陳式太極拳と楊式太極拳

 以下の内容は、太極拳の練習の仕方について西洋自然科学的な、バイオメカニクス的な考え方でアプローチしています。伝統的な考え方を否定しているわけではありませんし、それぞれの技術を否定しているものでもありませんので、こんな考え方もできるんだなあと気楽に読んでください。全部読み終わったら、あなたの太極拳は確実に進歩します。途中で難しいところもあるかもしれませんが、是非読んでみてください。

 前置きは済みましたので、まずは有名な2つの太極拳について説明します。陳式太極拳と楊式太極拳は同じように太極拳と呼ばれていますが、体の使い方が根本的に異なります。同じようにゆっくり動いて練習しますが、科学的な視点で見てみたらそれぞれの上達への道筋を明らかにすることができました。

 陳式太極拳は、足の裏から膝、股関節、腰、肩、肘、手首へと順に螺旋の力を伝える纏絲(てんし)勁という力の使い方を特徴とします。また発勁については、下半身で生み出した力を上半身に伝えるため、強い発勁を打つことができます。鞭のように体を使い、松(ゆるめる)、弾(はじく)、抖(ふるえる)、放(解き放つ)の四字で表されます。陳式太極拳は、いくつかの流派や特殊な套路があるものの陳式太極拳というくくりの中で、きちんと保存されています。

 楊式太極拳は蚕から絹糸を紡ぐときのような、細く途切れない抽絲(ちゅうし)勁という力の使い方を特徴とします。また、掤勁という風船を膨らませたような弾力のある体の使い方をします。従って、力の始まりと終わりが無く、連綿不断にずっと続き、まるで風船のように一か所を押されたら四方八方へ力を分散させます。逆に全体の力を一か所に集めて、強い圧力を出し発勁します。陳式太極拳と異なり、色々な系統に変化しています。中国政府が制定した簡化24式太極拳や鄭曼青が気功を中心に再編纂した37式太極拳などが有名ですが、全て楊式太極拳と同じ系統と理解してよいと思います。ただし、楊名時太極拳だけは偶然「楊」という姓であった楊名時さんが体操として伝えてしまって、独自の理論を提唱しているようなので太極拳を名乗っていますが似て非なるものと考えた方が良いと思われます。

 もし自分の学んでいる(または、これから学ぼうとしてる)太極拳がよく分からない人は、自分の練習している太極拳はどういう太極拳なのかを調べてみるのも良いと思います。

陳式太極拳

陳式太極拳の効果的な練習方法について解説します。

 陳式太極拳は、足の裏から膝、股関節、腰、肩、肘、手首へと順に螺旋の力を伝える纏絲勁という力の使い方をすると書きました。これは鞭のような力の使い方で、脚の力を末端に伝えます。これは野球の投球動作がヒントとなります。

 野球の投球動作は一見すると、鞭のように体をうねらせているだけに見えますが、実は螺旋の動きが入っています。バッターに向かって真正面を見るのではなく、横を向いて構えます。そこから90度角度を変えて投げることで足から腕にかけて螺旋を生じさせ、そのエネルギーをボールに伝えます。投球動作のスローモーションを見ると、ボールが手から離れた後に手の甲が内側に向かって回転しているのが分かると思います。この腕の回転方向は陳式太極拳の発勁と同じ向きとなっています。

 このときに重要なのは、下半身で生み出された力をロスなく上半身、腕、ボールに伝えることになります。太極拳ではボールがありませんので拳になります。剣や槍を持っているなら、その武器になります。

 陳式太極拳がゆっくり動くのは、この力の伝達をスムーズにするための無駄な動きを無くすのが目的となります。纏絲勁を強調するあまり、必要以上にグニャグニャ動く人がいますが、これはバイオメカニクス的には間違いです。せっかく下半身で生み出したエネルギーが上半身の動きだけに使われてしまったり、肩の加速だけで消費されてしまったり、肘の大きな動きで加速が打ち消されたりしていまいます。エネルギーの伝達には、無駄なく、波打つようにスムーズに動くことが重要となります。この際に、全ての部分が同じように加速する必要はありません。腰が回って、肩が回って、肘が遅れて動き出すことでタメができ、最後に拳が最大のエネルギーを受け取って加速されれば弾、放となります。

