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【随筆/まくらのそうし】 舟

 卯の花くたしとなるのだろうか、ほの暗い空から雨の落つ。

 谷の向こうの山は霞み、消えゆき、ここはぽっかりと浮かぶ天の舟、錨もなしにふらふら行けば、雨の終わり、晴れるとき、その身を寄せる港はあるか。

 かつて、この島国には、舟を家とし、海を行く、そんな人々がいたという。

 そもそも昔は水上交通、陸路というのは困難で、危険を伴うものだった。

 だから、木を運ぶにも、食糧、その他を運ぶにも、川や海が最適で、舟は至極身近な存在、そこで暮らしを営む人も、大勢いたというわけだ。

 舟の暮らしは縛られぬ、国というものさえ知らずにおれる、何国人などとは陸の言葉で、水にそんな分け目はない。水に住まう人々の、錨は己のものなのだ。

 それが明治維新の後は、西洋式の国作り、もしも払えるものならば、ネズミにだって税を課す、政府は水に揺蕩う舟を奪い、人を陸へと鎖で縛る。

 そこで水の暮らしは消えた。このあたりで舟を奪われた、人々は日本人となり、あれよあれよといううちに、水にも陸の線が引かれ、どこの国のものと決まる。

 それから百数十年という時が過ぎ、いまでは何処も誰かのもので、それが当たり前だと人が言うなら、霧に浮かんだ舟の行き先は、想像さえも許されぬのだ。

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