落ち葉拾いと吹き飛ばしおじさん
息子は公園に行くと必ず落ち葉を拾う。
がさがさと豪快にかき集めるのではなく、近いものから手当たり次第に触るのでもない。
無数に落ちている葉っぱから気に入ったものを慎重に選び取っている。
手前にあるいくつもの落ち葉たちを素通りしてお目当てのそれに一直線に向かっていく。
選ばれし葉っぱは息子に大事に大事に握り潰され、散歩の道中を共にする。
そして途中で鞍替えされる。
驚くほどあっけなくポイっとされる葉っぱを見る度、あんなに丁寧に選んだのは何だったのかと思うが、握りしめてぐしゃぐしゃになったそれは、息子が欲しかったそれとは変わってしまったのかもしれない。
ねぇねぇ、これとか綺麗だよ?と汚れが少ない葉っぱを渡そうと試みるも見向きもされない。
代わりに何だかちょっと砂がついたり、泥がついた葉っぱを手に取る息子。
彼の狙いは綺麗なものではない。
大きい葉っぱが好みなことは知っている。
ただ、そこの大きい葉っぱより、遠くの大きい葉っぱを選ぶ理由は何だろう。
まだ青々とした葉に、真っ赤なもの、黄色に茶色。色集め?
好きなかたちでもあるのかな。
同じ茶色でも微妙な色の違いでこれ!と思うものを見つけているのか。
どういう基準で選んでいるのだろう。
一体何を想ってその一枚を選び取るのだろう。
わたしには見えていない何かが見えているような気がしてならない。
息子の頭の中に入って、同じようにものを見て、同じようにものを感じられたらいいのになと思う。
✳︎✳︎✳︎
ところで、アメリカでは落ち葉は拾うものではなくて吹き飛ばすものだ。
近所の公園には、毎週どこからともなくおじさんがやってきて(公共サービス)、ぶぉーん、ぶおーんとやってくれている。こんな具合に。
勝手に吹き飛ばしおじさんと呼んでいたが、気になって調べてみると、落ち葉を吹き飛ばす機械のことをLeaf Blower(吹き飛ばし)と言うらしい。吹き飛ばしおじさんはあながち間違いではなかった。
おじさんのおかげで遊歩道は落ち葉ひとつなく、とても歩きやすくなる(次から次へと落ちてくるのでそれもほんの数時間の間だけだが)。
落ち葉はそれぞれの木の周りに集められ、1本1本の木を取り囲む様にふかふかな空間が出来上がる。
そう。落ち葉たちは、集められてどこかに纏めて捨てられるのかと思いきや、捨てられない。木の周りに集められる。以上。
ちょっと笑ってしまった。集めるだけ?捨てないの?いいの?
わたしとしては、集めて捨てるまでが掃除だと思っていたが(家に帰るまでが遠足みたいな)、恐らく、見た目が良くなればそれでいい、というのがアメリカ流だ。
こちらに来た当初、木の周りに輪を描くように落ちている落ち葉を見て、落ち葉ってこんなに自然に、綺麗に落ちるものなのか…と自然の力にちょっとした感動を覚えたのだが、後から人間の仕業だったと知り、軽くショックを受けた。
次から次へと木の周りに集められる落ち葉。それがまた、公園をより美しく見せてくれている。
こんなに綺麗なんだから、捨てる必要はないかと思い直す。
むしろよくこんなに綺麗に吹き飛ばせる。
おじさんの匠の技に感心する。
落ち葉の上を歩くと、かしゃかしゃ、ぱりぱりと音が鳴るものもあれば、しなしな、ふわふわで歩きにくいものも。木の種類によってそんな違いを感じられるのもまた楽しい。
こんな遊びが出来るのも、おじさんが毎週ふかふかの空間を作ってくれているからかもしれない。
吹き飛ばしおじさん、いつも上手に吹き飛ばしてくれてありがとう。
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