昨今のカスタマーテロとかについて考えてみる その1

外食産業をはじめとした日本独自のサービス業態に大転機をもたらしているいわゆるカスタマーテロ

あれだけ騒がれて叩かれてるのに沈静化するどころか過熱している感すらある

ものすごく気持ち悪い
と言ってもそのままの意味だけではない

醤油差しや湯のみがぺろぺろされたり、使用済みの爪楊枝を戻したり、そういう行動は確かに衛生面から見ても嫌悪の対象だが、それらの行為が拡散されて叩かれ、損害賠償やら社会的制裁やら言われてもなぜか後に続く者がいること…
それがどうにも気持ち悪いのだ

衛生的な面を除いても、カラオケボックスの共有スペースで火遊びする輩、火災報知器を作動させる輩、窓から何やら放り投げる輩、謎の主張やお気持ち表明、頭が悪いとかそういう次元を超えていて分析をするにも手がかりが無い
これは困ったものだ

不快なばかりで理解が追いつかない現状
連中を理解したいわけではないけど思考の方向性が見えないのは不快を通り越してただただ怖い

それでも考えずにはいられないのは不快なものを不快なまま残しておく気持ち悪さと、未知のものへの恐怖をずっと抱えていたくないからだと思う
だから何とか説明をつけることで自分の精神の安定を計りたい

といった理由から少し想像してみた

一部の例を除いて、これらの事件は今で言うZ世代が引き起こしていると見ることができそうだ
もちろん全てではないし、あくまで割合の話にはなる

Z世代自体が曖昧な定義であることは承知の上で以降を綴るので、妙な乖離や矛盾が発生する可能性が高いことは予め言及させていただきご容赦願いたい

方向性が見えない、理解できない、では何も分からない
しかし実際のところホントに分からないのである

確かに承認欲求や自己顕示欲を満たすためのお手軽ツールが世に溢れていて、それらは知能が低くても使える

仮に、今引き起こされている迷惑動画の拡散や伝播が承認欲求や自己顕示欲を満たすために行われているとしても、やっぱり私には次々現れる類似の模倣連中が存在するのは想像の外側なのである

これは知能の高さとか道徳…倫理観の話ではたぶん片付かないのではないかと思うようになっていった

ずっとモヤモヤしてた
違和感がある、嫌悪感がある、だけど理由はわからない
そこに至る経緯にも全くと言っていいほど想像が及ばない

そんな折、テレビを観た
うちのテレビはモニタ化していてVODやゲーム専用になっているため放送番組はまったく観ないけど、旅行や外食時には目にすることがあり、その度に思い出すのが
「今の子供はテレビを観ない」
いわゆる若者のテレビ離れの話

何年か前の知り合いの人の言葉で
「うちの子は全然テレビを見ないから少しは見た方がいいと思ってテレビを買い与えようと思ってるんだ」
というのがあった
何を言ってるかよくわからなかったし何とも余計なお世話だと思った

私の子供時代には
「テレビばかり見てないで外で遊んできなさい」だとか「宿題やるまではテレビ禁止」だとか言われて遠ざけられたことしか記憶にない

話を戻すと、そうまでしてもテレビを見なくなったのがZ世代には多いということで、今回の社会問題化している一連の騒動に何らかの影響を与えている可能性を考え始めるに至ったというところからこの考察、というより妄想はスタートしている

根拠となる研究結果やらデータは何もない
勝手に妄想しているだけの思考遊戯とでも思っていただいて構わないので、ここまで読んで少しでも興味がわいたなら、続きをご覧いただければと思う

良くも悪くもテレビというものは考え方に影響を与えるものだと思っている
お笑い番組を見てめちゃくちゃ笑った経験からそういう楽しませ方があって他人とのコミュニケーションに笑いを取り入れて円滑にしたり、犯罪報道を見てこんなにも悪どい奴らがいるんだということを知ったり、アニメを見て声優やアニメーターなど作る側に興味を持って将来の夢にするようなこともあるだろう

私はアニメオタクの端くれではあるけど作る側にはそこまで憧れなかった
でも本を読むことはそこそこ好きだったから文章や物語を作ることには少なからず興味を持っていたし、簡単な4コママンガを描いたことや文化祭の演劇のシナリオを書いたりしたこともあった

