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『空飛ぶたまごと異世界ピアノオルガン♬アンサンブル』 第6話 楽器のない世界

 夜、いつものように化粧台ドレッサーの鏡の前に座ったら、

『あんたってほんとギャップが凄いわね』

 と、ツッコまれてしまった。

 鏡の中からわたしを見てる、猫耳を付けた可愛い金髪美女さん。名前をミラマリアさんという。

 二十歳のわたしより年下に見えるけど、実は二十八歳で、猫耳みたいに見えるヘッドホンは、実は翻訳機なんだそうだ。しかも自作とのこと。何それ可愛い。

「あはは、この前の気合い入ったカッコは『久しぶりに帰宅した推し兄を出迎えるための戦装束いくさしょうぞく』で、今のカッコは『夢小説をバリバリ書くための戦装束』なのでござるよー」

 わたしは眼鏡にジャージ姿で、鏡の前でマグカップのカフェオレを一口。ミラマリアさんも、ストローで聞いたことがない名前の飲み物を飲んでいる。ノリはほとんどオンライン飲み会である。

「ミラマリアさん、わたしは自分の部屋だから気楽にやってますけど、そっちってシャワールームなんですよね? 不便じゃありません?」

 温玉おんたまちゃんは、わたしの横ですまなそうにペコペコと頭を下げている。

「温玉ちゃんによると、場所を移動させることはできないみたいなんですけど、例えば鏡の前にモニターを置いて、別の場所のモニターに映像を飛ばすようにすれば……」
『いいのいいの。私はここが一番落ち着くし、都合がいいのよ。だって、ここなら誰にも見られずに済むでしょ?』

 確かに、まさかシャワールームで世界線を越えた通話をしてるだなんて、誰も思わないよね。

 ミラマリアさんが誰かと同居してるのか、どんな世界のどんな場所に住んでるのか、わたしはまだ何も知らない。

 一週間前。温玉ちゃんが、わたしの部屋とミラマリアさんちのシャワールームを、鏡越しにいきなり繋げてしまった。

 なぜ、温玉ちゃんにそんな力が目覚めたのかはわからない。
 そもそも、わたしの世界では普通に存在しているというのに、「卵の相棒バディ・エッグ」については、いまだにほとんど何も解明されていない。未確認生命体(生命体、だよね?)なのだ。

 世界のどこかには、卵の相棒バディ・エッグに関するデータを管理している国家組織がある……なんて噂を聞いたことがあるけど、実際に存在を見聞きしたことはない。

 今わかってるのは、ミラマリアさんの世界には卵の相棒バディ・エッグ自体全く存在していないということ。だから温玉ちゃんについて説明するのが大変だった。

 初めてミラマリアさんと出逢った日から、ちょうど一週間。
 それ以来、まるでごく普通の友達同士のように、わたし達は時間を決めて毎日のように通話を楽しんでいる。
 三日前、音兄おとにいが海外から帰国した後も、音兄には内緒のまま続けている。

 わたしとしては、音兄にも教えたくてしょうがないんだけど、

『ちょっと待ったー! まだ心の準備がーッ!』
『もっとピアノについて勉強してからじゃないと、音サマにお会いするなんて恥ずかしくてできないーッ!』

 と、乙女な反応をもらってしまった。

 ミラマリアさんの世界には、ピアノがない。
 昔はあったらしく、楽器の構造や曲について、ポロポロとデータは残っているものの、絶望的に数が少ない。ミラマリアさんは、そういったデータを収集・分析する「失われた楽器の研究者」なんだそうだ。

 だから、鏡を通して少しずつピアノのことを教えてあげられたらいいな、と、思ってたんだけど……

 わたしが知らない間に、温玉ちゃんがミラマリアさんに、こっちの世界のネット情報をちょこちょこ見せてあげていたらしい。
 気がつくと、ミラマリアさんはネットから収集できる膨大な量の情報を取り込み、すっかりこっちの世界の事情に精通してしまっていた。

 この世界でのピアノの歴史、歴代の作曲家達、有名な曲の数々から、名だたる奏者たちによる現代の動画まで。
 いくらなんでも、情報を飲み込むスピードが速すぎる。ひょっとして、こっちとは時間の流れが違うのかな。

 その過程で彼女は音兄の存在を知り、あっという間にファンになってしまった。
 それどころか、わたしがわたしの正体を知る全人類から隠し通してきた、真っ黒なトップシークレットまで……!

