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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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2021年4月の記事一覧

ランナーの話:「黒杉さん」後編

「レースの準備は4ヶ月前から始めた方が良いよ。30キロ走を出来れば、レース1ヶ月前までに、3回はやった方が良いよ。」 妹・黒リスにアドバイスをされた黒杉さんは、2014年4月27日(日)開催の第一回東北風土マラソンに向け、人生初のLSDというものにチャレンジをしていた。しかし、レース4ヶ月前というと、真冬の東北の時期。それも、ラン友もいないボッチ練。その上、風景はどこまで行っても変化のない田舎の山、田んぼ、畑。もしくは、復興途上の被災の色濃く残る街。 相当、苦痛だった模様

ランナーの話:「黒杉さん」中編

まず、黒杉さんが、マイペースな走りから、レースやタイムを意識した走りに変わった理由からお話ししましょう。 私、黒リスの影響です。 最初、私がランニングを始めたと聞いた時、黒杉さんは断言しました。 「続かないね。マラソン?絶対、無理ですね。」と。 ご存知の通り、黒杉さんの予想は外れます。それどころか、2009年、初マラソンでサブフォー、ボストンマラソン資格まで取った黒リスには、軽く衝撃を受けたのかもしれません。しかし、その衝撃は、”黒リスさんを過小評価していたかもしれな

ランナーの話:「黒杉さん」前編

黒杉さんは、東北の宮城県石巻市に住むランナーだ。 この地名を聞いて、ピンと来た人もいるだろう。あ、ここは2011年、東北大震災の被災地だ、とか、もしくは、 あ、もしや、この人、黒リスの兄じゃない?と。 そうです、黒杉さんは、黒リスの兄。黒を強調するだけあって、色白の多い東北人の中ではブラックシープ的存在です。 本当は地黒ですが、ランニングで日焼けしているんだな、と最近は思われているかもしれません。つまり、結構、走っているわけです。 黒杉さんのランニング歴は、めちゃく

ランナーの話:「富士子さん」後編

運も実力のうちって言うけど、これはやっぱりおかしい。納得がいかない。 だって、シングルトラックで1時間以上も渋滞で一歩も進めず、1つ目、2つ目のエイドの関門は1時間延長されたのに、次のエイドが本来の時間の関門のままっておかしいでしょう?そこで800人のランナー達がアウトですよ。 2015年のUTMF100マイルレース後、富士子さんの中で、UTMFという大会への不信感が少し芽生えたようだ。 それと同時に、自分の実力を試したい。早く、ウルトラトレイル100マイルを走れる実力

ランナーの話:「富士子さん」中編

富士子さんのトレイル挑戦は、最初から順調だったわけではない。 黒リスも今なら分かるが、ある程度の年齢になると、トレイルはキツい。なぜなら、目がお年を取り、足元が見え難くなり、段差が分かりづらくなり、感覚神経から運動神経への伝達が鈍く、転びやすくなる。反射神経が鈍くなるのだ。ゆっくりトレッキングなら問題ないが、トレイルレースとなると、ある程度のスピードで進まないと関門に引っかかって、そこでアウト(棄権)である。 だが、富士子さんはボストンマラソン出場資格を持つレベルのランナ

ランナーの話:「富士子さん」前編

「黒リスさんのバージルクレスト50マイルの話を聞いたのが、きっかけですよ。」 NYのラン友の富士子さんは、ウルトラトレイルランナーだ。もう、何本も過酷な100マイルレースにチャレンジし、完走している。あの有名なウエスタンステイツ100マイルもその一つ。 だけど、2011年当時は、まだ、普通にロードを走るのが大好きな、アメリカ人の旦那様と10代前半の息子さんを育てる専業主婦の女性だった。 それが、ひょんなきっかけで、ウルトラトレイルレースと言う、山や森林など、大自然の中を