ちょっと脱線気味なので話を戻そう
ただ今回の考察にはそのアニメやドラマが取っ掛りの一端にもなっているので、流れはこのまま引き継いでいこうと思う

アニメやドラマには主人公がいて、そのライバルだったり敵だったりという話を盛り上げる相手が存在することが多くある
またピンチの場面などではわかりやすく悪事を働くチンピラとかが描かれたり、相対的に主人公の魅力を上げるべく用意されたヒールが大なり小なり出てくる
これらの悪者キャラはある意味記号化されていて、そのほとんどが見た目や雰囲気や言葉遣いからして一目で悪者とわかるように描かれている
ドラマであれば主に悪役ばかりを演じる役者さんを起用するなどして説明不要のストーリー補完ができるなど時間的節約のメリットもありそうだ

実はそこがすごく引っかかってしまった部分で、テレビを見なくなった若者はそういう悪役が辿る末路をあまり見たことがないんじゃないだろうかと考えた
擬似的、間接的にでもそういう経験をしたり、知識として得ることが出来なかったとしたら、自分のこれからすること、またはしてしまったことがこの先どう展開するのか想像が及ばない可能性があるんじゃないかと

彼らは自分の迎える結果がわからない
そういう末路というかバッドルートをまったく想像できない可能性があるのだ
だとしたら今の自爆テロにも似た一連の騒動が収まらないことにも何となく説明がつく気がする

わかりやすい悪人がいて、わかりやすく罰や報復を受けたりするのを自然に見てきた人とそうでない人では倫理観とか罪悪感の持ち方とか道徳観なんかが大きく乖離しても不思議ではない

スマホという自己承認欲求を満たすために手軽に発信できる便利アイテムが手元にあり、発信するツールを使うために必要なのは登録だけでお金もいらない
ハードルはないに等しい
そこにネットから仕入れた自分にとって都合のいい解釈や知識が混ざり込む
あ、これいけるわ!という思考に至ってもなんら違和感がないのだ

少年法で匿名性などが担保されてた時代は皮肉にもデジタルネイティブの彼らが生まれた時にはすでに終わってたわけだが、アーカイブされること、簡単に個人が特定されること、などなどは学校でもやってるだろうから知ってるはずである
ネットリテラシーが高いはずなのに想像力が及ばないため活用されず、罪悪感も皆無、もしくはあっても薄いように見える
そのため自分の立場がどうなっていくのか…以前に罪を犯している自覚がないと言えそうだ

個人的な印象にはなるが、道徳の授業よりは、アニメやマンガやドラマで見た事が私自身の倫理観などには多分に影響を与えたように思っている

記号化された悪

これがなんとなくキーワードとしてしっくりくるのだ

変わる時代の中で失われたのが破滅に対する想像力で、それを得るすべをZ世代はなくしてしまった

今では絵本の表現も大きく変えられているんだとか聞いたことがある

「サルカニ合戦」とは呼ばず
牛のフンはリストラされ
カニの親は一命を取り留めるそうだ

そのため復讐の熱量は下がり、報復の正当性も低下、達成感や高揚感もグダグダになる気がする…いや、その未来しか見えない

受けるべきしっぺ返し
償いの重さ
悪に対する認識と罪悪感

これを知らない、感じたことない、そんなのがZ世代だとしたら?

とは言え、結論ありきな展開なのは自覚している
そうでも思わないと考えが先に進んでいかないのである
想像や認識の外側の存在は畏怖の対象になる
認知できないものは本当に怖い

罪悪感が薄く、支払うべき代償をイメージできず、その時の快楽に身を委ねる…既存カテゴリに似たのがある気がする

ギャンブル依存症

そうか…現代はこれをナチュラルに生み出すようになってしまったのかも知れない
次々と渦中に突撃しているように見える彼らは何も自覚することなく快楽に身を委ねるのだろう

現代においてこの事態を是正または修正することはとても困難な気がしてならない
それが日常になってしまったのだから…
そして旧世代の産物たる私や、同様に解決策や打開策を明確に見いだせない人々にとってはZ世代というのは、有り体に言ってクリーチャーだと思う

海外の事例も見ていくと風は同じ…
控えめに言って最低だ
より暴力的かつ直接的な行為が多いがやはり後に続く流れは変わらないと思える

長くなったので一旦区切っておこうと思う
ここに記載したのはあくまでいくつかあるだろう可能性の一部を妄想よろしく書きなぐっただけのものなので、少しでもくだらないとかバカバカしいとか思って貰えたら幸いである
興味が無くなってなければ次稿その2をご覧いただければ嬉しい

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