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『あなたの「音」、回収します』 第4話 風の翼の乙女(1)

 今日も、抜けるような晴天だ。

 黒い燕尾服をパリッと着込んだ青年・音廻おとめぐり卓渡たくとは、空に浮かぶ一匹のおたまじゃくしをぼ~っと眺めながら歩いていた。
 正確には、ふよふよと自分の頭上を気ままに飛んでいる、鶏の卵大の、愛すべき相棒を。「卵の相棒バディ・エッグ」の「黒玉ちゃん」、その人(もとい、その卵)である。

「今日も黒玉ちゃんは一個ひとり。飛行機雲は一本。パーカス一発叩いて終わり。これじゃあ、総譜フルスコアは作れないなあ……」

 卓渡は不満だった。先ほど上司との通信で交わされた会話を思い返す。

「僕が音楽家専門の回収業に回されるのは、まあ仕方がないとして。なんで、今回も卵じゃないんだよぉぉ! 前回は庭師の機械人形オートマタだった。今回はなんと、楽器そのものだ。レアケースばっかじゃねえか! この仕事ならたっくさんの卵に接触できて、他の黒玉ちゃんを捜すのもわけないと思ってたのに~!」

 卓渡の「回収業」――。
 卓渡の勤務先は、機能停止した「卵」に新たな命を吹き込み、何らかの理由で「卵の相棒バディ・エッグ」を持たない者へと貸し付ける、「卵貸付業エッグ・レンタルサービス」を行っている。
 回収人である卓渡は、卵を回収するわけではなく、卵に吹き込んだ「命」を回収するわけでもない。彼が指定する「命の音」を、代わりに提供してもらう。その音が、次なる「卵」の命のもとになるのだ。

 音楽家ばかりを担当させられる理由は、卓渡に多少なりとも音楽の心得があるからに他ならないが――今回の相手は、それはもう厄介だった。

「前回は楽だったなぁ。まだお子様だから、うまいこと言っておだてて丸め――いや~いやいや、嘘は伝えてませんよ、うん。今回ばかりは、若輩者の僕には荷が重すぎるんだよなぁ。なんせ激動の時代を生き抜いた、百戦錬磨のBA……高齢の女性だし、しかも外国人だし。興奮するとすぐに外国語で怒鳴り散らすんだよな~」

 ため息に反して、足は着実に債務者のもとへ向かっていた。
 広い川沿いの土手の向こうから、なじみのあるメロディが聞こえてくる。卓渡の耳が、早くも心地よい響きをひとつも漏らすまいと感度を研ぎ澄まし始めた。

「音楽は、非の打ちどころがないんだけどね。これが、命を与えられたチェロの音、か……」

♬ガブリエル・フォーレ作曲
 『シシリエンヌ』作品78

 8分の6拍子からなる、軽やかに踊るような付点が特徴的な楽曲。
 リズムに合わせて、川面かわもの光が揺らめいている。どこか、旅情や懐かしさを感じさせる、草原の風の流れの中をたゆたうような旋律だ。

 今回の債務者、フェオドラ・ラヴローヴァは、土手の下の草地に置かれた椅子に腰かけて、チェロを弾いていた。

 大型の楽器であるにも関わらず、その音色は多彩かつ繊細。柔らかに大きく伸びる音から、軽快なスタッカートまで。まるでオペラ歌手のように豊かな表現を乗せて、のどを震わせるようなビブラートが、聴く者の鼓膜こまくを通して心までをも震わせる。
 かと思えば、土手を通る人が演奏に気づかないほど極弱のピアニッシッシモで、静かに弓を滑らせる。奏者本人にしか聞こえないほどか細い旋律が、川の動きのように空気に流れては溶けていく。

 まるで、歌だ。楽器演奏ではなく。

 卓渡が土手を降り始めると、フェオドラはぴたりと演奏を止めた。
 後ろでひとつにまとめ、スカーフを巻いた銀色の髪。何重にも巻かれた鮮やかな色柄のロングスカートに、鈍色にびいろのロングコート。顔に刻まれた深いしわ。
 誰がどう見ても外国人とわかる風貌に、楽器という組み合わせは、まるで芸を生業なりわいとするジプシーのようだ。
 燕尾服にジプシー。異国情緒溢れる、芸術的かつドラマチックな組み合わせではないか。

 などと感慨にふける間もなく。彼女は立ち上がると、チェロを大事そうに抱きかかえながら卓渡に向かって大声でわめき始めた。卓渡には理解できない外国語の洪水には、おそらく卓渡自身に対するいわれのない罵倒ばとうも含まれているのだろう。

