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罰を与えるとはなにか。

結局のところ、自分がシフトレバーを握っている。そう感じる。
とどのつまり、他者じゃない。私がどうしたいか、どうありたいか、何を望むか。次第なのだと。

子どもが悪さをすると親は子に罰を与える。それは行いを悔い改め同じ間違いを犯さないためだ。
伝えたいことは「あなたのした行動はよくないことでしたよ」と伝えること。
でも私達は子どもからゲームを取り上げ、おやつを制限し、スマホを制限し、泣いて詫びてもうしませんと宣誓させるまで、でゴールとなる。

昨日の息子が兄弟喧嘩の果てに冷蔵庫から出したばかりの乳製品飲料を末っ子めがけてぶん投げた。
外れたものの、押入れに飛び散り惨憺たる修羅場となった。そのとき、怒りより疲労感が勝った。
息子に引き出しや棚を外して掃き清めてほしいと伝え、いかなる理由があろうとも食べ物を投げてはいけない、娘には人をからかって面白がるのはやめることを伝えた。
多分正直言えば一発ぶん殴ってもよかったと思えるくらい腸が煮えくり返っていた。でも、なんだかもう怒りを飛び越して途方もない疲労感がやってきた。

今朝になっても飲み物の匂いは消えない。清掃が足らなかったのは間違いなさそうだ、と重い腰を上げ押入れの戸を引く。そしてひく。
あちこちに飛び散ったままだし、衣装ケースは飲み物で濡れているし、なんなら淵にもまだ飲料がたっぷり雫を垂らしている。
頭を垂れたあと頭上を仰ぎ衣装ケースごと、ぶっ飛ばしてやろうかと思うほどの怒りがこみあげてくる。

が、しかし当人は学校で不在なうえに昨日きつく注意もしなかった。帰ってきてから怒ったとして、なんで今更?となるのは目に見えていた。

なので、私は怒りをそのままに引き出しという引き出しをあけ、濡らしたタオルで拭き清め、アルコールスプレーをして衣装ケースを乾かし、押入れの中も水拭きしドライヤーで乾かし、濡れた衣類を洗い、ケースを拭き清め衣類を入れ直した。
そうして時計を見ると2時間という時が過ぎていた。

朝ご飯をどうしようかと思い悩んでいたはずが気づけば昼を越え、今に至る。

洗濯したものを干そうと洗面所に行くとふと鏡に映った自分の顔がさながら鬼婆のようであった。
怒りが顔のいたるところに染み込んでしまったかのような顔つきだ。怒りは人をここまで変えてしまえるのが面白かった。

私は怒りの中衣装ケースを拭き清めながら、これはなにか罰を与えなくてはならないと想っていた。ゲーム禁止かしばらく飲料購入禁止か、と頭に浮かぶのは何かを禁止したり制限することだった。

どうしてこれが罰となるのかをふと考えた。痛みを与えようと辱めを与えようと何かを制限し禁止してもなんの罰になるのかを考えた。
これが罰になるはずがない、と私は思い至った。

伝えたいことは前述したように「あなたのした行動はよくないことでしたよ」と理解してもらうことだ。

その行動をされて嫌だったし、汚れるし食べ物を投げるのいけないことだし、人に何かを投げつけて解決することもないことなどを私は伝えたい。
次は物を投げたり痛みを与える以外の方法で解決することをやってみてほしいと伝えたいのだ。

だから、息子が帰宅したらそう伝えようと決めたのだ。次同じことが起こるとしたらそのときは疲労感が怒りを越えようとも共に掃除するべきだった。共に片付けながら互いに落ち着くチャンスを見つけてちゃんと話をするべきだった。
次からはそうしよう。

この件から私は自分が何かを選択して行動したとき全責任は自分にあるものだし、人のせいなんかじゃないし、してはいけないと今は思う。

例えば私は相手が尊敬できないと思うとき、心の中でこき下ろすクセがある。
口ばっかりだ、行動力もないのか、人を小馬鹿にしてばっかりで自分の器の小ささに気づいてないじゃないか、など尊敬できない相手には敬意を払えないと思う。

たまたま見つけた相手の弱点や盲点に途端に色味をなくして文句を言うのは私が勝手なのだ。
自分の中の怒りのついでに引き出しからさり気なく覗いていた普段なら気にも留めないようなささいな事柄を引き伸ばして課題解釈をして勝手に失望して勝手に見損なう。

尊敬される行動をしていないから尊敬できない、というのは私の都合だ。人はみな尊敬されるべき行動をし続けなければ存在価値がないとかそういうものではないはずで。

良いところも悪いところもある。
それは「私にだって」あるのだ。
相手の非だけを掬い上げて尊敬できないよ、終わりだよとはやはり勝手な気がする。

相手が尊敬に値する人ではないから尊敬しません、それが今までの私だった。
違うんだろう。尊敬に値する人でなければ、私の思う項目を満たしていなければそうではない、と判別する物差しで人を計ってきたからそういう見方しかしなくなっていた。

この人が大好きだ、そう思えるならそれ以上はなくてもいい。

私はわたしの物差しをへし折って前へ進みたい。

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子どもに教えられたこと

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