見出し画像

さよならシャボン(27) Special一般人

Story : Espresso  /  Illustration : Yuki Kurosawa

私も人気者になりたいな、そんな欲求が誰しも心に巣食ってる。

だけどそれを夢見る段階から、立案、計画、実行まで移せる人間はどれほど居るのだろうか。

自分は目立つのが苦手だから、とかなんとか理由をつけて、自分には承認欲求なんてありませんよアピールをしたところで、白々しいったらたりゃしない。

他者に注目されたい、頼られたいなんてのは原初の欲求である。自分だけ存在しない、なんてことはまず有り得ないし、仮にいたとして

『私そういうの苦手なんで』

って最初から予防線張ってる時点で自分は承認欲求持ってます、と自ら口に出しているようなものだ。

人間は特別なものに憧れる。

自分にないものを持つ者を特別だと認識する。

憧れを抱き、それに近付きたいと願う、それに近付く為には自分の考える『特別』に近付くしかないのだ。

然し、それは簡単なことではない。

特別なものに憧れながら、それに至ろうとする者はごく一握り。

私も、俺も特別になりたい、でもなれるわけないし無駄な努力はやめておこう。

多くの人はこの時点でリタイアだ。

平凡な毎日に埋没するのは心地良い毒だ。

特別になろうとしたところで、また別の問題にぶち当たり、それを超えられるものは更にごく僅かというわけだ。

人は誰しも特別で、誰もが普遍的だ。

最初から特別な人、そう定めた時点で己が『普遍的』だと認めている。

『特別』扱いされる人は、自分自身にそんなつもりはないが、周りが祭り上げていることが殆どだ。

それに飲まれ、自分を本当に『特別』だと勘違いすれば足を掬われる。

そこに足を掬われる、ということは『特別』ではなかったということだ。

『特別』であるならば、その程度のことでは転落することはないのでは?

こんな具合に、つまり『特別』という言葉には意味などないのだ。

視点を変えれば特別は普遍であり、普遍は特別になり得る。

自らはつまらない存在だと思っている君。

時間の無駄だと分かっているんだろう?

まずはそのSNSを見る癖、改めてみてはどうだい?

それが特別への一歩、もとい、普遍からの脱却なのだ。


***

•さよならシャボンチームからのお知らせ
 えすぷれっそさんが活動再開したということで、また不定期に連載を再開することとなりました。それに伴って、メインビジュアル等のリニューアルも行っております。
 次の目標としては、今までの作品をまとめた文庫本を作って自分たちだけで遊ぼうと思います。本年もよろしくお願いいたします。


いつもサポートありがとうございます。 面白いものを作ったり、長く履ける靴下を買ったりするのに使わせていただきます。