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いつか娘を自分の誇りだと言える人間になりたい

こんにちは、クロネコ屋です。
ちと暗い日記なので要注意。

先ほど4時間にわたる母子通園の療育(リハビリのこと)を終えて帰宅しました。

これだけ聞くと「育児がんばってるな」「可愛い娘のためなら仕事を休むのも辛くなかろう」と思うかもしれません。

でも正直に言います。

いま自分の娘を「自分の誇りです」と胸を張って言えますか?と問われたら、私は何も言えないと思う。

なぜなら、私の娘には知的障害+自閉症スペクトラムという障害があるから。

この件のはしりは過去記事に書いてます👇

障害があっても子供は可愛いでしょ?と言う人は、たぶん定型発達児しか育てたことが無いのだと思う。

障害児の場合、ただ可愛いわけじゃなくて、必ず可愛いにあとに「けど」がつくんですよね

可愛いけど不安だ
可愛いけど将来どうなる
可愛いけど知能は伸びるのか
可愛いけど会話できるようになるのか
可愛いけど意思疎通できなくてキツい
可愛いけど他の子はおしゃべりしてて羨ましい
可愛いけどなぜうちの子に障害があるんだ

ーーーー

などなど、言うなれば可愛いをドス黒い絵の具で上塗りされているような気分になる。これが障害児育児の基本ベースなのだと私は感じている。

でも、そういったドス黒いものを表に出すことはない。なぜなら、それはタブーだから。

子どもが可愛くないのか?
そんなに親が不安ばかりじゃ子が可哀想
親なら強くあれ
望んで作った子どもだろう
みんなキツいのは一緒
あなたを選んで生まれてきた云々。。。

そういう言葉が飛んでくるから。

うるせえ、と思うけどね。ふっつーに。

立派な親であることを、定型児童の親と同じレベルの愛を持つことを求められる。障害のない子供を羨むことすら世間様では許されない。

その苛立ちは、黒い絵の具となって娘を見る目に付与される。そして思う。

あー、この子が普通だったらこんな苦労はしないのに。

これが本音だ。みんながそうとは言わないが、少なくとも私は時々そう思う。

指差しする双子を見た時
「両方とも定型発達か。いいな」

姪っ子と遊んでる時
「姪はいつか会話のできない娘を疎ましく思うだろうか」

友達の子どもが喋ってる時
「友達とも話が合わなくなるかもな」

あらゆる場面で、自分の家族はあちら側とは違う世界にいるのだと実感させられる。

冒頭の書いた通り、娘を自分の誇りと言えるか否かは現時点では答えられない。

でもいつかは自分の誇りで、自慢の子どもで、大事な家族だと胸を張って言える人間になりたい。

そのために今日も今日とて「思い描いてた理想の子育て(大橋のぞみ)」に消しゴムをかけ、目の前の娘に向き合い続ける。

障害を持って生まれた娘のありのままを受け入れる努力を1ミリずつ進めてる。

今はまだ狭間にいる。

理想と現実の狭間にいる。

まあ金と仕事と健康な体はあるのだから、無理せずいこうやワガハイよ。みんなもね。

ほぁーーー

3歳までに喋れよ娘コラ(本音)

前回の記事はこちら👇


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