昨今のカスタマーテロとかについて考えてみる その2

ここ最近はカスタマーテロという枠組みすらなくなってただのアホ自慢みたいになっている気がするが
それでもその1からの流れを受けて綴ることにする

アニメやドラマのついでと言ってはなんだが映画についても少し触れておきたいと思う

私の知り合いに映画好きな男がいる
誘われて何度か鑑賞しに行ったこともあるがチョイスはいつも彼任せ
何故かいつも洋画になるのが少し疑問だったりはした

どうだろう
映画好きの方々は早々に邦画には見切りをつけてたりしないだろうか

現代の日本映画は観客に解釈の余地を与えない作りになっているそうだ
造り手が余地や余韻などを持たせることをスポンサー側が却下するらしい
どういうことかと言えば
「説明セリフに次ぐ説明セリフ」
で展開や状況全てを伝えるようになっている…
視聴者がそれを求めているから(ほんまかいな?)

そりゃつまらないだろう
映像や展開に集中も要らないならそれはもう安っぽいドラマCDでしかない

しかし今の若者は映画やドラマを「聴く」のだそうだ
倍速で流してセリフを聴くらしい
それを象徴するかのように現れて逮捕者まで出したのがファスト映画だと思う
つまりもう日本においては映画の存在価値も物語を情報として得るための媒体というかソースの1つになっているようだ

思考停止というのも少しズレる気がする
何も考えずに入ってくる情報から自分の求める部分以外を切り捨てる作業をしているのかと思う
どう言えば近いだろう…
エコチェンバーをカスタマイズしているような感じかもしれない

Z世代は多様性を理解する世代と言われているが、それは自分の中の自分がベストだから他人が何を考えていても気にならない存在としか認知してないとも取れるだろう

彼らが対等・フラットな関係を望むというのも何となく見えてくる気がする
独自に構築されてきたエコチェンバー王国が人の数だけ存在するようなものだ
つまりエコチェンバー国家間同盟なのだから対等なのは当たり前である

そこで現在起こっていることに視線を戻してみる

彼らは推し並べて国王様
自分王国の頂点であり周りは同盟を結んでいるか否かの違いしかない対等国家の集まりである
他の国(王)ができることが自分にできないはずはない
自分は(エコチェンバー王国内)トップなんだからもっとすごいことができるに決まっている

書いててアホらしくなってくるがそんなに遠くないかもしれない

こんな思考形態なら次々と後追い自殺をしてるようにしか見えなかった一連の流れにも少し合点がいく
その1にも挙げたがその先を想像するには経験や知識が足りないのである

いや…
知識が足りないというのは違うかもしれない

これは逆、たぶん逆なのだ

情報過多のネット時代においてはどんどん流れてくる情報を取捨選択するスキルが不可欠で、日々その整理をしながら生活している

Z世代に対してXとかYと呼ばれてる人たちは成人前後くらいでネットが普及してきた世代になる
それより前の未成年時代は新聞・テレビ・雑誌などが主な情報源だった

ネットの普及により良くも悪くもテレビなどが発信するものとの齟齬とか相違が表面化してきたのを目の当たりにして肌で感じてきたX,Y世代は一方からだけの情報を鵜呑みにしない人が多いだろう
反対意見や違う視点の情報も取り入れた上で判断するクセのようなものがついている人が多数派ではないだろうか

でもデジタルネイティブとか呼ばれるZ世代は

比較しない
俯瞰しない
忖度しない
争わない

ただ選択する

その結果が悪ければそれは周りのせいであり自分は悪くない
世の中が悪い…という言葉は何となく都合がいいので恐らくどのエコチェンバー王国にも採用されているだろう
多様性を認めるのではなく自分以外に興味が薄く勝手にしやがれな付かず離れずの距離感覚で生きているように見える

そう見たとしてもまだまだ理解できるとまではいかない
各王国の主で最強の存在たる彼らにも外の世界はある
そしてその世界はなぜか自らの王国を守るべき存在であると考えていたり、その逆に世界を毀損しても問題は無いと考えるフシも見られる

Z世代の彼らには自主性がないように感じられる
後述するが行動原理の基準が他人にあるという矛盾を常に抱えている
トップに君臨すれども自治はしていない感じなのだ
一人称視点のゲームのプレイヤーというのが近い気もする
敵と見なしたモノには攻撃的になってその時の方向性が近ければ共闘するが自分の立場が危うくなれば簡単に裏切るか放棄する

何も保証されていなくても自らの立場が担保されていると勝手に思い込んでいる
脆いというか危うい

俯瞰するための知識や経験が乏しく選択によって訪れるかもしれない未来に想像が及ばないので、その都度より快楽的な方向に傾いては望まない結果を放棄してリセットするようなヌルゲーの世界なのかもしれない

ゲームにしても難しいものが減っている現代ならではの傾向とも言えるだろう
謎に市民権を得ている音ゲーのような反射神経と記憶だけの思考停止な存在はさらに想像力の減退を加速している気がしてならない

情報化社会という過度なインプットの世の中で熟考するものは取り残されるように感じていたとしても不思議は無いだろう
時間の流れ(というより時間の体感)が変わっているから

映画の早聞きと音ゲーは似ている
いかに早く判断して処理するかだけが重要で、そこに思考などが介在していない
逆に想像を巡らせるためのファクターは雑音として遠ざけられる風潮を生み出しているのかも知れない

