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切通を通って源氏山へ。【鎌倉殿の13人ゆかりの地を巡る日帰り旅#6】2022年10月

現在いるのは、北鎌倉の建長寺近く。
ここから線路を挟んだ源氏山方面に向かおうと思います。

こちらからアクセスできるようです。

この道ですが、亀ケ谷坂切通(かめがやつきりどおし)といい、1240年(仁治元年)に北条泰時が造ったといわれています。

車輛通行ができない道なので、安心して歩くことができますが、結構、急な坂道です。

なんと、昔はもっと急な坂道だったようで、
先ほどの看板にもありましたが、建長寺の奥にある大覚池にいた亀がこの坂を上ったところ。「急坂のために途中で引き返した」あるいは「ひっくり返った」ことから。亀返坂とも言われるようになったと伝えられています。

さて、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。

そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。

源氏山方面という道案内に導かれてやってきたのがこちら。

『この先通行注意』とあるではないですか!!!!

下の看板を見ると、一応、通り抜けはできるようです。
このまま進むべきか、戻った方がいいか、悩みましたが、
戻る体力もなかったので、進むことにしました。
この選択は吉と出るか、凶とでるか。

さて、この狭い山道ですが、実は先ほどご紹介した、鎌倉七口の一つ、「化粧坂切通し」です。

名の由来は、平家の武将の首を化粧して首実検(くびじっけん)したからと言われています。

この坂道は、1333年、元弘の乱において、新田義貞が幕府軍を破った鎌倉攻めの際に軍の主力を向けたので激戦地となりました。
それ以降も様々な戦いの舞台ともなりましたが、鎌倉後期には栄え、人々の往来で賑わっていたともいわれます。

登ってしまえばそれほど大したことのない、わずか80m程の坂道でした。

では、源頼朝像に向かいたいと思います。

さてこの源氏山ですが、源頼朝の先祖である源頼義・義家父子が、陸奥の豪族・安倍氏を討伐する出陣の時、ここの山上に白幡を立てて、氏神の岩清水八幡宮に戦勝を祈願し、出征したのが由来だそうです。

 その後、源頼朝もこれに習って、平家追討の時、山頂で、源氏の戦勝を祈願したと言われています。

この源頼朝像は、源頼朝の鎌倉入り800年を記念して、1980年(昭和55年)に公園として整備されたときに建てられたものだそうです。
実はそんなに古くない像なんですね。

春には桜の名所、秋は紅葉の名所として多くの方で賑わいます。
オンシーズンでない今日も、公園のあちこちで、ピクニックを楽しんでいる方がたくさんおられました。

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