【エッセイ】 海の魚は、水族館より面白い
シュノーケリングなるものをして、海の中の魚を覗く。
これがことのほか面白く、体力が続く限りは、延々と魚を見つめている。
無論、青や黄色と、綺麗な魚もいるのだが、地味なものも面白く、ただ海底の砂を吸い、出し、吸い、出し、あるいはボラのような群れが、ただじっと波の流れに身を任せているだけ、聞いただけではつまらなそうな光景でも、まるで飽きずに見られるものだ。
これがなぜかといえば、恐らくは、何事も自然の姿が一番であるからだろう。
翻って、いままでの経験、水族館など行ってみれば、これが行く前というのが一番楽しく、行って水槽を前にすれば、なぜかあまり楽しくもなく、ゆえに見ることもなく、順路に沿っての散歩ということになってしまう。もっと面白いはずなのに、楽しめるはずなのにと、奇妙な落胆を覚えて帰る。
多くの種類、珍しいもの、珍しい色、深海のもの、それほど取り揃えられた水槽は、この両の目で見る地味な一種、それを超えられはしないのだ。
そうして思いを馳せてみると、動物園も同じこと、ゾウを見たからなんだというのだ、ライオンがいるからなんだというのだ、そんなものより山道の、シカがこちらを見るときの、あの美しさに緊張感、こちらを捉える濡れた瞳、それくらいのものにも及ばない。
自然の中で生きるもの、生き物がその生き物のやり方で、あるがままに存在すること、それが他者の目からも美しい、生きるということだとするのなら、人の姿がつまらないのも、理に叶ったことである。
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