『「山木やまき心音ここね」センセ〜、「兄とわたしの黒鍵こっけん協奏曲コンチェルト」の更新まだですか〜?』
「なんでミラマリアさんが知ってるんですかぁぁーッ!」
『ぜーんぶリネの玉子たまごが見せてくれたわよ。自分の玉子の動向には気をつけることね、ぐっふっふ』
「お〜ん〜た〜ま〜ちゃ〜〜ん!」

 と、嘆いたところで、一度流出した情報は二度と戻らない。

 おかげさまで、ミラマリアさんに対してわたしのプライバシーはすっかり剥がれ落ちてしまったが、わたしはもともと正体不明の相手にフルネームを名乗るほど警戒心がポンコツなので、かえって話しやすくなったともいえる。

 対してミラマリアさんは、わたしに話す内容を慎重に選んでいるみたいだけど。話したい時に話したいことを話してくれればいいし、謎多き今のままでも十分楽しいからいいかな、と思う。

 音兄に変に近づかれるのが怖くて、わたしは今までリアルな友人付き合いをあまりちゃんとしてこなかった。
 だから、音楽の話や音兄の話を気兼ねなく話せるこの時間が、今、とても楽しい。

 音兄にも、この楽しさ、いつか教えてあげられるといいな。

 * * *

「そんじゃ、今日もネタ動画眺めつつ『音語おとがたり会』を始めましょう!」
『おー!』

「音語り会」とは、もちろん「音楽と音葉について語る会」のことである。
 今日は、ミラマリアさんと一緒に音楽動画を見る日。鏡の前にモニターをセットし、温玉ちゃんに再生してもらう。
 わたしはもう何度も見た、お気に入り動画の一つ。去年テレビで放映されたコンサートだ。

 アナウンサーがひと通り曲の解説をし、出演する指揮者やソリストの紹介をして、いよいよ演奏が始まる。
 この曲のソリストはもちろん、言うまでもない。

『ぎゃーッ!! 音サマーーッ!!』

 錚々そうそうたるオーケストラが待つステージへ、舞台袖から、われらが黒鍵王子・川波かわなみ音葉おとはが現れた。

 黒タキシードに黒蝶ネクタイ。ピンと背を伸ばし堂々と歩く姿は、まさに漆黒の王子。
 いつもは無言・無表情でお辞儀をしてから椅子に座るんだけど、このコンサートでは、司会を務めるアナウンサーのお姉さんにマイクを向けられてしまった。

「黒鍵王子」と呼ばれる由来について話を振られ、ほんの少しだけ笑いながら『もういい加減「黒鍵」やめろって言われます』なんて答えて、客席から温かな笑い声をもらっている。

『笑顔、声……尊いニャ〜……』

 ミラマリアさん、耳以外まで猫になってる。鏡の向こうに可愛いとろけ顔が見えるニャ。

 アナウンサーが舞台袖へ下がる。音兄がお辞儀をし、ピアノ前の椅子に座る。
 拍手がやみ、指揮者とアイコンタクトを交わし――開演前の、ほんの一瞬の静寂せいじゃくが訪れる。

 指揮者がタクトを振り始めた。
 弱く入ったティンパニ・ロールが、クレッシェンドで一気に上昇!

♬エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ作曲
 『ピアノ協奏曲イ短調 作品16』

 パァンッ! と、水が弾ける音がした。
 大量の水が落下する。冷涼な北欧の空気の中、巨大な氷河、フィヨルドの狭間はざまを落ちていく滝が見えた。

 開始早々、音兄のピアノが、何者をも凌駕りょうがする鋭い音色でホールの空気を切り裂いた。
 指先からあふれ出す、硬質で曇りなき音楽の先に。グリーグが描く、ノルウェーの大自然のパノラマが展開する。

 幾重にも切り立った巨大な崖。いただきを覆う、白い氷河と雲海うんかい。その雄大な景色をクリアに映し出す、青く澄み渡る海面。

 凍えるほどに冷たく、素朴でありながら気高く。
 音兄とオーケストラが紡ぎ出す音楽は、北欧の厳しくも美しい大自然の景色そのものだ。

 協奏曲のソリストとしての演奏は、自分一人だけのリサイタルの演奏とは違う弾き方が求められる。
 曲の箇所ごとにふさわしい音量と音質を選択し、すべての人に確実にピアノの音を届ける。
 常に大きな音を出す、という意味ではない。どんなに小さくても、柔らかくても、決してオーケストラに埋没しない個性。それがソリストだ。

『はぁ〜……独奏もいいけど、やっぱり協奏曲もいいなあ』

 約三十分に及ぶ演奏を聴き終えた後で、ミラマリアさんがほぉっと息を吐きながらつぶやいた。その口調と表情は、まるで夢の中を揺蕩たゆたっているみたいだ。

『オケに溶け込んだかと思えば、強烈な個性で満場の意識を独り占めにする。それができるピアニストって、やっぱり凄いよ』
「この演奏は、音兄も絶好調だったけど、指揮者さんとオケも凄いんですよ。指揮者さんは、音兄が子供の頃からお世話になってる方だし。オケも海外の一流オケだし」