 まったく気にしないそぶりを見せながら、言葉の内容を推測しつつ、日本語で慎重に応答する。

「ええとですね、フェオドラ・ラヴローヴァさん。落ち着いて、話を聞いてもらえますか?」

 まだ罵倒は鳴りやまない。卓渡の声も自然に大きさを増す。

「前も言ったのですがー! 私は、あなたのチェロを回収しに来たんじゃありません! チェロの命を取り上げることもしません! ただ、代わりにいただきたいものがございましてー!」

 通行人が、何事かと土手の下をのぞき込む。
 口論に発展しかねないように見える二人の言い合いを、ひとつの卵が止めた。
 フェオドラの眼前までふよふよと飛んで行き、ひたすらぺこぺこと頭(?)を下げる。

 うーん、やっぱり、黒玉ちゃんは可愛い。

 と、卓渡と同じ感想を持ったかどうかは定かでないが、フェオドラは怒声を止め、ドスンと椅子に腰を下ろした。

「私から何を盗る気だ! タダより高いもんはないって言うじゃないか!」

 日本語になった。ようやく話を聞いてくれそうだ。グッジョブ黒玉ちゃん。

「私はあなたの演奏がタダだなんて思ってません。あなたの演奏には、卵一個分の価値がある。私が指定する曲を、一曲弾いていただきたいのです。もちろん、そのチェロで」

 フェオドラはじろじろと目の前の青年を眺めまわす。
 卵一個分の価値。それがどれほど重いかは、彼女自身が一番よく知っている。卵を持たない人生だからこそ、今までどれほどの苦労を重ねてきたことか。

「演奏が気に入らないからって、あとで色々追加する気じゃないだろうね」

「ご心配なく。私があなたの演奏を気に入らないだなんてあり得ません。心を込めて、ご自分の思うままに演奏してくださればいいのです」

「フン……。で? いつどこで、何を弾けっていうんだい」

「私がいれば、いつでもどこでも。なんなら、今ここででも構いません」

「なんだそりゃ。ずいぶんいい加減だね」

「曲は、アレクサンドル・ボロディン作曲、『ポロヴェツ人の踊り』をお願いします」

「え!?」

 フェオドラは目をむいた。主に二つの理由で。
 理由の一つ目は、彼女が仕事以外プライベートでは決して弾こうとしない、彼女の祖国の作曲家による曲を指定してきたこと。先刻弾いていたフォーレはフランスの作曲家だ。二つ目は――

「チェロ一本で、あの曲をやれって?」

「はい。あなたなら、アレンジもカッコよくやっていただけると思いまして~」

 23種以上の楽器を必要とする、フルオーケストラ曲。さらに、歌劇曲なので合唱団のコーラスまでついている。想定奏者数、百人をゆうに超える大曲を、チェロ一本で。

 ピアノならば、片手でメロディ・片手で伴奏という形で、たいていの曲はそれっぽい形にアレンジすることができる。チェロのみでも、何人かが集えばパートを分けてアンサンブルができる。チェロ奏者が単独ソロで曲を発表する時は、たいていピアノなどの伴奏がつくか、独奏用の無伴奏の曲を用意することになる。

 卓渡が指定した曲をチェロ一本でれ、というのはなかなかの無茶ぶりだった。
 が、フェオドラの表情は、数秒後には余裕を取り戻した。
 これまでの人生でつちかってきた、百戦錬磨の演奏の腕と豪胆ごうたんさが、ここで彼女にノーとは言わせなかったのだろう。

「面白い、やってみよう。全部で十二分はかかるからね。その辺に座ってて構わないよ」

 曲の一部だけでもよかったのだが、全部演ってしまうつもりらしい。しかも、今すぐに。

 面白いことになった。
 一流の演奏家プレイヤーは、いつだって一流の挑戦者チャレンジャーなのだ。

 卓渡の視線が奏者と楽器、双方にじっくりと注がれる。
 どうやらこのチェロは、一般的な卵や前回の機械人形オートマタのように自分から動いたりはしないようだ。命のすべてを音に注ぎ込むつもりなのだろうか。マルチに活躍する黒玉ちゃんとは対照的だ。 

 そして、そのチェロを操る女傑じょけつ
 卓渡よりもずっと小柄だが、近現代史に刻まれる壮絶な時代を生きてきた彼女の存在感は、この場の誰よりも大きく、精強だった。

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