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「汝、星のごとく」凪良ゆう を読んで橋を渡る

 四国に住む者としては物語の舞台が瀬戸内の島というだけでも、読みたい本でありながら、自分の嗜好である海外ミステリー分野ばかり渉猟しているうちに通り過ぎていました。
 思わぬかたちで、物語はやってきました。本の回し読み仲間から郵送で回ってきました。(私だけ離れているので最後に郵送で回ってきます) 
ぁぁ、やっぱり…
勝手に信じていることがあります。読みたい本はいつか手元に巡りくる、と。

 自分の人生を生きる ということは誰にとっても難しい。優しい人ほど 自分の周りを気遣うことを優先してしまうから。
 周囲もそれを美徳としてことさらあげつらう。無責任に良い話として 或いは 牽制するように。人間の狡さをラッピングして飾ることで、自分の身を守る。
 そういうことは、ずっとあったことです。けれども、SNSという発明品によって 振幅はより激しく破壊的に 人生を襲い始めました。そういうなかで私達は生きていることを 突きつけられます。
 
 どれほど、世界がグローバルになろうと、その土地に縛られて生きることの辛辣さは、島を舞台にしたことで、より鮮明に描かれます。
 瀬戸内の島は美しい。今のようなインバウンド全盛よりずっと前に 橋も無い頃、今治尾道間のフェリーに乗っていた時にフランスからの旅行者が 「なぜ此処は知らされていないの。まるでエーゲ海のよう。それ以上よ。」と言う言葉は強く印象に残っています。
 けれども、此処は この作品に描かれるように、交通事情以上の距離がある。この説明し難い閉塞感と距離感を描いてくれたことを やっと分かってもらえたと思う自分がいます。
 瀬戸内の島という設定ですが、今は山に暮らす自分の事のようでもあります。言ってみれば、四国も島 日本も島国だと思いました。
 橋はできました。夢のようでありました。多くの利点 経済 交通 。それでも、遠い何かを描いてくれた、と思っています。
 故郷でなくとも、最期に帰りたい場所 そう描かれていることは 作品の主題ではないけれど、嬉しく思いました。
 話を戻します。自分の人生を生きるためには、選択的に何かを捨てること。勇気を出して という下りがあります。
 私は自分の子育てに何ひとつ自信がもてないけれど、とりあえず 遠くへ手放したことは、間違いではなかったのかも知れないと 思わせてくました。気持ちを揺さぶられ 滂沱の涙を絞られる物語でした。
 
 写真は しまなみ海道 物語に登場する橋 
 この橋を渡る
【短歌】
‘’木綿のハンカチーフ‘’ 口ずさむ吾 老いたるが
         橋をわたりぬ 物語追い
 


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