 従って、陳式太極拳では、脱力して無駄のないスムーズな動きを体に覚えさせるのが上達への早道だと考えられます。

楊式太極拳

 楊式太極拳の効果的な練習方法について解説します。

 楊式太極拳ではモーターユニットという考え方が重要になります。筋繊維というのは、何本かがまとまって一本の運動神経につながっています。逆に言うと、一本の運動神経が数本の筋繊維を動かしています。これをモーターユニットと呼びます。この本数は場所によって異なっていて、目を動かす外眼筋では5~6本がひとまとまりになっていますが、ふくらはぎにある腓腹筋は2000本がひとまとまりになって、一本の運動神経で強い力を出せるようになっています。このモーターユニットは訓練により個別に動かせるようになり、繊細で複雑な動きが可能となります。

 楊式太極拳でゆっくり動くのは、このモーターユニットの識別を細かくするためです。連綿不断に一定の力を出し続けるには、どんな形をとっても適切なモーターユニットをコントロールする必要があります。個別のモーターユニットが自在に扱えるなら、それを一気に使えば強い発勁が打てることになります。

 この練習をするときにフィードバックが重要となります。研究では、音や波形のデータにより自分がどのくらいのモーターユニットをコントロールしているかを確認しながら練習すると、徐々に個別のモーターユニットをコントロールできるようになっています。モーターユニットを一つだけ使う、二つだけ使う、十個使うというのがコントロールできるようになります。

 動きながら繊細に自分の筋肉の動きを感じて、指の先までコントロールすることが重要になってきます。できるだけ細かく感じるには、あらゆる部分のモーターユニットを必要最小限にして感じる必要があります。機械で測定することができない時代に工夫を重ねて行き着いたのが脱力であり、ゆっくり動くという方法だと思います。これが連綿不断であり、抽絲勁でもあります。

モーターユニットについて(補足)

 細かな話を書いているので飛ばしても良いです。興味がある人は少し長いですが読んでみてください。

 モーターユニットが少しイメージしにくかったと思いますので、もう少し具体的な話をしてみます。まず、モーターユニットというのは、1本の運動神経が動かせる筋肉の束のことを言います。つまり、運動神経を1本ずつ別々にコントロールできると、身体を自由自在に動かせるということになります。普段は、なんとなく頭が指令を出して、なんとなく動いているので、思ったほど足が上がっていなくてつまずいたり、思ったより力が入っていなくてコップを滑らせて落としてしまったりしてしまいます。

 研究では、筋電位計という筋肉の動きの強さを測定し、音や波形で強さを確認できる機械を使うと、自分がどれくらいの筋肉を動かしているかということを確認することができます。例えば、指に筋電位計を付けて動かします。計算によりモーターユニットを1つだけ使った時の筋電位が分かっているので、どんどん力を弱めていくと、やがて一番小さな力で指を動かせるようになります。それで1つのモーターユニットを使う感覚を学習することができます。次に少しだけ力を入れます。音や波形で使っている筋肉の量を測定しているので、2つのモーターユニットを使った時の感覚も学習できます。そうやって少しずつ練習すると、意識した量のモーターユニットを使えるようになります。

 しかし、この測定器は普通は使えないので、どうやって練習すればよいかということになります。これは、簡単に言うと、先生について套路を何回も繰り返すという普通の練習方法が一番良いということになります。

 測定器を使えない状態で、意識できるモーターユニットを分解していくには2つの方法があります。1つは、主観的な筋出力と客観的な筋出力の誤差を無くす方法です。壁に体重計を固定して全力で押します。この時に60キログラムの力が出ていました。次に、自分が考える半分の力で押してみます。なのに体重計が20キロを指していました。すると、自分では半分にしているつもりでも、身体は3分の1しか力を出せていません。ちょうど30キロになる感覚を体に教え込ませることで、100%と50%のモーターユニットのコントロールができるようになります。これを細かく繰り返すと繊細に力をコントロールできるようになります。ジャンプでも訓練できます。100%でジャンプする。50%でジャンプする。達した距離がちょうど半分になっていたらコントロールできているということになります。重いものを持ち上げても良いです。どんな重さでも力いっぱい持ち上げるのではなく、ちょうどいい力で持ち上げる感覚を覚えます。

