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短編小説 『ジョアン・ミロ「絵画」』

ジョアンミロ

国立西洋美術館で常設展示されている、ジョアン・ミロ(Joan Miro 1893-1983)の作品『絵画』をテーマにしたショートショート小説です。


 宇宙の中心で赤々と輝く球体、太陽。

 その類稀な存在を、イモラに生きる生命《イデア》たちは、静かにじっと見上げていた。

 太陽。それは、全てを生み出した大いなるイデアの源。太陽。それは、燃ゆる命。遠い遠い遠い昔、私たちは太陽からやってきたのだと、誰に教えられたわけでもない、そんな意識をイデアたちは共有していた。どんなものよりも赤く巨大な、この神なる太陽のその下で。

 たゆんたゆん、とそのとき、一つのイデアが採光器官を揺らした。ここでは便宜上、一つ、と書いたが、イデアはそもそもが一つ二つと数えられるものではないようだった。角の取れた透明な四角形がざっくばらんに重なり合ったようなイデアたちには、その個々の意識はあったけれども、個々の肉体に境目はなく、彼らはひっつきあい、傍目にはそれが一つの塊のようであったからだ。けれど、その一つの塊に見えるものには、数千数億というイデアたちがひしめいている姿であって、そこには数千数億という意識が存在している。ここで言うのは、その一つの意識が、たゆんたゆんと採光器官を揺らすという選択をしたがために、その角の取れた透明な四角形の一つが──またそう記したようにイデアはそもそも透明なのだから、そこに彼らが生きていることは視認できず、そもそも彼らを視認できるような生命はイモラに存在しなかった──これも透明な採光器官が揺らしたという事実であった。

 ともあれ、その一つが器官を揺らしたことに、他のイデアたちは驚いた。無論、彼らに驚いたという「感情」があるのかどうかはわからないが、そのたゆんたゆんは重なり合った隣のイデアに伝播し、それはそのまた隣のイデアに、そしてそのまた隣の隣のイデアにといったように伝わった。それを「驚き」と表すは、その採光器官というものが彼らにとって一番重要な器官──人間でいう、心臓と肺と胃袋を一緒くたにしたようなものであったからだった。もっとも、それは不思議なことではないだろう。彼らは太陽にて生まれ、太陽によって生かされているのだから、太陽の赤を存分に吸い込み、糧とするための採光器官は、それなしにはイデアが存在できないと言う意味において、最重要器官であると言っていいはずだ。

 イデアたちは揺れた。一つきりだった揺れはすぐに全体のものとなり、それは初め、たゆんたゆんとリズムを保って揺れるものと、たがゆんたがゆんとばかりに多少のひずみを引き受けるものとがいたのだが、それもしばらくすると全体が心地よくたゆんたゆんと、それこそ一つの塊として揺れるようになった。その揺れを、楽しいなあ、気持ちがいいなあと、イデアたちがそう思ったかは定かではない。何度も言うか、イデアが感情を持った生命なのかということはわからないし、知る術もないのだ。けれど、そんなような快楽が頂点に達したとき、彼らの塊はふゆゆんと空《くう》へ飛び上がった。それはある地点まで飛び上がると、イモラの表面まで落ちていき、すると今度はさらなる弾みをつけてゆゆゆゆんとばかりに飛び上がった。再び落ち、ゆゆゆん、落ちてから、ゆゆゆゆゆん。それが、ゆゆゆゆゆゆゆとまさに太陽まで飛び上がったとき、ぱあん、塊だったイデアたちは爆発して飛び散った。恐らく、彼らは太陽の赤に近づきすぎ、採光器官がその限度を超えて赤を吸収したために破裂してしまったのだろう。

 あとほんの僅か、太陽に届く手前でばらばらになってしまったイデアたちは、次々にイモラの表面へと落ちていって、ぺたん、そのままそこへ張りついた。その無残にも破裂した採光器官に、ぺしゃんこになってしまった角の取れた透明な四角形。イモラの上で動かなくなってしまった、数千数億のイデアたち。彼らが最期、何を思ったのか──太陽へたどり着けなかったことを悲しんでいるのか、それとも限界までその近くへ行けたことに喜びを感じているのか、それともやはり彼らに感情なんてものはなく、何を感じることもなかったのか──それはどうにもわからない。けれど、太陽から生まれた彼らは、その太陽によって一生を終えた、それは一つ確かなことだろう。

 加えて、確かなことはもう一つある。それは、いま、イモラに張りついたイデアの一つ、その破裂した採光器官から、新たなイデアがもこもこと湧き出したということだ。その新しく生まれたイデアは、まるでそこにあることを知っていたかのように、巨大に輝く太陽を見上げ、その赤を採光器官で吸収し始めた。同じように、落ちた他のイデアたちからも新しいイデアが湧き出しており、それらはみるみるざっくばらんに重なり合って、太陽の赤を吸い始めた。その一つ一つが意識を持ち、私たちはあの赤く大きな太陽で生まれたのだと、誰に教えられたわけでもない思いを共有しながら。いつか、そのどれか一つが、たゆんたゆんと揺れるだろう。その揺れは彼らを再びゆゆゆゆゆんと飛び上がらせるだろう。そうしてイモラに張りついたイデアから、また新しいイデアが先を争うように湧き出でるだろう。

 こうして生命は循環する。イデアはただ、その繰り返しの一つである。けれど、その一つを目の当たりにした幸運に、あなたは気づくべきだろう。大いなる真理はいつもそこに、素晴らしい赤色をして輝き続けているのだから。

読んでいただき、ありがとうございました🙏
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