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サイバーパンクとスチームパンクのどちらが良いか迷っています。という後輩に向けて渡した言霊のバトン


# 大きな夢は小さな声から

ゲーム制作を志す後輩たちの中で、「個人開発のゲームで世界観の設定に迷っている」という声があった。3Dデザイナー出身の彼はサイバーパンクとスチームパンクどちらも魅力的なのだと心情を語ってくれ、どんな雰囲気が好きかのイメージも用意してくれた。

個人開発で作ってるゲームの時代と世界観の設定を考えてるのですが、 スチームパンクとサイバーパンク どっちにしようか一生迷ってて…… こんな感じで建築例を作ったんですが、やっぱり選びきれなくて。
いっそ合体するとか考えたりもしたんですが、ご意見をお聞かせ願います

サイバーパンクとスチームパンクのイメージボード

それについて一晩中語り聞かせたあと、「これってもう、ひと記事書けちゃうね」となり、本人の了承を得てこちらのnoteに載せることにした。同じような悩みや憧れを持っている人々に届いて、少しでも多くの助けになり魅力的な作品が生まれてくれれば嬉しい。

以下、一部表現を控えたほぼ生の文面でお送りします。

# 命題に対する私の回答

まず結論から述べると、世界観を1つに統一しようとするのを諦めて「国」単位で分けるのがいいね。

🗺️ まず、世界はひとつかバラバラか

世界観を1つにすることでドラクエのようなデザインの統一感は生まれるけども、それは逆に言えば「誰かが天下統一を果たしている、文明の画一化が行われている」というディストピア的な発想とも捉えられる。
俺はドラクエ的な世界観が好きなので「人間の世界」「魔物の世界」といった世界観の図り方を取るが、それは同時に「人間同士の争いは起こっていない」「魔物は種族間を越えて一致団結している」という平和で歪な世界観だ。
俺の作るシナリオではいつも、姿形が違う生き物が「紅組/白組」に分かれて歌合戦するような平和な戦争を描く。それはわかってていつも組む。答えはおとぎ話だから。世界観では悩ませず、物語を通して考えさせたいのが俺。

それでは、逆に「人間同士で争いが行われる」とするとどうなるか? ドラクエ的な世界観は一気に崩壊して、近代FFっぽくなる。
文明の進んだ支配国家=帝国と、物資も十分に確保できない反乱組織の街、人里離れたところにある魔法使いの集落、それぞれで政治をやって時には国家間戦争や外交、同盟や談合にまで発展する。
デザイン側の統一感は図れなくなるし、やることも増えるが、多様な文明が違う思惑でせめぎ合っているリアル感を楽しむ作品には仕上がる。誰かが考えた答えを見たいのがデザイナー。

背中合わせの世界

💻 サイバーパンクとスチームパンクの違い

悩みどころとなっている「違い」については、究極的に言えば視聴者の期待(それぞれに何があってほしいか?)のみが異なる。
制作側としては視聴者に媚びるなんて嫌になる話であるが、料理で言えば「韓国料理なら唐辛子バッシバシに利いててほしい」とかそんな話であって、そりゃ地盤の硬い文化に沿うなら当然だなってこと。
韓国料理で和風だしやオリーブオイルを使ったら大いに賛否を有むし、味が馴染まない。

サイバーパンクは「文明が進みすぎて停滞、荒廃したドロドロの社会性」が期待されている。
スチームパンクは「文明が進んできてこれから革新や冒険が始まりそうな将来性」が期待されている。
この2つは、似ているようで求められるものが真反対なのだ。
片方は東京を舞台にした企業間または社内の熾烈な抗争を楽しむヒューマンドラマで、片方は地方の町工場で生まれた製品が苦難を乗り越えて世界に羽ばたくサクセスストーリーがイメージされる。

その2つをどっちも描きたい!という場合、「別々の国の出来事」として描くのがとてもわかりやすくて、体験がヘビーになる事態(主人公が1人で世界をすべて背負っちゃう)も避けられる。
そこで提案できるのが、サイバーパンクを陰、スチームパンクを陽として対比した描き方をするシナリオだね。後述します。

⚙️ サイバーパンクとスチームパンクの共通点

似たようで違う2つのジャンルにとっての共通点としては、「未来を感じさせる未知なる技術」が挙げられる。
もともとは1980〜90年代に広がった、「こんな未来があったらいいな」のドラえもん的な空想の産物で、実際にはありもしない技術やトンデモなSFがいっぱい生まれたが、それが「ロマンがある、ケレン味がある」として評価され今にいたる。
その「ロマンとケレン味」は主にロボットアニメで重視され、アーマードコアなどに繋がって多くの男の子たちを熱狂させておるわけであるが、そのルーツは歌舞伎にあるらしい。
「カブキ者」という言葉はケレン味があって小粋なヤツ(ワイルドでロックでアウトローだねぇ)という意味合いで使われてきたそうだ。
つまり、社会の摂理から逸脱しているというカッコ良さが、ロマンやケレン味としてスチームパンクやサイバーパンクに反映されているわけだ。この要素を使わない手はない。