ランナーの話:「OKちゃん」中編

変わった理由は簡単だ。膝を故障したのだ。 もちろん、ランナーに故障はつきものと言えばそうだけど、その度合いにもよる。上手に付き合いながら、走り続けられるケースもあれば、もしかしたら、一生走ることが無理になるケースもある。頭の良いOKちゃんだから、当然、自分が今、どんな状態なのか、客観視できていただろう。だから、少しの間、いつものルーティーンから外れることにしたようだ。 走ることに依存しているランナー程、故障時はストレスが溜まる。 自分が休んでいる間、どんどん体力、走力が

ランナーの話:「OKちゃん」後編

ベルリンマラソンは、6大ワールドメジャーマラソンとして有名だ。だが、このベルリンマラソンに、ローラーブレードレース部門があるって、知ってました? もちろん、私、黒リスは知らなかった。 OKちゃんが出るまでは。 そう、OKちゃんは、なんとこのインラインスケート(ローラーブレード)ベルリンマラソンに挑戦することに決め、黙々と練習を重ね、本当にレースに出た。そして、見事、完走した。 実は、OKちゃんがこのレースに出るという話を聞いた時、相方とこっそり、Youtubeで、レー

ランナーの話:「OKちゃん」前編

マラソンは年2回、ボストンとニューヨークで勝負します。 私がOKちゃんの存在を知った2009年当時、OKちゃんはジョグノートの自分の紹介欄に、こんな感じの言葉を書いていた。 そう、OKちゃんは、私からすると、正統派シリアスランナー。練習も、勝負レースに向けて、理に適ったメニューがあり、それを着実にこなす。何年もニューヨークのレーシングチームに所属し、練習会もサボらず、そして、レースでも、淡々と結果を出す。もちろん、サブスリーランナー。それも走り始めて、最短でサブスリーを取

ランナーの話「疾風女史」後編

それは、2013年のNYCマラソン。疾風女史にとっては、2010年のサブスリーを取って以来のマラソンだったかと思う。 ニューヨークのエリートランナーが集まるランニングチーム所属の彼女は、ローカルエリート枠として、先頭のコラールスタートだ。一方、私は一般枠だが、それでも、結構、先頭のコラールスタートであった。スタート時間は、同じ午前9時40分。ただ、疾風女史は下の橋からスタート、私は上の橋からのスタートで、全く、お互い、出走していることさえ知らなかった。 その頃の私は、マラ

ランナーの話:「疾風女史」中編

「今の自分のベストタイムを出したいんだよね。」 疾風女史と、二人で話す機会があった。疾風女史の娘さんと私の相方が、ブロンクス・バンコートランドパーク開催の5キロクロスカントリーレースに出走し、偶々、私たちは両方応援で来ていたのだ。スタートを見送り、だだっ広い芝生の上、大きな青空の下で、立ち話を始めた。話すことは当たり前の様に、走ることばかり。 私より年齢が上の疾風女史は、走りのレベルは違うにせよ、未来の自分である。ただ、数年前から走り始めた自分は、まだ、タイムが進化中。だ

ランナーの話:「疾風女史」前編

ずっと、自分の周りのランナーの話を書いてみたいと思っていた。 色んな生き方があるように、色んな走り方がある。自分の周りのランナー達から受けた影響、学び、そして、感動。そんな記憶を留めておきたいと思う。第一回目は、「疾風女史」。 🌬疾風女史の存在を知ったのは、私が走り始めて2年ほど経った頃だったと思う。 人生初マラソンで、NYCマラソンを3時間48分24秒で完走し、ボストンクォリファイも取った自分を、先輩ランナー達が大いに褒め称えてくれ、”え、もしかして、私って、結構、

山わんこ、街わんこ、どっちが幸せ?

先日、地元石巻市の幼馴染達とLINEのグループチャットでやり取りをしていて、私のノートを読んだ友達の一人が、写真と共に、こんな書き込みをしてきた。 「黒リスも、ワンコを保護してるんだね。私も、保護犬1匹、捨て犬1匹猫2匹と山の中の一軒家で暮らしています。」 (下記の写真の1匹は娘さんのワンコ) 彼女の名前はシンコ、石巻の小中高と一緒で、お父上が自然の中で育てる方針の保育園を経営していただけあり、シンコも子供の頃から、ワイルドであった。そのシンコは、東北大震災後、石巻から