短編小説 『りんご酒』

 その日も、私はガラス瓶に満ちた琥珀色をシンクの排水口へと流し捨てた。

 とろとろと、音も立てずに流れていく液体は酒だ。梅や杏、レモンなどの果実と氷砂糖をホワイトリカーに漬け込んだ、お手製の果実酒。

 いま流れていくのは、去年の秋に初めて漬けた、りんごの果実酒だった。漬けた果実はすでに取り除いてしまってもうないが、真っ赤なりんごが丸のまま瓶の中に浮かんでいる様子はSNSで好評で、味を占めた私は他のりんごでもりんご酒を漬けた。青リンゴや黄色いりんご、それに姫りんご。

 そのたくさんの瓶が、キッチンにはずらりと並び、捨てられる順番待ちをしていた。そう、私は果実酒を漬け、そして捨ててしまう。毎年毎年、りんご酒だけでなく、梅酒も、杏酒も、レモン酒も——。

 味を出すため、普通は四つ割りにしてから漬けるりんごを、私が丸のまま漬けた理由はそこにあった。どうせ捨ててしまうものを、わざわざ四つ割りにして、写りを悪くするなんて考えられない。せめて美しく、目で喜べるものでなければ、私の果実酒の価値はない。

 とはいっても、もったいないという気持ちがないわけじゃなかった。SNS映えのために、例えば流行のアイスクリームの写真を撮り、そのまま平気でごみ箱に捨てる、私はそんな人間じゃない。そもそも、私は誰かの作ったものじゃなく、自分が作ったものを捨てているのだ。そこの違いはあるのだし、そういうことで言えば、私のほうが辛いのだ。果実を選び、洗い、拭き、瓶を消毒し、さまざまな手間をかけて作ったものを、自らの手で捨てなければならないのだから。

 とくとくとく、音を立て、青りんごのラベルのついた瓶が空になっていく。甘ったるい匂い。とろみのある黄金色。赤いりんごと青いりんごでは、味に違いはあっただろうか。香りに変化はあっただろうか。それを確かめてみたくても、私は酒が一切飲めない。アレルギーではないにしろ、少し舐めるだけでたちまち具合が悪くなる。それなのにどうして果実酒など作るのか。それは身も蓋もなしに言ってしまえば、ただ作りたいからというだった。

 旬の果物で果実酒を作る。それは私にとって、ある種の夢だった。棚にずらりと並んだ果実酒の瓶。透明な瓶の中で揺れる果物、じわじわと溶けていく氷砂糖、やがて液体は色を濃くし、しなびた果実は取り除かれ、日付と名前を記したラベルだけがそこに残る。「2021年りんご(紅玉)」というように。そして、私は夕食のあとにでもそれを家族に振る舞う。「紅玉は酸味があっていいわね、来年はもう一瓶漬けましょうか」というように。

 しかし、私が毎年のように叶えようとするその夢は完結しない。現実にはそれを飲んでくれる家族がいないからだ。いや、いないわけじゃない。遅い結婚だったが、私には夫がいる。そして、夫は酒を飲む。会社の飲み会で、接待で、大学のときの友人と、後輩たちと——けれど、私の果実酒は飲まない。甘い酒は飲まないと譲らない。一口でも、と勧めると、そんなに飲んで欲しかったなら、結婚相談所の項目にそう書けばよかっただろうと言う。

 それはその通りかもしれない。身長に体重、年齢に血液型、病歴、学歴、趣味、家族構成、行ったことのある場所、行ったことがないけれど行きたい場所、行きたくない場所——それはもう星の数ほどのアンケート結果から互いを選んだのだ。けれど、その中に「私の作った果実酒を飲んでくれるか」という項目は確かになかった。いや、もしあったとしても、私はその要素を重要視したとは思えない。大体、独身のときは果実酒を作ろうなんて思ったこともなかったのだ。私は酒が飲めないから。作る相手がいなかったから。

 もちろん、夫は飲まないというのだから、いまも相手がいないことには変わりがない。だから、私は誰も飲まない果実酒など作るべきではないのだ——私もそんなことは分かっている。けれど、なぜかやめることができない。それどころか夫なのだから、家族なのだから、酒が飲めるのだから、夫は私の果実酒を飲むべきだという思いが頭から離れない。私が作りたいものを作ったとしても、夫は黙って口にするべきだ。たった一口でも構わない。それ以上は求めないというのに——。