 去年の興奮を思い出す。この時の映像が大反響を呼んで、川波音葉の名前を一気にメディア上位に押し上げたのだ。

「この時の音兄は、凄く幸運だったと思います。互いに一流でも、協演が成功するとは限らない。本番やってみないとわからない、奇跡的な巡り合わせの連続なんですよね、音楽って」
『確かに、オケの音もよかった。ヴァイオリンって、弓が馬の毛でできてるんだっけ』
「はい。弓は、主に馬のしっぽと木材ですね。パーツに牛皮や牛骨、象牙なども使われてます。木材は、理想的とされるフェルナンブコ材が、絶滅危惧で入手困難になりつつあるそうで。ただでさえ高いのに、また価格がどんどん上がっちゃいそうです」
『ヴァイオリンって、確か家が何軒も建つようなお値段……』
「ピンキリなんですよ。上は都心に豪邸が建てられますし、下は五千円以下で買えるものもあります。弓も、本体の半分くらいはするそうです」
『…………』

 ミラマリアさんは、何か思う所があったのか、飲み物を置いて黙ってしまった。
 疲れたのかな。そろそろお開きにした方がいいかも。

「ミラマリアさん――」
『リネ。これからちょっと重い話をするけど、愚痴だと思って聞いてくれる?』
「え、あ、はい、もちろん。わたしでよければ」
『ありがとう』

 ミラマリアさんの、アクアマリン色の瞳が、覚悟を決めたようにまっすぐにわたしへと向けられた。

 * * *

『私の世界はね。ピアノだけじゃなく、楽器と呼べる楽器がほぼ無くなってしまったの』
「えっ……楽器が、ピアノ以外も?」
『そう。だから、たくさんの楽器があるリネの世界が、私には心底うらやましい』
「……そうだったんですか……」

 何て言えばいいんだろう。生まれた時からたくさんのピアノに囲まれて育ったわたしには、楽器がない世界なんて想像もできない。

『さっき、弓の原料である木材が絶滅危惧だって言ってたでしょ。こっちでは、本当に絶滅してしまったの。理由は、リネの世界を見ればだいたいわかる。ざっとネットで調べただけでも、人間が、あまりに大量に樹林の伐採ばっさいを続けている。気温の上昇や乾燥化が進み、毎年世界中で大規模な山火事が多発して貴重な木が燃えてしまっているのに、まだ、本当に必要かどうかもわからないほどの量を伐採し続けている。いくら植樹しょくじゅを頑張ったって間に合わない。人工林は、原生林に比べると生物多様性に欠けていて、とてももろいのよ』

 彼女の言う通り、わたしの世界で、気候変動にともなう山火事は急速に進行している。伐採は、当たり前すぎてニュースにならないけど。

『だから、こっちでは植物そのものがほとんど育たなくなってしまった。今は、わずかな植物を厳重管理された国の施設で栽培してる。動物も同じ。もはや動植物はごく限られた特権階級のためのものなの。私が楽器の研究をしているのは、本来はアクセスが許可されないごくわずかな情報を、運よくたまたま拾えたからなのよ』

「ミラマリアさん……」

 彼女が「シャワールーム通話」を続ける理由は――この通話が、見つかったらマズいもの、だから?

『でも、私は知ってしまった。木で作られた楽器が、どれだけ深い、素晴らしい音を奏でるのか。こっちの世界でも、生活上必要な音楽は機械で自動的に作られてるけど、芸術性ではもう雲泥の差。比べ物にならない。私はもう、リネの世界を、木製楽器の音楽を、知らなかった頃には戻れない。だから、責任取って、これからも色々教えてね!』
「そうしたい、ですけど……大丈夫なんですか? わたしと通話を続けても……」
『大丈夫なようにしてる。リネと違って、セキュリティ対策は万全だから!』

 ミラマリアさんの「愚痴」は、想像以上に深刻なものだった。
 互いの世界の命運がのしかかるほど、重いものだった。

 木材から造られる楽器は多い。もちろん、ピアノもだ。
 既に、高級ピアノに使われるホンジュラス・マホガニーなど、絶滅危惧種となり伐採が禁止された木もあるという。
 この先、絶滅危惧種がもっと広がって、いずれすべてのピアノが全く造れなくなってしまったら――考えるだけで、どうしようもなくなるほど恐ろしい。

 でも。ミラマリアさんの世界は、ひょっとしたら、わたしたちの世界の未来の姿、なのかもしれない――。

『リネ。美しい音楽を好きなだけ味わえる世界を、ありがたいと思って。これからも、大事にしていきなさいよ』

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