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1·はじめての出産とはじめての鬱

全く英語が話せない私は、持ち前の明るさだけで、コミニュケーションもほぼ取れない状態で現旦那と付き合う事に。
私の英語は3ヶ月ほどで急成長し、ある程度の日常生活はやり過ごすことができた。

付き合い出してから半年ほどで同棲を始め、その半年後、私の帰国目前で妊娠が発覚した。

私は嬉しかった。彼の事は好きだったし、いずれ結婚もしたいと思ってた。
子供も欲しかった。

でも彼はなんだか浮かない反応だった。
それから、赤ちゃん生もうとも結婚しようとも相手からは言われなかった。

そして私の帰国の日が来た。
不安ばかりで、今離れるのは怖かった。
お腹にいる数週間の赤ちゃんも心配だった。
でもビザが切れたから仕方ない。

とりあえず日本帰って、病院行って、赤ちゃんが元気かどうか確認したい。

そして彼が来るのを待とう…と
辛さを噛み締めながら日本帰国。

産科でエコーをして、赤ちゃんが見えた。
まだ豆粒みたいな点だけだけど、命を感じた。
心臓がキュってなるのがわかった。
絶対に産みたいと思った。
彼にもその事を話すと、彼は、わかった日本行くから待ってて、と…。


結局彼が日本に来たのは私が妊娠7ヶ月くらいの時だった。
もうお腹も少し出ていた。
彼が来てすぐに私たちは籍を入れた。
彼から、プロポーズの言葉はなかった。
これから日本に住むなら籍入れて、在留資格取らないと…という業務的な感じだった。
私はそれほど気にしていなかった。
子供を持つのが楽しみだった。
もちろん不安だったけど、赤ちゃんの顔をみたかった。
自分のお腹の中で時々蹴ったり、しゃっくりしたり、検診の度に成長する姿を見ると可愛くて仕方なかった。


そしてはじめての出産。
旦那は私の希望で付き添った。
5時間のスピード出産。
痛いなんてもんじゃなかった。
今から無痛分娩無理ですかー!って分娩しながら叫んだ。
たぶん、切腹ってこんな感じだったのかなと思った。
切腹は死ねるけど、出産は死ねないのがまた辛い。
痛みが継続、また継続…またまた継続。
やっと産まれたかと思うと
また痛み継続…

その痛みは私の場合、半年続いた。
常にドーナツクッションがないとどこにも座れなかった。
その痛みに耐えながらの授乳、料理、おむつ変え、沐浴、洗濯、掃除に買い物…
いつも倒れるギリギリだった。

旦那が時々、赤ちゃん見ておくから外出してきなよ
って言ってくれるけど、全然そんな気にもならなかった。
とにかく休みたかった。寝たかった。
気付けば友達ともほとんど疎遠になった。
連絡をするのも面倒だった。
髪の毛もボサボサ
ネイルしたのなんていつが最後だろう…

たまに出かけて酔っ払って帰ってくる旦那にイライラした。
赤ちゃんがまだ2ヶ月の頃、旦那が飲みに出かけて朝帰りした。
お酒の匂いプンプンさせながら2ヶ月の赤ちゃんの横で寝ようとするから

赤ちゃんの体に悪い!でてけ!
って旦那を突き飛ばした。

赤ちゃんがびっくりして泣いた。
私も泣いた。
泣いて泣いて止まらなかった。泣きながら授乳して、泣きながらおむつ変えた。
旦那が、自分がやるからとりあえず落ち着つけよ、っていうけど

触るな!って怒鳴った。

そして自己嫌悪でまた泣いた。

それから、旦那にイライラする毎日が続いた。
イライラして旦那に八つ当たりして、自己嫌悪で泣く毎日が続いた。



あれ??
めちゃくちゃ苦しい…
息できないし、動けない…

ある日の朝、そう感じて急いで心療内科の予約を取った。
でも、まさか自分がうつ病だなんて思ってなかった。
'うつ'って言葉が嫌いだった。
それは10代の時、実の姉が重度のうつ病になり自殺未遂を何度もし、耳が痛いほど'うつ'という言葉を聞いた。
得体のしれない魔者、'うつ'が嫌いで怖くて仕方なかった。


心療内科の先生は
あ〜'産後うつ'かなあ〜
と言った。


'うつ'!!??
そんな訳ない、よりによってあの明るい私がうつなんてあり得ない!

私はそう思った。

自分が怖くて恐ろしかった。
私はお姉ちゃんのように自殺未遂してしまうの!?
これからどうなるの?
赤ちゃんは??

パニック状態だった。

旦那には、言えなかった。
言いたくなかった。自分が'うつ'だと知られたくなかった。

誰にも言えなくて、それがまたどんどんストレスになって、そのストレスは月に一度くらいのペースで大爆発するようになった。
その大爆発は毎回とっても危険だった。


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