ここ最近巷で人気を博した漫画、アニメ、映画、ドラマには伏線が存在しない…もしくは少なく、またはすぐに回収されているように思われる
もちろんその中から生み出される作品の中にはX,Y世代では及びもつかない視点や思想を持ったものが出てきているのも否定はできないが…

ただ大半は何かを生み出したりせず淡々とロールプレイをこなしているだけで、選択の先に何があるのかという想像も、何がしたいかという願望も、どうなりたいかという目標もないように見える

そんな毎日を過ごしていると日々心が乾いていくのかもしれない
自分の存在が希薄になっていく感覚が産まれてくるのかもしれない
他国(他人)には興味を示さないのに自国(自分)のことは認めて欲しいという勝手な理屈は虚無感や喪失感みたいなものの裏返しと取れなくもない

恐らくそれが自己承認欲求で簡単にそれを実現できそうなツールが目の前にあるとすればすがることも容易に想像できる

欲求を満たすための方法にも想像力の欠如が影響していると思われるが、彼らの行動原理はバズるかどうかなので、炎上≒人気、であって悪いことではないのだろう
私などの世代にはまったく理解できない人の方が多いだろうがTikTokなどではただダンスしてるだけだったりの目的が分からない投稿が相当数を占めている
とにかく「いいね」が欲しいらしいのだが1ミリもいいねと思えない

存在を顯示して認識させたい彼らは諦めずにエスカレートしていく
男の子はよりヴァイオレンスに…
女の子はよりエロティックに…
本筋からズレるのでここは詳説しないが大体そんな感じに見える

よりバズっている動画を基準に据えて自らはそれよりさらに上であると認識させたい…それが自分の価値だと言わんばかりに
他国よりたくさんのいいねを集めるミッションがそこから始まる
やってもいいとか悪いとかは考えない
いいねの数が正義とでも思っているのかもしれない

YouTuberと呼ばれる連中にも似たようなのが増えている
いや、これも逆だろうか…
動画配信で多くのいいね=正義を集めたつもりになって増長した大手勢力がYouTuberでそのプチ版が最近のSNS動画発信者たち

百歩譲ってYouTuberは理解できなくもない
その行動によって対価を得る、すなわちお金が稼げるなら手段としては正しくなくともそれなりの妥当性というか帰結性はある
先のTikTokなどのSNS動画は1円にもならないのにただバズりたくてやってるものと完全に同列とは言えないかもしれない

しかし似ていることがある
何か問題や不祥事を起こした時の対応や謝罪の熱量みたいな部分
なんなら悪いとさえ思っていないと感じるくらいに伝わらない

岐阜のスシローの件でも取材記事を見た人たちが「親はまとも」みたいな感想を述べていたが、それはただの錯覚だと私には思える
理解できない異次元の行動が元にあって理解の範疇にある対応がことさらまともに見えただけだろう

X世代Y世代の人は少なからず想像力を養ってきた世代だと思う
ゲームはドット絵、音楽や演出も表現の限界や制約が多数あった上でストーリーや、雑誌などの補完的視覚情報などから想像を膨らませたX世代
物心ついた時の情報媒体は主にテレビだけど若い頃からインターネットが普及してきて比較検証能力が多分に培われただろうY世代
当該世代にも想像力の足りない人達は一定数いるけどZ世代は群を抜いていると思う

現代の道徳の授業がどんなものかは知らない
教科として教えられるようになったらしいがたぶん誰もまともに聞かないだろうことはわかる
押しつけの正義感や道徳観ほどウザイものはない
さらに教科ともなればそれは勉強なので余計に忌避の対象で内容はたぶん頭に入ってこないだろう

時代は巡って考え方や見方はどんどん変化している中で、受け取る側の属性も昔とは大きく変わっていることを想像しなくてはならない時期に来ている気がする

イジメの凶悪化、陰湿化、残虐化などもよく取り上げられるが、アホなSNS動画発信と根っこは同じで想像力の不足や欠如が招いている事態だと考える

道徳教育がただの学習にならないようにするにはもっとシンプルにわかりやすい事例をひたすら見せるといい
無期懲役で一生を刑務所で暮らす人の1日、死刑の執行を待つだけの人の1日、多額の損害賠償を背負って苦しむ人の毎日、顔も名前も世間に知られて出所しても普通に生活出来なくなった人の日常…

一時の自己承認欲求を満たすための軽率な行為で人生が終わることをビジュアルで植え付けるくらいしか私には思いつかない
ただ今は以前と少し流れが変わってきたようだ
擁護されることが当たり前のようになっていた少年にも厳正な対処をする風潮が出てきている
これを徹底していくのはとても重要だと思う
そしてそれをSNSで発信し続ければ多少なりとも抑止力になるだろう

想像力がない子供たちに想像させることができない以上、迷惑行為をした連中の末路を情報として伝えるしかないと考える
問題を大きくするなとか拡散によって副次的な被害が出るとか言っている人は私たちの想像の外にいるモンスターチルドレンを大人しくさせる代替案を出してから発言するべきだ
それが出来ないなら現状最大の抑止力は周知と拡散にあると思う

自分にとって不都合な未来を想像出来ない子供たちに想像力をつけさせることは至難の業
だとしたら因果を情報として与え続け、思考回路が形成されるまで諦めないことが大事なのではないか

毒を以て毒を制す時代…世の中はとっくに終わってたのかもしれない

最後までお読みいただきありがとうございました
長文乱文失礼
気になることが抑えきれなくなったらここで垂れ流すと思います
それではまた

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