を制限
SUVはスーパーモデル?

SUVはなぜ“大きい”?

 前回は3面図が見せる車のかたち。それは実物の記憶との違いについてお話ししました。過去の記事にも書きましたが、車は絶対的に人よりも大きく、故に一目でそのものの形を捉えるのは困難です。目についた断続する情報をつなぎ合わせて頭の中で再構築を図るのですが、それは見たいものと目に入ってくるものに支配されています。すなわち一目でその全容が分かる手元の図面とは違って見えて当たり前です。でも前回ではSUVはその差が少ないとまとめました。
  そういえばSUVの体格が当たり前に大きいことを疑問に持っている人はどれだけいるのでしょうか。ベース車に対してタイヤ径を広げるのは当たり前。車高を上げたり樹脂パーツの装飾を追加されたりすれば寸法が増されることは暗黙の了解。むしろそういった仕立ては推奨されます。もちろんクラス別にその大きさの許容範囲はありますが、いずれもSUVに仕立てられればその中で体格は最大になります。
 それでもSUVを選ぶ理由はデザインが魅力的に映ったのでしょう。それでもなぜSUVが大きくて立派なのか。そして許容されるのかはたどり着けません。事実ジムニーはその小ささが林道を走るうえで有利であります。そればかりかエネルギー効率化を目指す世相に反しています。
EVにSUVが多いのはバッテリーを収めるのに都合がいい側面がありますが、日産リーフの様な普通の乗用車タイプが実現できた以上、市場を席捲する状態を見て『なぜSUV?』の疑問の答えは見つかりません。

見せたい思惑と見えてしまう事実

 さて、私が提唱している『社会自動車デザイン論』は街中での車の見え方を研究しています。ショールームや雑誌の写真で訴求される魅力。街で見る印象の違いは何なのかを起点にデザインの在り方を探っています。
 つまるところデザインは、どういう性格の自動車なのか媒介する働きがあるわけです。過去の記事でも書いていますが、四方八方、遠く近くあらゆる視点で観察ができること。それに絶対的にヒトよりも大きくて、一目では全容が計り知れない車という物体は非常に厄介だと考えられます。それに単独で動くということは常に形が変わっていると言っても過言ではないでしょう。これらは一般使用者と車を作る側両方に言える事です。
 『見せたい思惑』と、『見えてしまう事実』のズレは、製造制約や車の社会的な役割や責任が影響していることも覚えておく必要があります。人よりも大きくて、機械の塊に狙いの訴求力を纏わせるのは困難な作業です。多角的に見た記憶を積み上げて全容を掴む過程で、持っている期待やどう見たのかによって記憶した事実は変わっていきます。それがいかに個人的なものなのかは、前回の3面図や免許証の写真の話につながります。

見せ方を制限

 ただし目撃者に自由な観察を許すとしてもその制限はかけることはできます。車高を上げるのはその手段となり得ます。目撃者の視点をある程度制限できるのです。与えたい印象と受ける印象の差異をSUVという特性を得ることで限定するたくらみがあると考察します。
 SUVやミニバンを除いた乗用車の多くは『見下ろす』ことができます。車自身もライトの位置が目撃者の腰よりも低く、それに連なったデザインの全容を丸ごと観察の対象になるのです。前後左右そして上から見た意匠の整合性を取って、全体のイメージを仕上げるのは非常に大変な作業です。けれどSUVなら持ち上がった車高によって目撃者の視線が制限され、前後側面を面直に捉えることが基本となります。これは作り手も与えたい印象をスムーズに表現することができます。車高が高ければ居住性も増しますし、表面積が広がった分、ウインドー、ライトやタイヤなどの必須構成物どうしの距離がボデーという構造物の上で十分取れてデザイン自由度が高まります。

SUVはスーパーモデル?

 筆者は特にファッションの専門ではありませんが、このSUVのデザインの在り方はなんとなくスーパーモデルにも当てはまるのかなと思っています。スーパーモデルは一様に背が高く、手足が長いので洋服を綺麗に見せる効果があります。背が高いということは見上げる形になるので、視線の制限が実現します。ファッションショーは現地に足を運んだ顧客にコレクションを見てもらうことに意味があるので、モデル個人の情報が強い顔面はできるだけ高く遠くに小さくまとまっておく必要があります。加えて手足が長いということは、アクセサリーや靴、手袋などの構成物が構造物である衣服と適切な距離を図ることができると考えられるのです。それに手足が長いということは関節同士の距離が長いということ。可動部分が遠い事は、それぞれの動きが干渉しあわない事もデザインメッセージを伝えるうえで重要です。動きが干渉しあって目にうるさく映れば魅力が素直に伝わらないのです。
最後に背が高いということは成熟の証です。身近にいないほど背の高いモデルは人間の成長の限界を認識させ、ヒトという物理以外の人間の有機的な記号性を排しています。背が低かったりすれば『ああ、まだ学生かな』といった途端にモデル本体の個人的な情報に容易にアクセスしてファッション情報にノイズが載ります。見せたい思惑から外れてしまいます。
経済的に豊かな大人のためのファッションを、純度を高めた究極の原理を表現するためにスーパーモデルは生まれたのだと解釈しています。それにヒトの活動原理である『歩く』ことをノイズレスにダイナミックに表現するにはそれなりの身長と、それに付随した手足の長さは必要なのではないかと思っています。
念を押すようですが、原理と言っても、人間が現代の生活の範囲で還せる原理です。歩くと言って2足歩行を開始したところまでは立ち返りません。あくまでもファッションという豊かな社会の中で根差せる究極を示しています。

次回予告:SUVは成熟の証?原理に立ち返った姿?

後記
前回からだいぶ時間がかかってしまって申し訳ありません。
ちょっと本業が忙しくて。。なんて言って結構アイディアがまとまらないこともありまして。。。本業ライターさんはすごいですね。
 さて、今回からファションに触れてみまして。実はファッションが好きだったりするおじさん見習いのエンジニアです。GUCCIのミケーレ退任がショックだったり。白髪が目立ってきたので、むしろシルバーメッシュ入れてしまおうと画策中です。ゆくゆくはファッション雑誌にも文章を載せたいななんて野望。叶うかな。雑誌に出る車がだいたい外国車なのがずっと気になる。自動車は日本の基幹産業です。イメージリーダーになり得る国産車も有りますぜ!みんなで応援してもらいたいところです。ではまた。よいカーライフを!!ご安全に!


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