これらの世界観を採用する場合、誰もが技術や機械という姿で表現される『魔法』を使って、社会から逸脱したアウトロー、俗世に囚われない異邦人として主人公になる権利を得る。だからそのへんの素朴な少年がヒーローになれるのだ。
「未来を感じさせる未知なる技術に基づいて、全ての人間にチャンスがあり、全ての人間に危険性がある」これをうまく描くことでサイバーパンクとスチームパンクは1本の線で繋げられる。

君という存在は希望の光か、それとも災厄の種か

📖 具体的にどのようなシナリオが描けるか

世界観を1つに決める場合は、「その社会の中でのし上がる」または「地の底に叩き落とされた絶望から脱出する」というストーリーにならざるを得ない。成功体験を得られなければエンタメ的な充実感はなく、成功とは何かを考えたとき、「彼女にフラれたら成功」とか「上司に叩きのめされて追いやられたら成功」とかは普通ないから。

サイバーパンクで統一する場合、そこは文明がすでに成熟した大都市またはその郊外であることが期待されるので、誰かが作ったノウハウや機械を利用して賢く立ち回る機転が主人公の武器になる。
モンスター相手ならバイオハザード的な楽しみになるし、人間相手ならダンガンロンパ的になるかもしれない。どこに何人敵がいるかはわからず「敵は一体誰か?」というサスペンス性が大きくフォーカスされる。

スチームパンクで統一する場合、主人公が持つ技術または機械が「誰も見たことのない魔法」であることが期待されるので、新たな能力や魔法を編み出し発明していく突破力や未来への期待が主人公の武器になる。
モンスターは自身の成果を見せつける練習台になり、人間相手でも負けを認めたならば倒す必要はない。実力が結果に伴っていればよく、「誰、または何が一番優れているか?」という競技性が大きくフォーカスされる。

ストーリーをあまり重視しないゲームでは、サスペンスが描きにくいためサイバーパンクとして認知されることが少なく、結果的にスチームパンクが採用されることは多い。(動くものは見ただけで満足感がある。そして動かないミステリーには魅力がある)

サイバーパンクとスチームパンクを両立する場合、前述したように「国」として描くととてもスッキリする。
決して相容れない2つの国家の間でせめぎ合うスチームパンクの主人公とサイバーパンクの闇落ちライバル、希望を持ってサイバーパンクの大都会に移り住んだ田舎者が最新機器を取り巻く社会に揉まれて苦悩するサスペンスドラマ、逆にサイバーパンクの技術や機械をスチームパンクの国に持ち込んで人々を救う異世界チートものの展開を踏襲したり、別国に技術を売り渡したことで新兵器が開発され故郷が焼き払われる悲劇…なんてのもシナリオとしては描けるね。

文化が違うことによる摩擦を描けば描くほど、「別々に存在していいんだな」ってのが腑に落ちると思うよ。

文化の違いは、人の思惑の違い

🌐 「電脳空間」ってどうなんですかの是非

サイバーパンクでありがちな「電脳空間」が絡み始めるとまたこれ別の世界観が交わってきてややこしくなる。インターネット上に別の国=第三勢力が作れるから。
さらに言えば、スチームパンクでサスペンスドラマを描こうとすると、どうしてもやれることに限界が出てきて名探偵ホームズ感が出てしまい壁にぶつかりやすい。
だから電脳空間や電子機器を絡めたサスペンスドラマが意外性があって楽しいわけだね。(他人のPCは得体のしれないブラックボックス、古代から続くアカシックレコード、ミステリアスなモノリスだからね)

電脳空間を採用する場合は、「サイバーパンクが入口になっている異世界」つまり『魔界』について描写しなくてはいけなくなるね。

電脳空間はテクノな魔法の世界

# あとがき

世界観を定めることはその後の制作の道しるべとなってくれる。だが、同時にそれは自分の考えに制約を設けることにもなる。
例えば、石器時代をモチーフにしたRPGを作ろうと考えたとき、そこに人間性やミステリー、サスペンス、心霊ホラーの類を盛り込むのは想像を絶する難しさだろう。仮に表現しきったとして、それを同じ洞察力や知識レベルで楽しんでくれるプレイヤーは極端に限られるはずだ。

しかし、自分が表現したいと思うことを諦めるのもまた、愚策だ。石器時代に銃社会とコンピュータのミステリーを持ってきて果たして作品が成立するのだろうかと、悩んだ末にどちらかを諦めるようなことは、今後のアミューズメント事業を担うクリエイター達においては非常にもったいない決断だ。

「誰かが見たものでなければ受け入れられない」「誰も見たことがないものでなければ受け入れられない」そんな呪いを断ち切って、「僕が見たかったもの」を作り出せるか。そしてそれを人に見せられるか。そこがクリエイターとしての勝負どころとなる。

キミのイメージが力になる
君の言葉が世界になる
信じるだけでいい

相談してくれた彼も、自分の信条か、他人の欲望か、どちらに寄って生きるのが良いのかと苦悩している。それはSNS時代を生きる現代人にとって、「明日を生きられないかもしれない」という死活問題に繋がる恐怖だ。

だが、そんな彼を含む多くのクリエイターに向けて、私は必ずこの言葉を贈ることにしている。

いい。全部やれ。

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