 もう1つは、姿勢の制御です。こちらが太極拳の練習になります。以前にスポーツタレントの武井壮さんもテレビで言っていましたが、自分の思った姿勢をちゃんと取れているか確認していきます。この時に目で見ながらすると感覚が誤魔化されてしまうので、目をつぶって両手を水平に上げます。目を開いて鏡で確認すると、数センチずれていると思います。ズレている感覚を修正します。両手を真上にあげて同じことをします。斜め45度で同じことをします。そうやっていろんな角度で自分の姿勢を自分の感覚で制御できるというのは、ちょうどいい量のモーターユニットを使えているということになります。使いすぎると行き過ぎるし、足りないと手が思った位置に行っていません。なので、套路を繰り返して先生に姿勢を直してもらうと、自分で思っていたより膝が出ていた、手が下がっていた、脚の幅が広くなっていたというのを修正していくことができます。これを何度も繰り返すと、数値では測定できませんが、姿勢を整えるための主観的な筋出力と客観的な筋出力の誤差が無くなってきます。この時に自分がイメージする手本となる形は先生の姿なので、「黙念師容」という秘訣、いわゆる見取り稽古が非常に大切になってきます。

 練習する時に、早く動かしたり、力強く動かすと、細かな感覚が分からなくなります。自分ではまっすぐ動かしているつもりでも、少し内側から弧を描いていたとか、80%の力で突いているのか70%の力で突いているのか区別できません。だからゆっくり動くことで体の軌跡を確認できます。脱力して最小限の力を感じることで、これが一番小さい力、これがその2倍の力と意識しやすくなります。細かくしていくことで、今まで一番小さい力だと思っていたのが、半分の力を感じられるようになると、さらに細かくモーターユニットを使えるようになったことになります。そこから徐々に大きな力の感覚を養っていけばいいのです。

 中国武術で武器術をよく練習するのも、歴史的な意味もありますが、武器は手の延長で、さらに細かな力の制御が必要になります。手元で1センチずれると剣先や槍先では何十センチもずれてしまします。何も持たずに練習しているより、さらに細かな制御が必要になるということは、よりモーターユニットを分解して使えるようになります。なので、是非、武器術も練習してみてください。

まとめ

 陳式太極拳ではエネルギーのロスが無い動きが重要になるため、姿勢や腕や足の軌道が正しくできているかどうかが非常に重要になります。一方で、腕の長さや股関節の柔軟性などは人によって異なるので、その人に合った動きを指導してくれる先生が必要になります。全員に同じ動きをさせるのは、基本の部分では重要ですが、陳式太極拳のメカニズムから言うと遠回りとなります。ある程度動けるようになったら、その人に合った微調整をしてくれる先生が良い先生だと思います。

 楊式太極拳ではモーターユニットを自在に使えるようになるのが目的のため、脱力や連綿不断で滔滔と行うことが重要になります。正しい形を追求してもあまり意味がありません。ただし、姿勢要求は体幹に無駄な力が入らないようにする秘訣ですので、姿勢を整えることはお腹、胸、背中などのモーターユニットを細かく認識するために必要となります。陳式太極拳のように正しい軌道というのはそんなに重要ではありません。無理に形を作って余計な力が入るより、一つ一つのモーターユニットを感じられるように自然な姿勢の方が重要となります。

 世界には多くの太極拳がありますが、基本的には陳式太極拳と楊式太極拳をベースとしたその他の太極拳に分けられると考えています。それは、野球の投球動作が、トルネードやマサカリ投法はありますが、基本的には昔からほとんど変わっておらず、エネルギーをロスなく伝える動きというものにはバリエーションが無いのだと思います。今の動きが完成形と言っても良いでしょう。なので陳式太極拳というのは、趙堡架式や忽雷架式があるものの、これ以上の改変をしても悪くなるばかりで、今の形が力の伝達においてはほとんど完成形なのだと思います。

 一方、楊式太極拳はモーターユニットのコントロールが重要なので、呉式のように前傾したり、武式のように姿勢が高かったり、孫式のように快活だったり、伝える人のアイデアで色んな工夫ができるのだと思います。しかし、繰り返しになりますが、上達に重要なのはモーターユニットのコントロールであって、形でも軌道でもありません。

 站椿はどの太極拳でも役に立ちます。下半身の鍛錬だと思ってやっていると、途中で上達が止まってしまいます。太極拳における站椿というのはモーターユニットを意識する訓練です。高い姿勢で構いません。長く続けることで、最小限の力で姿勢を維持できるようにし、自分がどういう姿勢をしていて、どういう風に体に負荷がかかっているのか、細かくフィードバックを受け取りながら身体を感じることが重要になります。楊式太極拳では非常に有用ですし、陳式太極拳でも正しい姿勢を取り正しい軌道で動くには、モーターユニットがコントロールできた方が良いので役立ちます。

 長くなりましたが、こんな感じで説明している人は見たことが無いので、この文章を読んだ人は確実に上達が早くなると自画自賛しています(笑)ちなみに古武道で「体を割る」と言っているのは、このモーターユニットを部位ごとに個別に使うことと同じです。

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