 軽々しい電子音で、時計が夜の10時を知らせた。今日も夫は遅くなり、冷蔵庫の夕食は温められることもなく、ごみ箱に捨てられるという合図だ。

 僕を支えて欲しい——プロポーズのとき夫はそう言い、私はろくに考えもせずに頷いた。夫の職場は残業が多く、休日出勤も当たり前で、家事もままならない生活なのだと聞いていた。実際、その頃の夫の部屋はひどい有様で、食事も外食ばかりだった。だから私は結婚後、清潔な部屋と手作りの食事で夫を支えようとした。毎日、弁当も作り、できることは何でもしようとした。けれど、好き嫌いの多い夫は弁当を受け付けず、昼食は外食になり、そうなるといらなくなった弁当箱がごみ箱に捨てられ、次に夕食が捨てられ、私の用意したものは悉く捨てられることになった。残ったのは掃除くらいだが、夫もほとんどいない部屋がそう汚れるはずもなく、私は虚ろな時間を持て余した。年齢のせいか子供はできず、何のために結婚したのかという気持ちばかりが膨れ上がった。

 私は一度、果実酒の瓶を置くと、冷蔵庫の夕食を捨てた。家にいるのを辞めて、もう一度働こうか——いつものようにそんな考えが頭をよぎったが、これもまたいつものように、元の職場に連絡を取る気力も、新しい仕事を探そうという気持ちも萎んだままだった。私はごみ箱の底の夫の好物をじっと見た。

 私は家族が欲しくて結婚したのだった。お互いに支え合う家族が。夫も初めはそう望んでいたはずだ。けれど、私にはもう分からなかった。私は夫を支えているのか、そして私は夫に支えられているのか。支えるということが、お互いにできているのか——。

 そのときだった。ガチャリ、唐突に玄関から音が聞こえ、リビングへ入ってきた夫の視線がキッチンの私を捉えた。私と、私の手の空っぽの皿と、蓋の開いたごみ箱を。そして、そのまま横に流れた視線は、並んだ果実酒の瓶を一瞥した。私は飲めず、夫は飲まない、甘い液体。

 ご飯——と言いかけた私を遮るように、夫は「外で食べてくる」と言い残し、そのまま部屋を出て行った。ガチャリ、玄関の閉まる音。私はしばらくそこに立ち尽くし、しばらくしてから空っぽの皿をシンクで洗い、食器棚へ戻した。それからりんご酒を捨てる作業へ戻った。

 とくとくとく、琥珀色が排水口へ流れる。私が作ったりんご酒。自分勝手な私が、作りたくて作ったりんご酒。

 流行のアイスクリームを撮影し、捨てる。そんな人間ではないと、私は自分で思い込みながら、けれどそんな人間の一人に過ぎなかったのかもしれないと、今この瞬間はそんな思いが胸に湧いた。夫の金で買ったりんごに、ホワイトリカーに氷砂糖。私がそれを捨てることは、自分の金で買ったアイスクリームを捨てるより悪いことなのかもしれない。けれど、それなら夫は——私に夕食を捨てさせる夫はどうなのだろう。夫が稼いだ金で作った夕食は、夫のためならば捨てられてもよいのだろうか。どちらも捨てられるりんご酒と夕食に、どれほどの違いがあるのだろうか。

 夫は結婚を後悔しているかもしれない。見ないふりをしていた気持ちはいつのまにか肥大化し、この静かな空間に満ちていた。そうして気づいてみれば、私の中にも同じくらいの結婚に対する後悔が、いまにも溢れそうに満ちていた。私は私のために果実酒を漬け、夫は夫のために夕食を捨てさせる。ならば、こんな関係に何の意味があるのだろう。己のやりたいことばかりを続ける二人に、共に生活する意味などないのではないか。

 傾けた瓶から、りんご酒が流れ落ちていく。この液体のたった一口、それすらも夫は譲れず、私もまた大瓶一杯に果実酒を漬けることを譲れない。それでも私たちはともに人生を歩んでいると言えるのか。

 流れ出した液体の、その最後の一滴が落ち、瓶がすっかり空になってしまっても、私は瓶を傾けたまま、キッチンに一人立ち続けていた。

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この作品はりんごをテーマにした短編小説集「りんごのある風景」の一編です。他の作品をマガジンにまとめています。


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