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毒まみれの家庭3 〜兄弟姉妹〜

※父→母→兄弟姉妹の順に読むことを推奨します。なお、念のため家族構成は兄弟姉妹という言葉でぼかします(相応しい概念を表す言葉があればいいのですが)。構成の当て推量などはどこにも書かないでくださると助かります

このシリーズでは家族がどんな人間であったかとどんなことをされたかを綴っていきます。なお1つの記事で家族全て書こうとしたら異常に長くなったため、家族ごとに記事を分割しました。

・兄弟姉妹「お前ばっかり両親に甘やかされて気に入らない」

物心つく前から私は歳の離れた上の兄弟姉妹たちに苛められていた。
何せ自分のアルバムの一番最初のページに載っているのは、赤ちゃんの自分の上に兄弟姉妹の1人が跨がって乗っている写真だ。
(止めない親も親だ……)

子供の頃は兄弟姉妹に常にサンドバッグにされる理由がわからなかった。だが大人になった今は背景や当時の心理が理解できる。

前述の父親の引っ越しにより生活環境が大きく変わったこと、長男信仰の差別により兄弟姉妹の仲が悪くなったこと、田舎のコミュニティであぶれて虐められたりした時期があったこと、就職や進学がうまくいかなかったこと。

置かれた環境が悪く家庭外でも四面楚歌で常に頭をフル回転させてうまく立ち回らなければいけない立場であったせいか、私は早熟だった。
大人の言うことやタブーをきちんと理解し、ルールを守り、学力的な成長も早かった。そのせいか子供の頃は兄弟姉妹の中では私が一番優秀で真面目だったため、比較されて私が褒められることも気に食わなかったのだろう。

いつも仲間外れにされ、殴られたり蹴られたり時には踏みつけられたりの肉体的な暴力は当たり前。

口の悪い兄弟姉妹からは常に「バカ・アホ・死ね」などの単純な罵倒から「そんなことも出来ないお前はクズだ、だからダメな人間なんだ」などの人格否定の嫌味や皮肉まで、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられていた。

何もしてない時や別の家族同士の会話でも無理やり入ってきて上記のような言葉をぶつけてくる典型的なパワハラクソ上司のようなやつであったが、よくもまあ罵りのレパートリーが尽きなかったものだ。

上記の兄弟姉妹からは、暗いところに閉じ込められたり事あるごとに必殺技をかけられたり、トレーニングに無理矢理付き合わされ文句を言うと問答無用で殴られたり罵られたりもした。

この世で生まれて初めて殺意を抱くほど憎かった。殺してやろうと家にあるダンベルを何度握り締めたことか。当時小学生の私が刑務所を知っていて、少年法を知らなかったことは幸いだった。
知っていたら迷いなく振り下ろしていたかもしれない。我ながら恐ろしいが、当時の私はそれぐらい追い詰められていた。

・成人してから

とある兄弟姉妹の連絡先だけは持っていたが、ある時喧嘩を売られたので着信拒否して連絡先も消した。その後は番号やメルアドも変えて連絡していないので音信不通である。

それというのも、ある日夜遅くマンションに帰宅し、仕事着のまま寝転び明日も仕事か憂鬱だなどと思っていたら、深夜にも関わらず電話がかかってきた。その頃多少は連絡を取っていたので、何気なく電話に出た。

確か後輩の就業態度が気に食わない、始業30分前に来て掃除するべきだ、とかなんとかくだらないことを言っていたので、今時どこのパワハラ上司だと返したような。
そうしたら何故か私への説教が始まり、社会人としてのあるべき姿勢とかなんとか、お前に言われる筋合いはないと思うようなことをガーガー言われたので電話を切って着信拒否したという流れだった気がする。

その頃その兄弟姉妹は、昔は業界でも名を馳せていたが天狗になったせいで経営が傾いた潰れかけの会社に勤めており、しばらく前からボーナスも無く給料も一部未払いになっていて人もどんどん逃げ出すようなろくでもない会社にしがみついていた。

おまけに仕事が忙しいからと暴飲暴食をし摂生もせず肥えまくった挙句100kg超えの超巨体になり、ろくに貯金もせず浪費して遊んでばかりの人間としてもろくでもないやつなので、何を偉そうに言っても説得力がない。

私はその頃きちんとした会社に勤めて自分の給料で生活をし、ちゃんと自炊して貯金もしていたので、堕落しきった兄弟姉妹の説教など聞く価値もなかった。

正直のたれ死んでても全然構わないし心底どうでもいいので、その後は連絡を取っていない。

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