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本格的に内観してみた/自分軸で創作する

昨日は初めて一人インスタライブしてみた。

なんでも質問会をしろとハイヤー指令が来たのでLINEでやろうとしたら、インスタにしろとのこと。昨日だけで3回開催してみたけど、当然のように誰も来なかったので1人語りをぶちかましたら意外と楽しかった。創作や内観、自分が地球でしてるSF漫画みたいな役目のことなど話してみた。

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この世界は自分が投影している。

全て私が創り出しているのだという意味で、全て自己責任である。

というと厳しいようだが、そう受け入れているほうが全てを自分のパワーで変えられるということでもある。ただこれはそういう概念があってそれを採用しているとかではなくて、宇宙の法則という真実なのだ。

ということを前提として。
(前提として全面的に受け入れていることが重要)


では、DIVE✨

前アカウントでは、自分軸で創作するという発信をしていた。今はその発信の装いを新たにした続きである。

明らかに前アカを参考にして下さったり、作品から何かを感じ取った方々がいらっしゃるようで、匿名掲示板からエアリプを投げる方がいる。必ずしもそこを見ているとも限らないのにだ。確かにその掲示板で外側思考にならないように何度も誘導をかけた。苦しみの理由になっていることが皆解からないらしいので、なんとかしなければと思ったのだ。

実はこれまで、創作関連でしんどくなった方に楽になるヒントを発信した相手の方は、特定の個人だろうが不特定多数だろうが、エアリプでしか感謝されたことがない。

少しでも楽な心で創作活動できるようになったのならばそんな嬉しいことはないというのが一番なのだけど、正直エアリプそのものに関しては、心という作業部屋の隅に置いてる鉛筆削りのハンドルに軽く引っかかったままの輪ゴムのような感じだ。乾燥して固くなって輪が切れかかっている。

なんだその例え。
でもホントそんな感じ。

自分がやられたら嫌だと解からないくらいには、SNSでエアリプしとけば通じるだろうという変な癖をつけちゃった人が創作界隈には多いんだなあと。その人たちのために奔走してそれだからモヤモヤしないわけがない。私に直接感謝しろというわけではなくて、『なぜエアリプされなければならないんだろう?』というのが2年くらい続いている。創作系SNSに登録するとそういうことが起きる。

もうこの人めっちゃ好感をもって私に反応してるよねってのが解かるのに、絶対に話しかけては来ない。


つらつら書いてみたがこれらのことが自分の外側に目が向いているときに起こる反応なのだ。軸ブレというやつ。

ともかく発信そのものは放ちっぱなしにして、何かを求めない。ということで解決はする。これまでもそうしてきたし、そうするしかなかったし、これからもそうしようと思っている。別にフォローしてくれなくてもいい。参考になればそれでいいと。

しかし、たまーに声にならない叫びのように浮かんでくる。ここでクリアにしておかないとずっと引きずる。でも他人は変えられない。自分が体験する世界で変えられるのは自分のフィルムに焼きこむ周波数だけなのだ。


エアリプで感謝される。

これも私自身の心の投影であるとするなら、自分の中の何かに気づかなければならない。こんなとき、よく反応する事柄や言葉を普段から気にしておくと思い当たりやすい。

そういえば。

自分の役割柄、スピリチュアル系YouTubeの動画についてるコメントを見たりすることがたまにあった。そのとき、稚拙な理解度と感謝がセットになったものが多くてなぜなのかそれに嫌気がさしていた。いつしか、感謝しとけばいいと思ってるんかなあ…という疑問がふんわり湧くようになっていた。

そして、とあるスピリチュアルな学びのサロンにほんの一ヶ月のみ入った。
入りたくて入ったのではなくて、ハイヤー指令で入った。

そこで投稿しろと浮かんだことを実行に移した。
投稿に絡んできてくれるサロンメンバーの方々の学びは進んでいるとは思えなかった。
地球のアセンションに合わせて生まれてきているだろう割には……と思った。何より、自分は地球の周波数を上げるのに物凄く苦しい想いをしたグループの一人だ。いらいらするのは当然だと思う。

そしてコメントをくれる相手に、今必要なことを返信できる自分になっていることに気づいた。ハイヤーセルフはこの体験をさせたかったのかなと思った。(実際は学びの進んでない方々がいなければ自分の体験は成立しないのでそこに感謝をすることがとても大切なのだ。)

思ったけれども、そのやり取りに歓びを感じる自分はいなかった。
めんどくさいことこの上なかった。楽しくなかった。

だけど、自分の発信を見たらしき創作活動をしている人々が少しずつ楽になっていく様を見るのは凄く嬉しかった。遠くからエアリプされても嬉しかった。
これからもエアリプしかされなくても、この子たちが楽になれるなら頑張れるみたいな気持ちがあった。

人がしんどくなる原理は全て共通している。

で、私にはスピリチュアルサロンに入っているけど学びが進んでいない人に対して、稚拙な理解度だと見下だす気持ちがあるのだと思う。見下すというかめんどくさいなあ、という感じ。

感謝してるだけじゃ成長なんてしないよ?というイラつき。

それは相手をジャッジしているということになるのだそうだ。

他人への勝手な判断。しかも上から。

ジャッジすると豊かさを無意識に遠ざけるのだそうだ。


こんなときにどうするか、自分の知っている方法は、ジャッジする自分もジャッジしないでいい。その自分も許すのだ。と受容すること。

全受容。
自分へのノージャッジ。

これが陰も拒絶せずに受容して、陽と和合させる私のやり方です。

そしてそういう他人へのジャッジをしていたことは手放す。
もうやらない。


もし学びが進んでいない人に対して見下すジャッジをする自分がいたから、直接ではなく遠くからエアリプ感謝をされる現実投影が起きていたのだとしたら、今後何かが変わるだろうか。

様子が変わったら、また報告したい。

創作するのに、魂を通した作品づくりをしたい人は、創作のみに特化した創作的な内観というのは無くて、ただただ自分の外に映る何かに反応する自分の内に、何があるのか観察、発見して受容して自分の周波数を変えていく。そして創造の源エネルギーの、魂への流れを良くするということが大切なのだ。

もちろん、その状態が創作活動において心が安定するし、イマジネーションも湧きやすくなるのだ。

発見して受容する過程を作品に込めることは出来ると思う。


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