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短編小説 『怠惰なりんご』

 あら、それはごめんなさい。でも、わたくし、りんごはとても嫌いなの。いいえ、味の好き嫌いじゃないわ。そうじゃなくて何て言ったらいいのかしら……そう、その存在がね、わたくしと相容れないのよ。あなたも褒めてくださったでしょう、年老いても衰えないわたくしのこの容姿。ええ、このスタイルを維持するために、どれほどの努力が必要か、あなたにも分かり初めて来た頃かしら? 何もせずとも、つやつやと張りがあった時期を過ぎて、些細な不摂生がすぐに肌に出る年頃。そうなって初めて、皆、わたくしに気づくのよ。並々ならぬ努力で、この容姿をキープしているわたくしにね。

 りんごは、そんなわたくしと正反対の存在なのよ。りんごの形は怠惰の形。りんごは努力を怠った結果、あんな醜い形に実るのだから。……どういう意味か分からない? あのね、あなた、見た目だけじゃなく、知性も磨く努力をしなくちゃだめよ。わたくしのようになりたいのなら、ね。いつまでも努力し続けなきゃいけないの。

 いい? りんごだって、なりたての頃はきゅっと上を向いているのよ。がくを空に凜と向けてね、堂々と若さを楽しんでいるの。青く固く、それでいてほんのり赤く色っぽく、見る人を誘ってる——かつて、わたくしたちが自然とそうだったようにね。振り返る人を見ないふりで楽しんで、年上の女を小馬鹿にして。だって、あの頃のわたくしたちには無駄な肉がついていなかったし、肌には染み一つなかったし、だからわざわざ人目を引くような格好をする必要もなかったのよね。

 でも、時は過ぎるのよ。りんごには無駄な肉がつき、重くなり、とうとう自分の重みにさえ耐えきれなくなって、みっともなく枝にぶら下がる。それでもぶくぶく丸くなって、そうして垂れ下がっていく。人間の骨であるところの中心をそのままに、ね。だから、りんごの上下はへこんでいるのよ。骨の周りの贅肉だけが育ちすぎて、醜く膨らんでいるってわけ。

 ましてや、あの赤い色。人の目を引こうと、あんなにわざとらしく色づくなんておぞましい。ねえ、そういうふうにはなりたくないわね。自らの怠惰を晒してなお、欲望だけは持ち続けているなんて、それこそ生きる恥ってものよ。

 だから、わたくしはりんごが嫌いなの。努力もせず、自然のままに熟していくことを良しとする人間にも怖気が立つの。いいえ、りんごが美容にいいだとか、この際、そんなことは関係ないわ。食べるだけで痩せるだの、美しくなるだの、そんな話は努力が出来ない人間の戯言よ。そんな魔法みたいな話、あるわけないわ。ええ、美魔女だの、魔女だの、人がわたくしをそう呼んでいるのは知ってるわ。わたくしのしている努力が、誰にでも出来るものじゃないから、そう呼ばれてしまうんでしょうね。魔法、魔術、それを使う魔性の存在——。

 あら、どうしたの、そんな目をして。あなたもわたくしを魔女だと、そう思うのかしら? それなら、あなたもわたくしのような努力ができない側の人なのかしら? いいえ、本当にこれは魔法じゃないのよ。魔法のように思えるだけ。大抵の物事がそうなのよ。そういう意味で、努力は魔法と言ってもいいわ。

 でも——そうね。もし、わたくしが本当の魔女だとしたら。本物の魔法が使えるとしたら。そうしたら、わたくしはあの世界一美しくありたかったお妃様のように、「白雪姫」の継母のように、魔法で毒のりんごを作りましょうね。そうして日々の努力を忘れ、りんごに頼るあなたに——りんごを食べればどうにかなると思っているあなたがたに、その毒のりんごを渡すでしょうね。熟し、腐り落ちていく怠惰なりんごのように、努力を怠るあなたの時間を、わたくしが止めて差し上げるために。いま以上に醜く生きるその姿を、わたくしの前から消し去るために。

 ほら、わたくしが魔女じゃなくてよかったでしょう? そうよ、魔女はいないのよ。この世に魔法なんてものはないのよ。あるのはあなたの努力だけで、変えられるのは他人ではなく自分だけ。

 さあ、分かったらお行きなさい。次は、きっとりんごの「り」の字も口にせず、わたくしの前に現れてね。何年後だって、何十年後だって、大丈夫。

 なぜ、って? あなた、可笑しなことを聞くのね。言ったでしょう、わたくしは努力ができるのよ。人が魔法と呼ぶほどの努力を。その努力をもってすれば、わたくしが腐り落ちることなどないわ。いくら時間が過ぎ去っても、わたくしは美しいまま、ほかの怠惰なりんごのように、地に還ることなど決してない。肥り、熟さないのだから当然よ。そう、私はそうして時間に逆らい、永遠になる。ああ、努力が叶えてくれる未来は、なんて素敵なんでしょう。

 ねえ、あなたもそう思わない?

『怠惰なりんご 完』


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